目的地が決まっていてもそこへ向かっていくという意志と努力がなければ到達はできない。
当たり前のことを言っているだけだが、自分の人生においてこれを実行できたことはない、ということにふと気が付いた。
すなわち、夢に向かって努力したという経験がないということに。
振り返ってみれば小学生のときはサッカー選手になりたいと思っていたが、当時の自分は少年サッカーに所属してすらいなかったし、ただ遊びでサッカーをするくらいだった。
また中学になってからは医者になりたいと思ってこともあったが、理数科目が苦手であったし、そもそも全く勉強をしていなかった。
高校・大学になってからは総合商社に入りたいと思っていたが、そもそも総合商社のエントリーすらしていない。ここに関しては現実的に受かる可能性が低いと判断した結果であるのだが、いずれにしても総合商社に入るために何か努力したわけではない。
こうやって見返してみると、全てにおいて夢を達成するための努力もなければ、考えもない。
結局は「なんとなくなりたいな」というレベルの夢であるから、こういった結果に終わってしまったのだろう。
「夢を定めてそれに向かった努力する」という使い古されたフレーズを実施できなかった自分は貴重な経験の機会を失っていたのかもしれない。。。
「その夢のための努力」というプロセスを経ることでしか得られない経験が確実にあるはずで、それを得られなかった機会損失は意外と大きいような気がする。
もっとも今から夢を決め、それに向かって意志を持ち努力すればいいのだが・・・。
現実には今の環境を投げ捨ててまで追いたい夢もないので、そもそもスタートができない。
こう考えると「しっかり夢を持つ」ということ自体が一種の才能なのかもしれない。
自分にはその才がなく、しっかり夢を持つことができないから、スタートが切れなかったということなのだろう。
でも確かに、夢を持って達成する人が稀有な熱意や情熱の持ち主であることが多いように見られることから鑑みても、「夢をしっかり持つことは普遍的なものではない」ということなのだろう。
コメント