浪人
読書に逃げていたこともあり、無事に受験に失敗した自分は浪人して最初の頃は勉強に集中し、読書をすることもなかった。
再び読書をすることになったのは、1浪の夏を過ぎた辺りから。
受験のプレッシャーからか、また新書を買って読むことが多くなった。
読書をしていること自体は、ゲームしたりするのと違い、勉強寄りの行動に捉えることもできる。これが厄介だ。
読書していることを勉強しないことの免罪符として使っていた。
宗教・政治・哲学系の新書を買っては読んでいた。
結局また現役のときと同様に、読書に逃げることで勉強もせず、1浪も再び全落ちする結果となる。
1浪の受験の際は、早稲田受験の帰りに池袋のジュンク堂書店に行って受験というものを忘れようとしていた。
そのときに買った本が佐藤優氏の『獄中記』という本だった。
この本によって、1浪全落ちした自分は拘置所にいる状況と比べればまだ良いほうだ、という具合に自分を慰めていた。
そして『獄中記』をきっかけにして佐藤優氏の本にのめり込むことになる。
2浪目が始まっても、『国家の罠』や『自壊する帝国』など、その当時出ていた佐藤優氏の著作を片っ端から買って読んでいった。
佐藤優氏の著作の中で多く引用される廣松渉や柄谷行人などの新書や文庫なども背伸びして読もうとしていた。
ただただ受験から逃げるために読んでいたに過ぎない。
歴史・宗教・政治などの基礎的な知識が不足している状態でいくら読んでも頭に何も残らなかった。
もっともこの点については今も変わっていないのであるが・・・。
結局2浪中はずっと佐藤優氏の本を中心に読書に逃げることで現実逃避していただけだった。
英語が多少読めたことと運が良かったことで、なんとか大学生になれた。
大学生
晴れて大学生になり、いざ、いくらでも気兼ねなく読書できる環境になると意外とやらなくなるものである。
もちろん全然読まなくなったわけではないし、本も割と買っていた。
ただ、継続的に読書していたかと言われると疑問である。
大学時代は興味の赴くままに本を読んでいた。
小説はほとんど読まなかったが、歴史・宗教・政治・哲学・心理学など少しでも面白そうな本があると買って読むようにはしていた。
しかし、どれも新書や簡単な本を読む傾向が強かった。
古典や名著と呼ばれる本を読むことを避けて通っていた。
いま思うと大学時代の最大の後悔はこの点にあるかもしれない。
時間だけはある大学時代にこそ古典に取り組むことが出来る。
大学のときに一連の著作を読んだ著書でいうと、宮台真司氏や瀧本哲史氏、また仲正昌樹氏あたりか。
彼らの本は買ってよく読んでいた。
当時も読書をしていないという意識や、勉強していないという意識はなかったが、いま振り返ると全然出来ていなかったし、実際に今となっては、ほとんど知識として残っていない。
社会人
社会人になってからは専らビジネス本を買うことが多くなった。
割と早く読めるので買う数も増え、とりあえず読書を多くこなしている感じは味わえているが、実際どれほど身に付いているのか。
読むジャンルも会計・財務・マネジメントなど、ビジネス寄りの内容が多くなってきている。
そこまでのめり込む著者がいるわけではないが、橘玲氏、赤羽雄二氏、山口周氏の著作は買った数が多い。
通勤電車でしか本を読む時間は取れないのが残念ではあるが、読む時間を安定的に確保できているともいえる。
まとめ
これまでの読書経験を振り返ってみると、「受験から逃げるための読書」というのが自分の人生に与えたインパクトは大きい。
もちろん読書していただけが受験失敗の原因ではないが、読書に逃げていたことは事実なので一因にはなっていると思う。
それでも読書するという習慣が今も残っているのは、そのお陰でもあるのも確かだ。
これからも本を読むことは断続的ではあれ、続けると思う。
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