読書レビュー:『さみしい夜にはペンを持て』(古賀史健)

読書

読みたいと思ったきっかけ

土井英司氏のビジネスブックマラソンで紹介されていたのがきっかけ。

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さみしい夜にはペンを持て (一般書 431) [ 古賀 史健 ]
価格:1,650円(税込、送料無料) (2023/8/11時点)


内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

 

 

そしてぼくは、おじさんと出会った
1章 「思う」と「考える」はなにが違う?
2章 自分だけのダンジョンを冒険するために
3章 きみの日記にも読書がいる
4章 冒険の剣と、冒険の地図
5章 ぼくたちが書く、ほんとうの理由
6章 「書くもの」だった日記が「読むもの」になる日
エピローグ

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

1章(「思う」と「考える」はなにが違う?)

■おじさんは、ぼくのぐちゃぐちゃな話が終わるまで、ひと言も口を挟むことなく耳を傾けてくれた。ことばに詰まっても次のことばがでるまで待ってくれたし、脱線してもそれを正そうとしなかった。しかも聞き流している感じが、ひとつもなかった。こんなおとな、はじめて会った気がする。

■「そうだね、それはあるだろう。だれかが話を聞いてくれたらうれしい。同意してくれたり、やさしい声をかけてくれたりしたら、もっとうれしい。でも、それだけかな?タコジローくんは話せたこと自体、うれしかったんじゃないかな?つまり『聞いてもらうこと』より先に、『ことばにすること』のよろこびって、あったんじゃないかな?」

■「『思う』と『言う』の距離が遠いだけ。ことばを外に出すまでに、時間がかかっているだけさ。決して頭の回転がにぶいとかじゃない」

■「いや……自分に声をかけるって、どうやって?」「書くのさ」おじさんは微笑んだ。「書くってね、自分と対話することなんだよ」

■「そう。自分の思いを書く。文章にする。このとき、泡のように不確かだった『ことばにならない思い』は、かたちを持った『考え』に変わる。そしてコトバクラゲたちが、あの棚に収めていく。本みたいなかたちを手に入れた、おじさんの考えをね」

■「違う。書くときのぼくたちは『手を動かすこと』が面倒くさいんじゃない。『頭を動かすこと』が面倒くさいんだ。なにかを書くためには、それについて真剣に考えなきゃいけない。その『考える』という手間を、みんな面倒に感じているんだ。書くことは、考えることだからね」「書くことは考えること?」「そう。考えることは書くことだと言っても、かまわない」

■「一度口に出してしまったことば、取り返しがつかない。これはおしゃべりのいちばん恐ろしく、むずかしいところだ。そして自分の発した何気ないことばがだれかを傷つけたことを知ると、自分で自分を許せなくなる」

2章(自分だけのダンジョンを冒険するために)

■おじさん、よくぞ言ってくれた。ほんとにそうなんだ。作文でも読書感想文でもぼくは、いつもギャップを感じていた。「自分の気持ち」と「実際に書かれた文章」のあいだに、ありえないくらいの距離を感じていた。ほんとの自分はこうじゃない。こんなことを書きたかったわけじゃない。でも書こうとすると、ほんとに言いたかったことが、心のなかで思っていたことが、ぜんぜん書けない。文字になるのは、どこにでもあるような「感動しました」とか「とてもおもしろかったです」とかのことばばかりだった。

■「もちろんさ。タコジローくんは、文章を書くのが苦手なわけじゃない。ただ、ことばを決めるのが早すぎる。手っ取り早く、便利なことばで片付けている。ことばを探す面倒くささに、屈している。おかげで、自分の気持ちから離れた文章になっている。それだけのことさ」

■「だからこそおじさんは、日記を書いている。コスパなんて考えない。ていねいに、ことばを急ぎすぎず、何度でも消しゴムを入れて、じっくりと自分と対話する。そうするなかで、すこしずつ自分をことばにできるようになったし、自分のことがわかってきたような気がするんだ」

■「そこまではおじさんにもわからない。ただね、ひとりになりたいのは『みんなと一緒にいると、自分ではいられなくなる』からなんだよ。会社とか、家族とか、タコジローくんで言えば学校だとか、そういう場所でずうっと『みんな』のなかにいると、なんでもない『自分』ではいられなくなるんだ」

■「日記を書くのはね、自分という名のダンジョンを冒険することなんだ。終わることのない、日ごとに変わるダンジョンをね。それでもダンジョンを進んでいけば、すこしずつ謎が解けてくる。自分が何者なのか、わかってくる。きょうひとつの日記をつければ、1面クリア。あしたにまた日記をつければ、また1面クリア。そんなふうにして、どんどん自分の奥深くを探検していくんだ。ーーどうだろう。ちょっと、おもしろそうだと思わないかい?」

3章(きみの日記にも読者がいる)

■「まるで別のだれかを観察するようにね。泣いたり笑ったりおしゃべりしたりしていた『あのときの自分』を、ある程度の時間を経た『いまの自分』が淡々と描写していく。そうすれば手が止まるようなこともないはずだよ」

■「そうかそうか。記憶があいまいなときにはね、いきなり『全体』を思い出そうとしないほうがいい。まずはこんなふうに限定されたシチュエーションを、細かく思い出すんだ。そうすると前後の記憶もよみがえってきたりするからさ」

■「なにも解決しないからだよ。なんとなく、イライラする。なんとなく、不安になる。なんとなく、嫌いになる。そうやって、自分の感情を『なんとなく』で片づけていても、なにも解決しない。コトバミマンの泡は残り、膨らんでいく一方だ」

■「答えは、見つけるものじゃない。出すものだ。いまの自分が『あのときの自分』の感情に、答えを出す。あのときの自分はこうだったはずだと、答えを決める。そうやって決めないことには、なにひとつ書けないんだ」

■「でもね、可能性のなかに生きているかぎり、ぼくたちはものごとを真剣に考えなくなるんだ」「どうして?ぼくは真剣だよ。真剣だからこそ、まだ決めたくないんだよ」「たしかにタコジローくんの思いは真剣だろう。だけどその思いを『考え』にまで高めたいんだ。ほら、言ったじゃないか。『考えることは、答えを出そうとすること』だって。答えを出そうとしないまま保留しているのは、なにも考えないのと一緒なんだよ」

■「なぜおしゃべりは返事をもらえる前提なのか。じつは、おしゃべりって9割が『返事』でできているんだ」

■「まあ、卓球でもテニスでもいいんだけどね。ほら、テニスや卓球って自分手動で打つのはサーブのときだけで、あとはずっと『どう打ち返すか』を競うスポーツだろ?その意味でとてもおしゃべりと似ているんだ」

■「ああ。相手を言い負かしてやりたい、っていうかさ。そんなふうに『勝つこと』が目的になると、相手のことばを否定するばかりで、おしゃべりが発展していかないんだ。自分の非を認めようとせず、よくわからない理屈を並べたり、記憶をねじ曲げたり、嘘をついたりしてね。場合によっては、ことばの暴力が飛び出すこともある。自分としては、一発逆転のすごいスマッシュを打ち込んでいるつもりかもしれないけどさ」

■「未来の自分?」「そう。半年後、1年後、3年後、もしかしたら10年後や20年後、きっとタコジローくんはその日記を読み返す。真剣に生きていた『あのときの自分』と向き合うことになる。これはね、書き続けた者だけに与えられる、最高のプレゼントなんだ」

■「約束ってね、『させられる』ものじゃないんだ。どんな約束だって、最終的には自分が『する』ものなんだ。約束するのか、しないのか。それを決めるのは、タコジローくんだ。そして自分で決めたことなら、続けられる。約束を交わすほんとうの相手は『自分』なんだからね」

4章(冒険の剣と、冒険の地図)

■「そしてこれは、ことばについても同じことが言えるんだ。ぼくたちがなにかを書こうとするとき、使える色が多いほど表現の幅は広がる。使える色、つまり『使えることば』をたくさん持っているほどね」

■「使わないと、ボキャブラリーは増えない?」「おじさんはそう思うな。だから本が大好きな図書委員の子もボキャブラリーは多いだろうけど、演劇部とか放送部の子たちこそ、案外ボキャブラリーが多いのかもしれないね。読むだけじゃなく、実際にたくさんのことばを『使っている』わけだからさ」

■「ぼくたちはたくさんのものを見て、聞いて、感じている。けれどそのほとんどは、意識のなかからすり抜けていく。そういう『すり抜けていく感情』をキャッチする網が、ことばなんだ」

■「だったらシェルフォンのメモ機能でもかまわない。なんでもメモする習慣を持っておくと、日記を書くのもたのしくなっていくよ」

■「メモは、ことばの貯金だからさ。同じ買い物に行くでも、使えるお金をたくさん持っていたほうがたのしいだろ?コツコツとメモを取って、ことばの貯金を貯めていく。そして夜、好きなだけ散財するんだ。日記というダンジョンのなかでね」

■そういえば、ぼくに選手宣誓をやらせようと言いだしたのも、トビオくんだったらしい。あの日のホームルームを振り返ってイカリくんは、「そういう流れ」には逆らえないんだと言っていた。クラスって、じつはリーダーが流れを決めるんじゃなくて、ナンバー2が決めているのかもしれない。

5章(ぼくたちが書く、ほんとうの理由)

■「ことばにするとね、見なくてもすんだはずの現実を、直視しなきゃいけなくなるんだ。だれかのいやな姿とか、自分のドロドロした部分とか、自分が置かれたほんとうの立場とかをね」

■「それは日記を書きはじめたとき、かなりの確率で待っている罠だ。というのも、ぼくたちはみんな日記に『悩みごと』を書きやすい。自分にとってそれが、いちばん切実な話題だからね」

■「少なくともおじさんは、うまくいってるよ。過去形で、解決済みのこととして書く。そうすれば『どうして大嫌いだと思った、、、のかな?』という問いにもつながっていく。自分の問いに答えながら、日記に書いていく。そうやって書き終えたころには、コトバクラゲたちが本棚に整理整頓してくれているさ」

■「見分けかたは簡単さ。『いまの自分にできること』がひとつでもあるのなら、その悩みは『考えごと』の箱に入れる。もっと深く考える価値がある。一方、『いまの自分にできること』がひとつもないのなら、その悩みは『心配ごと』の箱に入れてクローゼットにしまう。考えても仕方がない。自分にできることは、なにもないんだからね」

6章(「書くもの」だった日記が「読むもの」になる日)

■「あと、ぜんぶを書かなくていいって思えてるのはすっごいラク。朝からの出来事を順番に書いたりしないで、『あの場面』や『この場面』だけを書けばいいんだって割り切ったら、だいぶたのしくなってきたよ」

■「ああ。先月の自分より、ちょっと『できること』が増えている。先週の自分より、ちょっとうまくなっている。きのうはできなかったことが、できるようになっている。そういう成長の実感があってこそ、ものごとは長続きするんじゃないかな」

■「日記の向こうに、それを読んでくれる相手がいない。自分の気持ちを伝えるべき相手がいない。だったら、ことばを尽くして『わかってもらおう』とする必要がない。結果としてものすごく雑な、ただ自分の感情を吐き出すだけの日記になってしまう。流れのある文章ですら、なくなってしまうんだ」

■「でも、日記の向こうに読者がいると思ったら、もっと『わかってもらおう』と努力するだろ?感情に走りすぎず、そこにコスパなんか求めなくなるだろ?ぼくたちは、わかってもらおうとするから、自分の感情を整理する。わかってもらおうとするから、ことばをていねいに選ぶ。わかってもらおうとするから、ことばのペン先を細くして、ことばの色彩を豊かにする。すべては、読者にわかってもらうためなんだ」

■「そうさ。だって、自分の気持ちを書いてくれるのは、自分しかいない。きょう起きたおもしろいことを書いてくれるのは、自分しかいない。きょう思いついたアイデアを書いてくれるのは、自分しかいない。そうだろ?おじさんは、それを読みたいんだ。いまはともかく、あとになって読み返したいんだ。それがどんなにすばらし宝ものになるか、知ってるからね。だったら、自分で書くしかない。書き続けるしかない。当たり前のことさ」

コメント

装丁がきれいで、質感の良い本は良書のことが多い気がしている。

最近でいうと『百冊で耕す』『悩みの多い30歳へ』など。

名は体を表すではないが、装丁を含めて丁寧に作られた本はそれだけ時間も掛けられているためか、中身も十分に詰まっている感じがする。

本書もまさしくそんな書籍に該当し、装丁の質感も良く、触っていたくなる。ページの構成、デザインも凝っているし、読まずに見ていても面白い。

とはいえ読んだら読んだで抜群に面白く、読み出すと続きが気になって仕方なかった。

内容としては、悩みを抱える中学生がメンターを通じて日記の効果、効用を説かれながら、実際に日記を書いていくことで自己成長を遂げていく教養小説(ビルディングスロマン)といった感じ。

そのなかで日記が具体的にどういう効果をもたらすのか、日記には何を書けばいいのか、どうやれば続けられるのかが平易なことばでわかりやすく書かれている。

また中学校のときに生じるスクールカースト内の機微な動きが上手に触れられているのだが、それが海の中の生物たちを擬人化することで描いているのも絶妙である。

これが実際の人間をベースにして書いていくと、そのリアリティが強すぎて日記の部分が薄れてしまう。

そこを海の中の生物たちに演じさせることで対象物と少し距離ができ、それゆえに深刻度を和らげる効果が出ているように感じた。

主題である日記に関していうと、考えてみれば日記の作法って学んだことがない。そういった書籍やブログなどもあるのだろうが、意識して日記の手順とか、やり方を学ぼうとは思わなかった。

かくいう自分自身も日記はとても断続的に続けている。最初は高校生の頃にはじめたが、受験で途切れ、大学生になって復活したが、結局2-3年ブランクが空き、卒業間際に再開した。

その後、社会人になってからも何となく日記をつけたりつけなかったりで、子どもが生まれた頃からまた比較的頻度を上げてつけるようになった、といった感じでいい加減極まりない。

本書にもあるとおり、自分の経験則としても日記をつけるとついつい悪口を書きたくなる。

このこと自体は「悩みは書いて吐き出すと良い」といった具合で推奨されることも多く否定すべきではないのかもしれないが、確かにこれを続けていると文章も流れがなくなり、支離滅裂としてくる。

本書のなかの白眉は、自分という読者に「わかってもらおう」と努めて書くことを、を説いている点にあると思う。

「わかってもらおう」とするから冷静に感情を整理しながら言葉を選べるようになるというのは、言われてみればそのとおり。ただ、これはコロンブスの卵であり、そんなこと考えたこともなかった。

日記の読者である自分自身にわかってもらおうとする意識。ここに日記のパラダイムシフトがある。

この本は自分自身でも再度読み返したいし、自分の子どもが大きくなったとき、それこそ中学生くらいになったタイミングで贈りたい。

それを有り難く受け取ってくれるかは未知数だが、少なくとも自分が中学生のときに本書に出会っていたらまた自分の人生が違ったものになっていたように思える。それくらい良書だ。

一言学び

日記の向こうに読者がいると思ったら、もっと『わかってもらおう』と努力する。

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