読書レビュー:『それからの帝国』(佐藤優)

読書

読みたいと思ったきっかけ

佐藤優氏の著作であるため、著者買いとなる。

『自壊する帝国』に続くシリーズ物である自伝的ノンフィクションの書籍は物語として抜群に面白い。

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それからの帝国 [ 佐藤優 ]
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内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

まえがき    
第一章 前夜
第二章 失踪
第三章 再会
あとがき    

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

第一章(前夜)

■雑階級インテリとは、下級聖職者、下級官吏、農民の子どもで、高等教育を受けて知識人になった人々のことを指す。貴族は子どものころから家庭教師についてフランス語、ラテン語、ギリシア語や哲学、歴史、文学を勉強している。これに対して、雑階級インテリは、十代後半になってから、猛烈に勉強してのし上がってきた人々だ。ガッツはあるが教養の幅には限界がある。

■サーシャ「そうだ。酒に酔うと、人間の本性が出る。また、飲んでも秘密を守ることができる人間が誰かもわかる。また、陽気に飲むことができる人間は、人々を組織する力がある。その意味で、革命に役だつ人間を見つける学校として酒場は役にたつ」日本でも仕事に役だつ人間を見極める場として、居酒屋は役にたつ。

■サーシャ「容易に耐えられるよ。人間は、環境順応性が高い動物だ。中世のヨーロッパを考えてみろ。スターリン程度の暴君はいくらでもいた。日本だって、気にくわない家来にハラキリをさせていた大名はいくらでもいたと思う」

■サーシャ「それはどうかな。ドイツのヒトラーや、イタリアのムッソリーニの統治は?あるいは、スペインのフランコやポルトガルのサラザールの統治は?あるいはポーランドのピウスツキは?1930年代を考えれば、スターリン型の統治の方が標準だった」

■一方、私は、日々の大使館業務に追われつつも毎日最低2時間は神学や哲学の勉強を続けることを日課にしていた。どんなに夜遅くなろうが、仕事を自宅に持ち帰ることはせずに、大使館で終えた。サーシャとは2ヵ月に1度くらいのペースで会い、政治情勢に関する意見交換をするとともに、神学や哲学の話をすることが何よりの息抜きになった。

■実際、私もモスクワで生活してみて、サーシャの言うことが正しいと確信するようになった。ソ連共産党員でマルクスを真面目に読んでいる人はほとんどいない。レーニンについては、「弁証法的唯物論」と「史的唯物論」に関する学習参考書で、表面的な知識を身につけているだけだ。スターリン、フルシチョフやブレジネフについては、大学教育で言及されることはほとんどない。

■それにしても、世界を二分した共産主義体制の中心であったソ連の崩壊に際し、ソ連国家の理念に殉じた共産党と軍の幹部が、プーゴ内相とアフロメーエフ参謀総長しかいなかったということは、私にとってたいへんなショックだった。ソ連の公認イデオロギーによれば、マルクス・レーニン主義は、世界観であり、共産主義者の生き死にを左右する原理だったはずだ。そういうことを信じていたソ連共産党員は、ほとんどいなかったのである。

第二章(失踪)

■そういうときに「どのような状況になっても、悲観したらダメだ。神に対する信仰だけがしっかりしていれば、どんなことでも切り抜けることができる」というサーシャの声が頭の中で聞こえてきた。ソ連崩壊の過程でさまざまな人間模様を見てきた。どの国にも権力闘争はある。そういうときにこそ信仰が重要になる。信仰をもつ者は、常に前を見る。どのような状況になっても自暴自棄になってはいけない。サーシャはそのことを身を以て私に示してくれた。

■しかし、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗の3首相は、本気で北方領土問題を解決しようとしていた。少なくともこの3政権においては、北方領土問題の解決が、最優先の外交課題だった。それだから鈴木宗男氏も文字どおり政治生命を賭して3人の首相を支えた。その鈴木氏の姿は魅力的だった。人間は、無私の精神で働く人のそばにいると自然に感化を受ける。

■「とりあえずはそうだ。しかし、最終的に誰が人生の勝者になるかはわからない。僕はソ連崩壊の過程で、さまざまな人間ドラマを見てきた。その結果、最後まで筋を通した人が結局、幸せになれると確信している」

第三章(再会)

■ところで、大宅賞の選考会で、ある選考委員から「サーシャのような人物が実在するのか」という懸念が出されたそうだ。これに対して、別の選考委員が「仮にサーシャが実在しないとしても、これだけの人物を著者が創ることができたならば、その力を評価すればいいではないか」と答えると、強く反対する人はいなくなったという話が、ある大手出版社の編集者から聞こえてきた。私はその話を聞いて、思わず吹き出してしまった。サーシャほどのスケールの大きな人物を、頭の中で組み立てることはできないからだ。サーシャことアレクサンドル・ユリエビッチ・カザコフという1965年12月9日にリガで生まれたロシア人は確かに存在する。しかし、サーシャのような知識人が存在するという現実を理解できない日本人が少なからずいてもおかしくない。それだけ、日本では人の生き方がぬるくなっているのだ。

■そう、モスクワに私が勤務したときに学んだ重要なことは、筋を通して生きるということだった。

■「人間には胆力がある。これは教育や経験では身につかない。その人の生まれたときからもっている力だ」「基本的に同じ認識だが、一点だけ留保がある」「どこか」とサーシャは怪訝そうな顔をした。「その人が生まれたときからもっている力というところだ。僕の理解では、その人が生まれる前からもっている力だ。人間の根源的な能力は、生まれる前から決まっている」と私は言った。「マサルがカルバン派のプロテスタントだということを忘れていた。要するにすべては神の予定ということか」

■サーシャは、無駄なことは言わない。言うことには必ず意味がある。スルコフが私に似ていると言ったことについても、サーシャには根拠があるはずだ。どこが似ていると考えたのだろう。「サーシャは、さっきスルコフと僕が似ていると言ったけれど、あれは真面目な話か」「もちろん真面目な話だ。僕は不真面目なことは言わない」「具体的にどこだ。複合アイデンティティの問題か。スルコフはチェチェン人のアイデンティティをもっているがゆえに、ロシア人になろうと通常のロシア人とは異なる努力をした。僕の場合は、沖縄人と日本人の複合アイデンティティをもっている。だから、外交官時代、他の日本人外交官よりも熱心に北方領土問題に取り組んだ。僕の場合、日本人であることが自明ではなく、日本人になる必要があったからだ」

■「大民族と少民族の間に生まれ、高等教育を受けた人は、自分の中にある少民族としての認識を強く持つようになる。高等教育の過程で当該小民族が疎外されているという意識をもつようになるからだ」とサーシャは答えた。「それは合理的だ。僕の場合にもあてはまる。しかし、それを跳ね返そうとして一生懸命勉強してきた」

■「そうだろう。だから、酒なんか飲んでいる暇はない。もっと勉強しないと。それに、僕たちの経験を次世代に伝えていかないと。また、これからは教育に力を入れていかないといけないと僕は思っている。実は、これについて僕はクレムリンを手伝っている」

■アンダーソン(評者注:米国の政治学者ベネディクト・アンダーソン)は、明治維新の成功を、薩摩と長州が欧米の軍事テクノロジーを積極的に取り入れた点に求める。ちなみに南北戦争が日本にもたらしたものは銃だけでなく、南軍側の政治エリートと軍事専門家の思想もだ。歴史を見る場合には軍事テクノロジーを軽視してはならない。アンダーソンは、日本の近代化は、公定ナショナリズム政策を取ったので成功したと考える。

■確かに学生時代も、外交官時代も私は行動的な方だったと思う。しかし、関心の方向は現実を変化させることではなかった。あくまでも、ダイナミックに動いている現実に迫り、それをできるだけ正確な言語で表現することに私の中心的な関心はあった。私は本質において非政治的なのである。現在、作家活動を続けていても、私は日本に「国内亡命」しているように思えてならない。国内亡命とは、ソ連時代の知識人が、体制との関わりを極小にして、自分の友人との間での知的空間を大切にした生き方を指す。

■「日本人の対米感情はどうなっているのか。政府の公式の立場ではなく、標準的な日本人がどう受けとめているかについて知りたい」「一部に反米感情はあるが、それはインテリに限られる。大衆レベルでの対米感情は良好だ」「原爆を落とされたにもかかわらずか。人種的偏見がなければ、あのような大量破壊兵器を使用することはできない」「確かにそうだ。しかし、その点についてはイデオロギー操作によって、日本の支配層が上手に乗り切ったと僕は見ている。」

■「ざっくり言うとそうだが、天皇制という用語は正しくない。天皇制という言葉には、制度ゆえに改変可能という含みがある。しかし、天皇により日本が治められているというのは制度というよりも文化に深くしみ込んでいるので、人為的に変更しようとしても不可能だ。制度としての天皇をなくしたとしても、新たに絶大な権威をもち、日本人の無意識を支配するが責任は負わないという独特の中心が必ず現れてくる」

■「それはよくわかる。キリスト教という普遍的価値観と、日本に対する愛国心をあわせもっていたから、マサルはロシアの政治エリートやインテリから信頼されたのだと思う。ロシア人は本質において、愛国者だ。それだから、外国人でロシアに迎合する者は、利用することはあっても尊敬しない。日本の愛国者を自認し、僕らを相手に堂々と北方領土問題に対する日本の立場を本気で訴えたからマサルは信頼された」

■「皇統を維持するためには日米同盟が不可欠という論理を、第二次世界大戦後、日本の政治エリートは巧みにつくり上げ、それは国民の間で定着した。それだから、日米関係が崩れると、国体が危機に瀕すると日本人は考える。しかもその発想は日本人の集合的無意識を支配しているので、なかなか自覚されない」

■「『急ぎつつ、待つ』ということか」「そうだ。良い言葉だ。マサルが思いついた言葉か」「残念ながらそうじゃない。カール・バルトの言葉だ。ただし、バルトは『待ちつつ、急ぎつつ』と言った。僕はバルトよりも急ぐことが重要と考えているので『急ぎつつ、待つ』と表現した方がいいと思っている」「バルトか。流石、20世紀プロテスタント神学の父だ。傑出した洞察力をもっている」とサーシャは言った。

コメント

今回も文句なしに面白かった。

途中から残りページが気になりだし、読み終えるのが惜しい気持ちになっていくほど。

佐藤優氏がモスクワに赴任しているときに出会った天才サーシャとの再会までの物語がまとめられている。

「まえがき」にも記載のある通り、『自壊する帝国』を読んでいない読者にも伝わるように、意図的に『自壊する帝国』と重複する部分があるが、そこは一冊でわかるように配慮されているがゆえ。

それにしても毎度のことながら佐藤優氏の記憶力には驚く。

会話の内容はもちろん、その場所や食事の詳細な内容を描写できるほどに覚えているのが常人にはできない域だ。

モスクワ時代にあれだけウォッカを飲んでいたサーシャが一切お酒を口にしなくなっていたことが本書で述べられている。

そしてその理由は「酒なんか飲んでいる暇はない。もっと勉強しないと。」というもの。

これこそ知識人の態度であり参照すべき、また尊敬すべき点のように思う。

これだけ知識を有し、頭の回転の速い人が勉強しないといけないと言っている状況で、凡人が勉強しなくては差は開くばかり。

このあたりは一種諦めというか、知識人により勉強してもらい、国を良い方向に舵取りしてもらうことを期待するのも一般庶民の選択肢のひとつなのかもしれないが。

また佐藤優氏が次世代に経験を伝えることを意識し始めたのもサーシャがきっかけとなっていることも本書を通じてわかる。

ある程度の年齢に達すると自分自身が経験したことを次の世代に引き継ぎたくなるのは人間の本性なのだろうか。

人類の進化の過程で知が継承されてきたことに鑑みれば、本能的なものなのかもしれない。

佐藤優氏の身体的な不調の問題もあって、あとどれだけこの手の自伝的ノンフィクションが出版されるかわからないが、一読者としては可能な限り氏の物語を読みたい。

今回も間違いなくオススメできる。

一言学び

酒なんか飲んでいる暇はない。もっと勉強しないと。

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