教えるということ

仕事

季節柄、後輩への指導の機会が多くなる。

業務内容を説明したりしながら、少しずつ仕事を進めていってもらう。しかし、自分がうまく教えられている自信はない。

とりあえずは全体像の把握を優先し、まずは大づかみに概略を掴んでもらうことが一番だとわたしは考えているが、この考え自体が誤っているかもしれない。

また自分が行う業務の傍らに同時並行で指導も実施するため、どうしても指導に時間・労力を避けられないときもある。そういう場合に場当たり的で、なおざりな対応になっていることも多々ある。

結局何が正解なのかわからないまま、何となく時間の経過とともに後輩もできるようになっていき、気が付いたときにはある程度業務を回せている。

そういう意味では時間が経てば勝手にできるようになる、というのも1つの真理かもしれない。当然のこと上手い指導があれば、その時間を大幅に短縮できたり、さらに上のスキルが身に付いたりと付加価値が付くのであろうが、それを求めなければ自然に育つのを待つのも悪くないような気が。

もっともこの態度はただ教育を放棄しているだけになってしまうので、完全に匙を投げるのはダメだ。

人に教える過程で気が付くことも多いので、色々と学ぶことができるのであるが、それを活かしきれていないような。

自分の業務プロセスの言語化によって無駄が省けたり、相手に理解しやすいようにわかりやすい説明の順番を考えたり、ちょっとした応対や表情などで変化を読み解いたりと、結構重要そうなスキルが磨かれる場であることも事実だろう。

それをおざなりに対応していては機会損失になる。今後それなりに上のポジションに就くためにも人の教育を含めたマネジメント能力は必須になる。

マネジメント能力の向上のためにも、まずは教育・指導を効果的に実施できるように訓練していくことが重要だ。教える方も教育を通じて多くを学び取らないといけない。

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