読書レビュー:『ゆるい職場』(古屋星斗)

読書

読みたいと思ったきっかけ

書店で見かけたのがきっかけ。

自分自身は若手の部類に入らなくなっているものの、若手と同じように感じる部分は少なからずあるので、その参考になるかと思い購入した。


内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

 

はじめに 若者はなぜ会社を辞めるのか。古くて、全く新しい問題
第一章 注目すべきは「若者のゆるさ」ではなく「ゆるい職場」
第二章 若者はなぜ会社を辞めるのか
第三章 「ゆるい職場」時代の若者たち
第四章 「ありのままで」、でも「なにものか」になりたい
第五章 若者と職場の新たな関係
第六章 若手育成最大の難問への対処
第七章 助走としての学校生活
第八章 ゆるい職場と新しい日本
おわりに    

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

第一章(注目すべきは「若者のゆるさ」ではなく「ゆるい職場」)

・24歳以下の失業率を「若年失業率」と言うが、日本はここ10年ほど、国際的にみて非常に低い水準にある。…それは、日本社会がすでに若者をフル活用しており、ほとんど若者人材が出払っている状況にあるという視点である。

第二章(若者はなぜ会社を辞めるのか)

・「ゆるい」のに「不安」という状況が矛盾しているように感じられるだろう。しかし、職場を「ゆるい」と感じている大手企業の新入社員の方が自身のキャリアの不安を感じているという明確な関係も発見されているのだ。

・つまり全体を総合すれば、「会社のことはゆるくて好きだが、キャリアは不安なので、退職を考えている」という若手の存在が浮かび上がる。

・企業や上司には、若手のキャリア不安をいかにして解消するのか、というこれまでに日本企業が直面したことのない新たな課題が発生しているのだ。

・育つ環境が違いすぎ、2、3年上をモデルとし、ライフスタイルの考え方も違う。もはや上司・先輩は、若手のロールモデルにはなりえないのだ。

・グローバルに巻き起こる、「企業と若者の関係性の変化」という大きなうねりの中で、アメリカの若者は自主退職を考え、中国の若者は最低限の仕事だけをしてあとは寝て過ごすことを志向し、日本の若者はキャリア不安を抱えて退職する。企業社会が若者をどう育てていくのか、という問題が実は世界各国で同時多発的に浮かび上がってきている。

第三章(「ゆるい職場」時代の若者たち)

・単純な事実として、同じ「コスパ志向」であっても、その内実を丁寧に見ていくと「行動を促進するコスパ志向」と「行動を抑制するコスパ志向」が並立しているという現在の状況についてである。

・また、今回の検証からわかったさらに大きなポイントは、”大人化”した新入社員と、ある種の大人としての通過儀礼(イニシエーション)を通っていない新入社員が、混在しているということである。この混在した環境が状況を複雑にしている。つまり、ひとつの企業のなかに、職業人としての段階が全く異なる新入社員が交じりあっているのだ。

第四章(「ありのままで」、でも「なにものか」になりたい)

・情報が大量にタダで獲得できる世の中で、キャリアや仕事、ワークスタイル、ライフスタイルに関する情報が肥大化している。このことが、職業生活上のアクションを起こすことの足枷になっている、ということはないだろうか。

・情報化社会だからこそ、一歩の行動の価値が高まっているのだ。逆に言えば、検索すればすぐに出てくる仕事の情報や、他人のキャリアの成功談だけでは、豊かなキャリアをつくることは難しいのだろう。

第五章(若者と職場の新たな関係)

・次世代の仕事の移行の在り方は、所属組織に対するコミットメントの比率を下げて、別の活動にコミットし、その後にコミットメントの割合を移す形態をとるのではないか。

第六章(若手育成最大の難問への対処)

・しかし、もう元には戻れないのだ。日本の職場は期せずして2010年代後半以降の労働法令改正によって、「グレートリセット」されてしまったのだ。法改正は社会規範の変化に伴って起こった動きであり、それは一言で言えば不可逆な変化なのだ。かつての職場で育て切る手法は、もう十全に採ることができないのだ。

第七章(助走としての学校生活)

・この構図は、入社前の社会的経験を通じた、自分だけの動機を見つけている若手社会人と相似形をなしている。キャリア形成の選択権が否応なく若者側にもたらされる時代に、動機なき学校選択は社会人となったのちのキャリア選択の足を引っ張るだろう。

・アメリカなどいくつかの国では、そもそもこの「はじめてのおつかい」のように、子どもを公共の場でひとりで歩かせた場合、育児放棄と見なされ警察沙汰となるそうだが、それは子どもを大人とは異なる明確な保護の対象として見なしているためだ。

第八章(ゆるい職場と新しい日本)

・ただ、「誰が若者を育てるのか」という問い自体を転換することが必要だとも感じる。もはや「若者自身が自分を育てざるを得ない」のだ。職場での成長はそのワンパーツでしかない。パラレルにどんな活動をするか含め、キャリアの組み合わせを考えられるのは自分しかいないのだ。

・この一点において「会社が若者を育てる」から「若者が会社を使って育つ」へのコペルニクス的転回が生じる。主語が変わってしまう。キャリア形成の主語たる若者が、相談役として支えるキャリアコンサルタントなど様々な人の力を借りつつ、考えて決定していく。仕事生活における余白が増え、自由度が増すなかで、この転回が大前提になっていくだろう。

・社会人になってから時間が経つほど自律的でなくなっていく傾向が日本の若手にはある。「会社人間になって会社に言われることだけ言われた通りにこなす社会人になる」ことの”魔力”に抗うことがいかに難しいことか。

コメント

冒頭にも記載したとおり自分自身が若手の部類かというと際どいところであるが、記載されている内容に当てはまるものも多数あり、自分の考えが言語化されている気分になる部分が多かったように感じた。

特に、章タイトルにもなっている「『ありのままで』、でも『なにものか』になりたい」というのはまさしく、といったところ。

死に物狂いで頑張るわけでもなく自分自身のありのままでいたいが、凡百の他人と同じように生きるのは嫌だという、わがままで矛盾した考えを、恥ずかしながら自分自身抱くことが多い。

これは特に若い人に共通の考えないのかもしれないが、時代が進むにつれてより顕著にこの考えが否定的に捉えられず、誰もが少しは肯定するようになってきているようにも思う。個性を大事に、という主張にも見られるように。

結局はその人自身がどれくらい努力をし、行動を起こすかによって「なにものか」になるのは決まるのはわかっているけれど、それを実行することは難しい。だからこそ、この悩みが発生するのだろうけど。。。

また、「時代が『会社が若者を育てる』から『若者が会社を使って育つ』へのコペルニクス的転回」というのもまさしく自分が薄々感じていたところが明確になった箇所。

主語が会社から若者(個人)に変わり、どれだけ主体的に自分で行動していくかが、個人の成長を左右するようになったということ。

これは結構シビアな話で、「社会人になってから時間が経つほど自律的でなくなっていく傾向が日本の若手にある」という話のとおり、会社員をして慣れてくるとどんどん指示待ち人間だったり、言われたことだけ実行する人間になりやすくなる。

これは自分の会社の先輩と話をしていてもよく聞く話だ。「自発的に頑張るだけ無駄」といった考えを持つ人が結構いる。

確かにこの誘惑は強い。抗うのが難しい。

しかし、これはあくまで今の待遇の延長線上で考えている世界において為せる技でもある。

人事評価のシステムや雇用形態が変更されれば、そんな呑気な選択をしていると真っ先に足元をすくわれてしまう。

まあこの辺りをしっかりとウォッチして冷徹な計算のもとに指示待ち人間になっている人もいるのかもしれないけれど・・・。自分が定年まで逃げ切れるという話の前提のもとに話を組み立てられる年齢であれば、それもまた「合理的」な選択なのかもしれない。

かくいう自分はその選択を取るには未来の変更が生じる可能性が高く、不確定要素が多すぎると考える。

だからこそ、この書籍にあるように様々な働き方の変革もチェックしながら、地道に仕事を頑張っていくしかない。

一言学び

『ありのままで』、でも『なにものか』になりたい


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