読書レビュー:『神なき時代の日本蘇生プラン』(宮台真司/藤井聡)

読書

読みたいと思ったきっかけ

宮台真司氏についても割と著者買いをしており、その流れで今回も購入したのがきっかけとなっている。

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神なき時代の日本蘇生プラン [ 宮台真司 ]
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内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

まえがき 宮台真司
第1章 「若者の未来」は守れるのか
第2章 クズ化を防ぐ共同体
第3章 荒野を生んだ都市工学
第4章 「天皇」を参照せよ
第5章   神なき時代のメタバース
あとがき 藤井聡

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

まえがき(宮台真司)

・目下1ドル137円の円安だ。これは「円を使った経済的営みが低生産性ゆえに価値を生み出せない」という根本問題による。ゆえに金融財政政策の如きではどうにもならない。

第1章(「若者の未来」は守れるのか)

・政府の対策に合理性がないと思えば、自分で合理的だと思う行動をとるのは当たり前です。対策の合理性がちゃんと説明されていないので仕方がないでしょう。(宮台)

・リモートというのはもともと、散々対面を繰り返してきて、人間関係がキャピタル(資本)としてできあがり、そのベースがあった場合に限り、そのキャピタルの補足として機能するに過ぎない。(藤井)

・僕の考えでは、今の日本人は、アカの他人について配慮する意欲を持ちません。だから、公共的価値にコミットできません。背景は単純です。日本人にはもともと「社会」という概念がなく、「世間」という概念があるだけだからです。(宮台)

・僕は、ユダヤや中国の人びとを参照するべきだと思います。彼らは血縁ベースで、絆を維持します。ユダヤ人はディアスポラの悲劇、中国人はジェノサイドの悲劇を、共有してきたので、国境を越えて同じ血縁ネットワーク上にあれば助け合うことが、強い規範になっています。だからユダヤ人は、産業革命が後期に入った19世紀以降、大規模設備投資を支える国際金融のコモンズを共有できたのです。(宮台)

・日本人はどの国よりも個人が弱い。だから政・官・民を問わず、政治党派を問わず、どこを見ても上を伺うヒラメと、周囲を伺うキョロメだらけ。日本人が弱いのは、規範を内面化していないからです。僕は「価値の空洞」と呼びます。価値の空洞ゆえに、周囲への「学習的な適応」だけで、「価値的な貫徹」ができません。(宮台)

・1970年という早い時代に、共通前提の崩壊を見越し、ヒラメとキョロメだらけの日本人を憂えたのが三島由紀夫です。三島が言うように、日本人は一夜にして天皇主義者から民主主義者に豹変しました。だから、一夜にしてフェミニストにもなり、SDGsにもなり、多様性主義者にもなります。だから、表向き人が何を喋っているのかは、”心ある者”にとってはどうでもいい。どのみち「学習的な適応」をしているだけで、「価値的な貫徹」がないからです。つまり、信用できないのです。(宮台)

・負け戦になると「沈みかけた船の座席争い」に淫する「日本人の劣等性」が、過剰な反倫理性を産まないように、阻んできたのが「世間」でした。その「世間」を支えるトゥギャザネスを、40年かけて崩壊させてきたのが、日本です。失ったものの機能的等価物をビルディングするには、それ以上の時間がかかります。「日本人の劣等性」がウェーバーの言うエートスに関わるからです。エートスとは「変わりにくい行為態度」のことで、多くは宗教的営みで形成されます。エートスを変えるにはコスモロジー(世界観)を刷新する必要があるからです。だから、巨大な「悲劇の共有」でもないかぎり、短中期的にエートスを変えることは不可能です。(宮台)

・たいていの日本人は、ロジックは分かっても実感が伴わなければ、前に進めません。だから言葉を理解させるだけでは足りず、言外の体験質を補う必要があります。それを映画や音楽などのコンテンツによって補うという戦略です。だから僕は、例えば学生に先ほどお話しした郊外論の話をする際、それぞれの時代の体験質を与えてくれる古い映画やニュースを見せ、「これが僕の言った言葉の「シニフィエ」(語られるもの)に当たる体験質だよ」と示します。それでやっと僕が言うことが腑に落ちるようになる。今の日本ではそんな工夫が必要なのです。(宮台)

・ちなみに、このクズという言葉には僕なりの定義があります。「言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシーン」ということです。精神分析学の神経症理論が示すように、この3つは共起します。つまり、どれか1つだけ生じるということはありません。(宮台)

・戦略の有効性を示唆するデータがあります。先ほど話しましたが、僕は著書で言えば『まぼろしの郊外』から25年間も同じことを語っています。それがこの5年とくに第二次安倍内閣の後半以降、僕の本の読者が増え、Twitterのフォロワー数も爆速で増えて、まもなく20万人です。やっと話を聞いてくれるようになりました。(宮台)

第2章(クズ化を防ぐ共同体)

・「ものすごく長く続いてきて、最近失われたもの」を、観察することが大切です。無人島キャンプにおいても、映画を使ったコンテンツ教育においても、いつも「失われたものは何かに注意を集中せよ」と言い続けてきました。敵は、新しいものは良いものだとする、劣化した日本人にありがちな「アップデート厨」です。(宮台)

・200万年前から火を使ってきた人類は、火を囲むとフレンドリーになり、やがてフュージョン(融合)します。進化心理学的には、遺伝子的に方向づけられています。火を囲むとフュージョンする者たちだけが生き残れたということです。だから「焚き火は一番強力」なのですね。(宮台)

・火は「同じ世界」で「一つになる」貴重な共通体験を与えます。共通前提がないと本音で話せない日本人にとって、火の共通体験は強力なアイスブレイキング機能(初対面の緊張をほぐす機能)を果たします。キャンプで一緒に料理し、火や食について先史に遡り、地球全体に想像力を拡げて語り合えば、それが子供たちを「社会への閉ざされ」の外に解放します。(宮台)

・ところが、今の親は「言外への開かれ」を教えない。「外で遊ぶなんて危険」とか「虫なんて捕まえてくるんじゃない」と言う。口を開けば「座席に座れ」「勉強しろ」「さまないと負け組だ」です。これでは言葉の外にある身体性が育たない。親自身が「言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシーン」へと閉ざされ、子供が「言外・法外・損得外」に開かれていると不安になるわけです。(宮台)

・リベラルという立場は「お前が俺でも耐えられるか。耐えられないなら制度を変えろ」と要求します。そう言ったのはジョン・ロールズです。でも、立場可換性の前提は言語ゲーム論がいう生活形式の同じさです。それが全く違えば、「俺」が耐えられないものを「お前」が平気で耐えられちゃう。それゆえコミュニタリアンによって、リベラリズムは結局一国主義のナショナリズムなのだと喝破されます。これは批判でしたが、逆に言えばリベラリズムでナショナリズムを正当化できるのです。その意味で僕はナショナリズムを条件付きで肯定します。(宮台)

・一神教的な超越神の力がない日本ではとりわけ、自分はどんな存在下を理解する視座は、共同体つまり仲間がいる状態でしか持てません。自分を中心に、家族、仲間、と同心円を想像的に広げた先に「世間」があるのですが、「世間からの視座」の想像が、「神からの視座」の想像を機能的に代替し、単に自分が思うがままに発言したり振る舞ったりすることが抑止されたのです。(宮台)

・弱いがゆえにコラボしてきた人間は、ゲノム的に孤独に弱くできています。だから、孤独になると不安になり、不安ゆえに神経症的な埋め合わせに淫しがちです。そういう人間が、不安の埋め合わせとは区別された、腹の底から湧き上がる価値観にコミットできるかと言えば、できません。(宮台)

・大学に進学しておきながら、自らがどんな学問を探求するかにかかわる最大の動機が、価値観やパブリックな関心ではなく、「沈みかけた船の中での座席争い」のための就職活動になり下がっている。これが放置された状況では、大学生もクズ化は免れられません。(宮台)

・僕が若い人に長らく告げてきたのは、人を評価したいなら、そいつにどれだけ仲間がいて、仲間にどれだけ尊敬されているのかを、まず見ろということ。もっともらしいことを言ったとしても、口では何とでも言える。仲間との関係が希薄で、恋愛もまともに営めないような奴の言うことは、話半分で聞けと。(宮台)

・「症状としての言説」と「価値に基づく言説」とを、瞬時に識別できる敏感さを、取り戻さなければなりません。(宮台)

・人間は弱いから、一人ぼっちになるとクズ化しがち。クズどもが集まったクソ界隈でまともでいるのは大変で、クズになった方が楽です。若い人には、まず「クズに交わればクズになる」みたいなのは嫌だと強く思念してほしく、次に「クズに交わってもクズにならない知恵」を知ってほしい。クズになりそうだったら諌めてくれるような仲間や恋人を持つことがそれです。(宮台)

第3章(荒野を生んだ都市工学)

・コロナで露呈したものの一つが、「移動の自由」に対する日欧の感度の違いでした。「移動の自由」を制限されることに対する日本の鈍感さは度を越しています。欧州には「自由というもの」に対する価値観上の前提があります。…人は移動して、集まり語らうことで、初めて、例えば政治的表現のベースになる共通前提を作れます。だから「移動の自由」の制限が「表現の自由」の侵害になってしまうというのが、ヨーロッパの知識人のコモンセンス(共通感覚=常識)なのです。(宮台)

・「ホモ・サケル」とは、ローマ時代の、法の埒外にいるのか範疇内にいるのかが両義的な存在を指します。「社会的な生=意味ある生」(ビオス)を奪われて「剥き出しの生」(ゾーエ)を生きるだけの存在です。「意味ある生」では、自分の命を懸けることになっても、場合によっては仲間の命をも懸けることになっても、社会的に正しいことを追求します。「正しさなんてどうでもいいから、命が助かるために必要なことは何でもやれ」と誰もが言う今の例外状態はおかしい。それがアガンベンの主張です。(宮台)

・人々の欲望の暴走で「場所」の良さが消えそうになった時、どうするかが重要です。大切なのはプラットフォームのコントロールです。そこが分かれば、歴史的な生態系である「場所」を保ち、住民の「尊厳」を確保できます。「良い場所」は長い時間をかけたコストの支払いで可能になるものです。「良い場所」を作るとフリーライダーの流入で台なしになるという繰り返しを阻止する知恵が必要です。各人には、自分が住む「場所」を愛し、知恵を出し、コストをかけて、自分が住む「場所」を「良い場所」にしてもらうしかない。タダノリは許されません。(宮台)

・「仲間のためになりたい」という貢献価値がベースのスローフードと、「ブランド価値を上げたい」という損得勘定がベースのロハスは、動機付けにおいて真逆です。加えて、スローフードが社会のあり方を問題にする「ソーシャルスタイル」ベースなのに対し、ロハスは意識高い系の個人に訴える「ライフスタイル」ベースであるところも真逆です。僕の考えでは、スローフードが正しく理解されない度合いが、社会の劣化具合を表しています。日本とアメリカはダメです。(宮台)

・何であっても同じです。「食の共同体自治」であれ「エネルギーの共同体自治」であれ、「自分たちが決めた」というオーナーシップが成功の秘訣です。(宮台)

第4章(「天皇」を参照せよ)

・くり返すと、「弔う営み」は、「共同体の記憶」とりわけ「悲劇の共有」にとって不可欠です。そこを切り口にすると、日本人は「記憶」が下手くそなのです。「共同体の記憶」を伝承できないと、三島由紀夫が「からっぽ」と表現した価値の空洞ぶりは治療できません。(宮台)

・世界から絶えず「お前はどう思っているのだ、ドイツ人の子孫としての考えを聞かせろ」とコールされ、それにレスポンスし続ける。…ウェーバーによれば、責任(レスポンシビリティ)とは、神からのコール――ヴォケーション(召命)――にレスポンスできること。ヴァイツゼッカーはその原義に立ち返り、ドイツに対する信頼醸成を呼び掛けたのです。周辺の人々がドイツの悪行を忘れずに告発し続け、それに応えることでドイツの国際的地位が上昇すると。実際にEUの盟主になりました。これも日本とは真逆です。(宮台)

・いわく「私たちは悪かった」ではなく、「私たちはどこがダメだったか」を徹底的に自ら暴き続けること。その上で「ここがダメだった」から「今自分たちはこれをしている」と言い続けること。それだけがドイツが生き残る道なのだとします。そういう知的・倫理的なレベルから見ると、日本の劣等ぶりは目を覆うべくもありません。(宮台)

・そもそも、改元を禊とみなして仕切り直し、出発点に立つという営みをくり返してきた歴史があります。皇室のものだった改元を、政治的行為にした安倍晋三元首相の罪も重いですが、それ以前に、改元や謝罪によって「過去を蒸し返すのはやめて仕切り直そう」と考えるのは、近代を支える価値からすれば明白な劣等性です。三島由紀夫は初期ギリシャを踏まえた近代主義者で、それをよく知っていました。三島が言う通り、一夜にして天皇主義者から民主主義者になった日本人は価値の空洞に覆われて「からっぽ」です。この劣等性を克服しない限り、遠からず国として存続できなくなるだろう。この三島の予想はますます現実味を帯びてきました。(宮台)

・アメリカの有名な憲法学者で著作権の専門家でもあるローレンス・レッシグは『コード』という本で、憲法意志とは、人々が憲法をどう読むかという読解に関わるものではなく、起草者が何を考えていたか(起草者が今生きていたらどう表現したか)に関わるものだとします。これは実はオーソドックスな見解です。ポイントは、各時代の人々の憲法読解は御都合主義的に揺らぎやすいが、起草者の意志の語り伝えはそれより遥かに安定した「価値の不動点」を与えるところにあります。(宮台)

・日本の場合、天皇が政治的発言をしたら社会は上へ下への大騒ぎになります。これは天皇が「俗人」ではないということです。そこがヨーロッパの王様と違います。ヨーロッパの王様は政治的発言ができます。それは「高貴」であれ「聖なるもの」ではないからです。(宮台)

・外国人から「日本人にとって皇室、天皇はどういう存在か」と聞かれても答えられないのは、きちんと考えてこなかったからです。僕なら答えられます。①「価値のからっぽ」ゆえに右往左往する日本国民を繋留する参照点としての「価値の不動点=国民の天皇」であって、②市民革命を経た立憲政体の憲法意志=起草者の意志と、機能的に等価な役割を果たす、と。(宮台)

第5章(神なき時代のメタバース)

・話の要諦はイエスが最後に言った言葉です。「誰が一番いいことをしたか」「誰が神の祝福を受けると思うか」でなく、「隣り人にしたいのは誰か」と聞いたこと。実に巧妙な言説戦略です。つまり「自分が救われるために戒律を守って利他をするのはクズだと、あなた方自身が思っているではないか」と言うのです。孤独を嫌がるのも、損得を超える人間に感染するのも、集団生活抜きでは生きられない弱さゆえのゲノムベースです。現に僕らは利己的人間ならぬ利他的人間に専ら感染するのです。(宮台)

・いまだに構築主義的な思考に耽ける頓馬が多い社会学の界隈では「本能」という言葉が忌み嫌われますが、ゲノム研究と結びついた進化生物学の急速な進展で、人間の感情的働きの多くがゲノムベースである事実が分かっています。(宮台)

・イエスが言うのは、絶対の神は条件プログラムを語らないということ。(宮台)

・僕らが現実社会における公正や正義を要求するのは「そこが自分たちの居場所だと思うから」です。だから、メタバースが発達して、人々が「自分たちの『本当の居場所』はメタバースだ」と思うようになれば、現実社会における公正や公平なんて誰も要求しなくなりえます。それが「新反動主義者」の目的です。まさに『マトリックス』の世界に似ます。(宮台)

・AIの進化で「人間よりも遥かに人間的なAI」が出現する一方で、「AIより遥かに人間性において劣る人間」が量産されるようになった時――「AI」という変項に「改造哺乳類」等を代入しても構いません――どの範囲に人権が与えられるべきか、社会の構成員を何だと考えるべきかというところにあります。(宮台)

・なぜ幼少期から、宇宙の終わりや地球の終わりについて語り、それについてのBBCドキュメンタリーなどを見せるのかというと、存在論(世界はそもそもどうなっているか)や超越(世界はなぜあるか)に子供たちが開かれるからです。それによって子供たちは「個体の死」をさして恐れなくなります。(宮台)

・存在論や超越に開かれれば、「死ぬのが怖い」というようなチマい話はどうでもよくなるのです。まして「沈みかけた船の座席争い」なんて、ばからしくてやっていられなくなります。「結局全ては終わるんだね。お日様だって50億年で超新星爆発で燃え尽きるのか。ならば、どうせ終わるものが、なぜあるのだろう。そうか、あるってことが奇蹟なのか」というふうに子供たちの思考が展開するのです。僕は子供たちに「存在論から愛へ」と向かってほしいのですね。(宮台)

・クズにはクズだとはっきり言うべきです。僕の言い方だと、感情が劣化したクズを徹底的に差別すべきです。ヒトは何十万年もそうしてきて辛うじて現在の感情能力があります。進化生物学的な事実です。クズにはクソな文化しか創れず、クソな文化がクズを量産します。クズの蔓延を放置したまま、民主主義に基づく「制度による社会変革」は無理です。これは論理的問題です。だから子育てが大切になります。(宮台)

あとがき(藤井聡)

・でも、『香水』で歌われているあのクズ男には、恐らくそんな神は言うに及ばず、素敵な家族も地域共同体も故郷もないのだろう。ましてや親友どころか、友だちと呼べるような仲間すらいない。あるのはスマホだけ。だからクズになったのだろうが、そんなクズに対してもバッタや焚き火や宇宙論は等しくエネルギーを与える筈なのだ。

コメント

今回も面白かった。

宮台真司氏の独特の表現で記述されているが、対談本でもあるので比較的理解しやすいと思う。

また町づくりや天皇論など、ここ最近わたしが読んだ宮台真司氏の著作で出てこなかったトピックもあったので、その点も楽しめた要因の1つになっている。

本書のなかで指摘されているが、ジョルジョ・アガンベンが移動の自由や死者への弔いについて言説を発していたとは知らなかった。

自分の記憶に絶対の自信があるわけではないが、確かに日本では移動の自由がどうなるのか、また弔う営みを奪うのか、といった議論はまったく耳に入ってこなかった。

このあたりはマスコミも意識的にそういった議論を封殺していたのか、それとも単純に気が付いていなかったのかはわからないが。

また「『私たちは悪かった』ではなく、『私たちはどこがダメだったか』を徹底的に自ら暴き続けること」というのに目が開かれた。

中国や韓国からの戦中の悪行非難に対して感情的になり「ずっと謝れと言っている立場は楽でいい」と、ついついわたしも思ってしまっていた。

そういった態度では結局対話がうまく進むこともなく、良い関係を築くことは難しい。

どういった部分に落ち度があって、それに対して今はどう思っていて、具体的にどういった行動を取っているのか。そこまで考え、動くことでしか関係も改善できないし、周囲から尊敬もされないということなのだろう。

天皇論について詳しく知っているわけでもないが、レファレンスポイントとしての天皇、というのは妙に納得してしまった。

日本人の価値基準点を提供していたのが天皇であるとなれば、一般的に宗教による規範もなく、社会もない状況の日本が存続できていたことを上手く説明できる。

まともな社会、まともな個人を創出するために、天皇の機能やプラットフォームに関するマクロな視点からも、また虫を捕まえたり、焚き火をしたりといったミクロの視点からも語られており、どのトピックも参考になる。

宮台真司氏の著作を初めて読む方にも、対談本なので読みやすいためオススメできる。

ちなみに、宮台真司氏と藤井聡氏の対談はTOKYO MXのYouTubeチャンネルでも見られる。

【東京ホンマもん教室】戦後76年“あの戦争”とは何だったのか〜ホンマもんの保守をめぐって〜 ゲスト:宮台真司(対談テーマ:日本の劣化と大衆社会)※8月28日 放送見逃し動画

一言学び

「言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシーン」にならない。

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