読みたいと思ったきっかけ
佐藤優氏の著作であるため、著者買いとなる。
ハードカバーにしているせいもあるのか、ページ数の割に値段が高い気がする・・・。
一昔前よりも書籍の値段も上がってきている。
内容
目次
目次は以下のとおりとなっている。
はじめに | ||
第1章 | : | メタファーを読み解く |
第2章 | : | 資本主義がつくる悪 |
第3章 | : | 軍国主義がつくる悪 |
第4章 | : | 能力主義がつくる悪 |
第5章 | : | 無自覚になされる悪 |
第6章 | : | 自分の悪を受け入れる |
内容
わたしの気になった箇所について記載する。
第1章(メタファーを読み解く)
■小説を読んでいて、どこの部分で自分の心は動いたのか。それに気づくことで、普段は知らない自分の内面世界を知ることができます。登場人物が体験することを「代理体験」することによって、自分でも思いもよらなかったような感情の揺らぎが起こることがある。その揺らぎに自覚的でいること。それが「自己と対話しながら読む」ということです。だから読み方は人それぞれで、どれが正解ということはない。
■だから戦争当事国は、新聞や雑誌などのメディアで感染症のことを一切報道しなかった。ところがスペインは中立国だ。だから感染症のことを報道していた。だから世界から見ると、まるでスペイン国内だけでパンデミックが起きているように見えた。だから「スペイン風邪」と呼ばれるようになってしまったんです。
■そして『ねじまき島クロニクル』の面白さの一つは、「まともな人」たち側からの視点ではなく、そういう「周縁の人」たち側からの視点で語られていくところにあるように思います。
第2章(資本主義がつくる悪)
■キリスト教では、無から有を生み出していいのは神様だけだと考えている。利子は、無から有を生み出しているよね?そして利子は時間が経つほど増える。時間は神がつくったものだ。人間が勝手にそれを利用してはいけない。だから利子を取ることは神を冒涜することだと考えられていた。
第3章(軍国主義がつくる悪)
■ところが最近の日本はどうだろう。だんだん余裕がなくなってきて、自分の国の弱いところとか、まずいところには蓋をするようになってきていないだろうか。過去の歴史を美談で覆っていくような風潮になってきていないだろうか。私はどうも、過去を美化するような映画だとか小説が増えてきているような気がしてならない。これはつまり、国全体が弱ってきて、犯してきた罪を直視する強さがなくなってきているということだよね。
第4章(能力主義がつくる悪)
■世界は因果論で動いているのではなくて、確率論で動いているという考え方もあるということだよ。努力したんだから報われる、努力しなかったら報われないとか、そういう因果律を超越したものがある。確率とか、運とか、そういう要素が世界にはある。
■前に東大で教えていたことがあるんだけど、本当に頭のいい学生っていうのは受験勉強でほとんど苦労していないね。授業で習ったらすぐに理解して全部頭に入っちゃうから。
第5章(無自覚になされる悪)
■このようにキリスト教の世界観では「悪」に対するリアリティが強い。悪は、現実的かつ具体的なもの。悪は幻影のようなものでしかないという仏教に対して、キリスト教の悪は「神に対するアンチテーゼ」として具体的に存在するものととらえられる。悪魔やサタンの概念のように、実態がある存在としてとらえられているんだね。
■世界観を持っていないんだよ、2人とも。つまり”世界観を持っていない”という世界観を持っているわけだ。2人とも自分の世界観がなくて、そもそも世の中というものを見下してバカにしている。
■このように岡田亨は、生々しい欲望をとっさに抑圧したり、向き合わなければいけないつらい現実を正常バイアスで否認したり、ネガティブな感情と向き合うことを回避したりするクセがある人物なんだね。ここで生々しい欲望やネガティブな感情を「悪」とするならば、岡田亨は、この「悪」から逃れよう、避けようとして生きている人間といえる。
■そういう意味において『ねじまき島クロニクル』という小説は、「ズレ」の物語とも読めるわけです。登場人物はお互いが少しずつズレている。その「ズレ」が織りなしてつくられた、一種のタペストリーと言ってもいい。…こういう書き方は、村上春樹さんがポストモダンの洗礼を受けた作家だからこそできることだと思います。
第6章(自分の悪を受け入れる)
■それだから間宮中尉という登場人物は、漱石の『こころ』の「先生」とどこか連続性があると思う。「死んだように生きている」というのは、近代日本文学の一つの大きなテーマなんです。そういう意味で漱石や森鴎外など、日本文学の重要なものはきちんと読んでおいたほうがいい。すると現代の文学作品の読み方も一段と深くなります。
■こういうふうに村上春樹さんの作品というのは、西洋哲学的な仕掛けが非常に多く見られます。アメリカ文学やヨーロッパ文学に通じているので、自然とこのような思想が入り込んでいるんだと思う。以前に日本近代文学との連続性のお話をしたけれど、こうした西洋哲学的な背景も押さえておくと、テキストを、より一層深く読み解くことができると思います。
■人間はいつも悪がつきまとっています。それを完全に消し去ることは人間の力ではできません。ですが、悪に自覚的であることは大切です。悪への無関心は、悪を増幅させます。だから自分が正しいと信じてやっていることでも、それがじつは悪の行為なのかもしれないと内省する習慣を持つことです。
コメント
『ねじまき島クロニクル』の内容を追っていきながら、そこから読み取れる内容や背景を解説していく授業が書籍化されたもの。
基本のテーマは「悪」。
『ねじまき島クロニクル』の内容から読み取れる「悪」を、おなじみのキリスト教やマルクスの『資本論』、また日本文学の系譜などと紐づけて説かれる。
自分一人で『ねじまき島クロニクル』を読んだとしても、こういった視点で読むことはできないし、またどういった背景があると想定されるのかも見当つかない。
その意味で『ねじまき島クロニクル』を一歩踏み込んで理解する補助として利用することができる。
もっとも『ねじまき島クロニクル』の解説書や解説記事は多く存在しているはずなので、その点でいうと目新しいということはないのかもしれないが。
そもそもわたしはこれまで村上春樹氏の作品を読んだことがない・・・。
いつか読もう読もうと思っているだけで、読むタイミング逸し続けている。
本を読むこと自体は好きなのであるが、読むことで何かしらを得ないといけないという考えにとらわれて、そのせいで小説を読むことが後回しになっているきらいがある。
小説を読むことで単純な知識が増えるわけではないという思い込みがそもそもいけないのだが、その点でいうと、こうやって小説から何かしら知識や教訓を学び取れるような設計となっている本書は自分にとってはものすごく有り難い。
こういった解説本が、オリジナルの小説を読む契機にもなる。
ちょうど村上春樹氏の新刊である『街とその不確かな壁』が出版されたタイミングではあるが、自分としては『ねじまき島クロニクル』をこのタイミングで読んでみようか。。。
一言学び
悪への無関心は、悪を増幅させる
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