読みたいと思ったきっかけ
山内昌之氏の著作を調べていたところ見つけたのがきっかけ。
元々出版されたときに買おうと思っていたのだが、タイミングを逃して購入していなかった。
内容
目次
目次は以下のとおりとなっている。
まえがき | : | 山内昌之 |
第一回 | : | 黒船来航とリンカーン |
第二回 | : | 西郷と大久保はなぜ決裂したのか |
第三回 | : | アジアを変えた日清戦争、世界史を変えた日露戦争 |
第四回 | : | 日米対立を生んだシベリア出兵 |
第五回 | : | 満州事変と天皇機関説 |
第六回 | : | 二・二六事件から日中戦争へ |
第七回 | : | 太平洋戦争 開戦と終戦のドラマ |
第八回 | : | 憲法、天皇、国体 |
あとがき | : | 佐藤優 |
内容
わたしの気になった箇所について記載する。
まえがき(山内昌之)
・日本人として世界史の知識と教養を豊かにするのは、グローバル人材として不可欠であるが、それは日本史を外国語で説明できる能力と不可分なのである。
第一回(黒船来航とリンカーン)
・内村と新渡戸は、学生時代、ジーザスとジャパンという「二つのJ」のために将来を捧げると誓い合います。そして内村は『代表的日本人』を書き、新渡戸は『武士道』を著します。キリスト教の受容という体験が、かえって日本人としてのアイデンティティを強く意識させる契機ともなったわけですね。(山内)
・これは幕末史のみならず、日本の歴史を考える上で重要なポイントですね。日本は生きるか死ぬかの内戦に際しても、外国の介入にはある一線を引いていました。(佐藤)
第二回(西郷と大久保はなぜ決裂したのか)
・幕末以来の変革期から、内外政策に均衡のとれた安定期に入っていく。それが明治十四年なのですね。(山内)
・アジアの開発独裁の特徴は大きく六つ挙げられます。第一は国内外の危機を契機として成立したこと。第二は強力な一人のリーダーの独裁的リーダーシップ。第三にそれを支えるエリート集団、第四に開発イデオロギーの存在。そして第五は必ずしも民主的手続きではなく、経済成功で独裁を正当化しており、第六にその体制が数十年続いていること。(山内)
・征韓論争は経済的にみると、いわば外征によるケインズ主義(失業対策)と財政重視論・重商主義論の対立でもあったわけですね。(佐藤)
・権力者の健康というのは、歴史と個人の関係を考える上で、非常に重要なテーマですね。世界史で有名なのは、痛風と痔に苦しんでいた「太陽王」ルイ十四世で、彼の痔瘻の進行にしたがって、いったん広がった領土がどんどん小さくなってしまうという、歴史家ジュール・ミシュレの興味深い分析があるほどです。(山内)
第三回(アジアを変えた日清戦争、世界史を変えた日露戦争)
・実は、日露戦争以前に、日本ではいくつか対露戦争を先取りした近未来小説が書かれていますね。その一冊を紹介しましょう。タイトルは『日露戦争・羽川六郎』。著者は東海散士。明治三十六(1903)年の刊行ですから、開戦直前に書かれたものですね。日本文学史などでは『佳人之奇遇』などの政治小説で名を残していますが、彼の本名は元会津藩士、柴四朗。義和団の乱で活躍した柴五郎のアニに当たる人物です。(山内)
・また当時の日本は、竹島に哨戒所を設置するなど、索敵に非常に重きをおいていましたね。「信濃丸」のような特務艦が濃霧の中に入っていって、敵を見つけることができたのも、情報こそが生死を決するという感覚が日本全体に共有されていたからでしょう。(佐藤)
・それだけ高かった索敵能力が、太平洋戦争になると、ミッドウェー海戦のように、哨戒機、偵察機といったプロの索敵任務が機能せず、大敗につながってしまう。歴史に学ばない日本の問題点をよく表していますね。(山内)
・同感です。その結果、日英同盟は有名無実化し、第一次大戦後には、四カ国条約、ワシントン海軍軍縮条約によって、日本は集団的安全保障体制に組み込まれてしまう。ここが日本外交のターニング・ポイントですね。私はやはり日英同盟を強化することで、アメリカとのパワーバランスをとっていくべきだったと思います。(佐藤)
・鎖国政策を始めたそもそもの目的は、ヨーロッパ、中南米、フィリピンにまで広がる大帝国、フェリペ二世のハプスブルク朝スペインの脅威を遠ざけるための遮断政策だったわけです。(山内)
・当時、スペインやポルトガルが危険だったのは、それが帝国主義的な領土拡張の野心にとどまらず、カトリックという普遍主義的イデオロギーを伴っていたことです。普遍主義の目的は国民を内面から変えてしまうことです。その危険性は、キリシタン大名という形で現実化していました。(佐藤)
第四回(日米対立を生んだシベリア出兵)
・ではなぜスラブ民族に宥和的なフランツ・フェルディナントがテロの対象となったのか。テロリストたちの背後にいたのは、黒手組というセルビアの過激派でした。彼らからすると、むしろスラブに友好的、宥和的な君主は都合が悪いのです。むしろゲルマン民族の利益を優先し、セルビア人、スラブ主義を弾圧するような状況こそ、セルビア・ナショナリズムは高揚するーー。そこで皇太子暗殺を行うことで、汎ゲルマン主義、オーストリア主義を刺激して、対立の激化を狙ったわけです。これは現代にも通じる教訓ですね。つまりテロリストの論理です。あるグループの主張に対して、それを許容する、もしくは穏健な立場をとればテロのターゲットにはならないかというと、そうではなくて、むしろ穏健立場の人間を叩くことで対立を煽り立てていくという構図なのです。(山内)
第五回(満州事変と天皇機関説)
・永田は軍事課長でありながら、参謀本部と陸軍省の部長や局長クラスの合同会議にも、準局長待遇で参加を許されていました。当時の陸軍幹部たちにとっても、永田の能力は一頭地を抜けていたということでしょう。言うまでもなく、柳条湖事件は関東軍の謀略であり、陸軍刑法に照らしても大罪だったはずです。ところが、その後の政治プロセスは国際法的にも瑕疵はないと説明し、国内的にも陸軍は合法的な手続きをきちんと踏まえて行動を進めていく。このあたりの冷静さは、やはり永田がいないとできなかった技なのですね。(山内)
・日本の外交をみていると、事態が大きく動くときは、やはり主導しているのは実は課長や課長補佐クラスなんです。彼らが省庁横断的にいろいろ調整をつけて、なおかつ政治家を巻き込んでいく形で進むことが多い。(佐藤)
・たしかに日本的官僚機構の特徴でもありますね。そして、これは同時に永田という男がいかに危うい道を選んだかということも物語っています。そもそも軍人は、政治の世界に触ってはいけない。しかもそれを陸軍省の課長クラスの人間が行ってしまった。そういう禁じ手を、完璧に実行してのける政治力が、永田にはあったわけです。その意味では、同じ天才肌でも軍事戦略家に留まる石原莞爾よりもはるかに危険な存在だったいえるでしょう。(山内)
第六回(二・二六事件から日中戦争へ)
・城山三郎の『落日燃ゆ』による広田の描き方は、何かにつけて美しすぎて疑問点が多い。後で出てきますが、幣原喜重郎の対中外交のフェアさと粘り腰とはまったく違うのです。城山氏の小説や映像化によるフィクションは、歴史の真実を錯覚させるという点で怖いものがある。(山内)
・まさにその通りで、相手を対等のパートナーと見ていないのです。つまり主権国家間の交渉や取引ということをよくわかっていないんですね。こうしたタイプが危険なのは、自分が格下だと感じる相手、たとえば中国には強硬な態度に出るのに、立場が上だと思っている相手、アメリカや英国には不遜な態度はけっして見せず、「かわいい」と思われようと、迎合的になりやすいことです。(佐藤)
・帝国主義外交の本質は勢力均衡です。譲れない一線を保持した上で、相手の力に応じていかに対応するかが重要だとわかっているので、けっして無茶なことはしない。(佐藤)
・それはきわめて重要な問題です。たとえば吉田茂は駐英大使まで務めながら、実は英語がまったくダメだった。サンフランシスコ講和条約のときも、当時の録音を聞けばわかりますが、これで大丈夫なのか、と心配になる英語です。広田弘毅も同様で、彼は英語で基準に達せず、一度、高等文官試験を落第しているんです。そこでいったん韓国統監府に籍をおいてから、翌年、再受験しています。(佐藤)
・大島の推進した日独同盟路線こそ、日本の国運を大きく誤らせた、日本が外交最大の失策のひとつでしょう。そもそもアジアの海洋国家たる日本が、はるか遠くに離れた欧州の大陸国であるドイツと提携して、何の利益があるのか。二流か三流の海軍しかもたないドイツに、一流海軍をもつ海洋国家が何を期待できるというのでしょうか。常識で考えれば分かるはずです。ここには、第一次大戦中に何度も英仏から西部戦線への陸軍部隊派遣を求められても、山縣有朋らが拒否した叡智はまったくないのです。実際、対英米戦争が始まっても、三国同盟はほとんど有効に機能しませんでした。そのうえ、「ナチスの同盟国」という不名誉を、世界史に残すことになってしまったのです。(山内)
第七回(太平洋戦争 開戦と終戦のドラマ)
・対米戦争は、日露戦争以降、はじめての日本が負ける可能性がある戦争でした。そもそも戦争というものは、勝つこともあれば負けることもある。どの程度の負けなら許容できるか、そのときの幕引きはどうするかを想定しない軍隊、政治のあり方こそ異常だったのです。もし近代日本がどこかで敗北を経験していたら、劣勢のなかでの和平がシミュレーションできていたかもしれません。(佐藤)
第八回(憲法、天皇、国体)
・幣原は、英語力でも外務省で伝説的な存在だったそうです。非常にソフトなムードを持ちながら、軍との軋轢をものともしない芯の強さもある外交官でした。こうした政治家を戦前からかろうじて持ち得たことは、戦後日本の幸運だったといえるでしょう。(山内)
あとがき(佐藤優)
・その意味で水戸光圀によって開始され、明治期にようやく完成した『大日本史』のことを、私はいつも考えている。慈円の『愚管抄』、北畠親房の『神皇正統記』から『大日本史』に到る日本の歴史方法論を考慮しなくては、日本人が書く歴史総合は成立し得ないと私は考えている。
コメント
もともと本書は2022年度、つまり今年の4月から始まった「歴史総合」という科目の発展に寄与することを目的にして行われた対談のまとめとなっている。
実際に山川出版社のホームページなどをみると「歴史総合」の教科書が掲載されている。(科目になっているので当然のことではあるが)
わたしは「歴史総合」の教科書がどんなものであり、どんな授業が展開されるかについても全く見当がついていないが、世界史と日本史という便宜上の枠組みを排した取り組みがなされるのだろう。
そういった視点を得る意味では本書は参考になるように思う。
世界史を学ぶ場合には日本史は大きくは近現代以降にしか登場しないし、日本史を学ぶ場合であっても日本と世界の関わりについてはそこまで主眼が置かれていないように、少なくとも私が学生のときは感じた。
そういった状況を脱し、世界史における世界から日本への影響や、逆に日本史における日本から世界への影響、といった視点から本書は日本の歴史を振り返っている。
しかしながら、歴史の知識をある程度体系的に暗記しておくことの重要さは大人になるほど身にしみる。
中学生や高校生のときに歴史の流れや最低限の知識を丸暗記して頭に入れておくことは、その後の大学生活や社会人になっても極めて有用であるように思う。
最近は丸暗記はナンセンスで必要なときに調べれば問題ないという風潮が強いが、結局頭に知識がないと読解力も落ちるし、そもそも学ぶスピードが段違いに遅くなる。
そういう意味では、如何に義務教育や高校生のときに基礎的な知識を叩き込めるか、というのは死活的に重要になってくると思うのだが、如何せんこの考えは前時代的過ぎる感は否めない。
もはや学生ではない自分にとっては今さらではあるが、最低限の歴史知識は入れていかないと。
大学受験用の日本史・世界史を勉強を通じて知識強化を図ろうか。。。
一言学び
日本人として世界史の知識と教養を豊かにするのは、グローバル人材として不可欠であるが、それは日本史を外国語で説明できる能力と不可分。
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