楠木建氏の『室内生活 スローで過剰な読書論』のなかに次のような話が出てくる。
ノーベル経済学賞を受賞したハーバード・サイモンは、「インフォメーション(情報)」と「アテンション(注意)」を対にして考えるべきだ、という。なぜならば、この二つはトレードオフの関係にあるからだ。「情報の豊かさは注意の貧困をもたらす」という名言を彼は残している。
『室内生活 スローで過剰な読書論』
これだけ情報が溢れれば、一つ一つの情報に対する注意は当然ながら減少していく。
人間の持ち時間は限られているし、注意力も有限であるから当然の帰結ではあるのだが、確かにそのとおりだと感じる。
卑近な例でいえば、受験勉強でも英語勉強でも参考書や問題集が増えれば増えるほど出来が良くなくなる傾向が強いように思う。(実体験として)
これも色々な参考書や問題集というインフォメーションは増える一方で、その一つ一つに対してのアテンションは散漫になる結果だといえる。
わたしは、受験生時代は大量の参考書や問題集を集めていたし、今でも英語関連の書籍はどんどん購入してしまう。
そうやって情報だけを集めた結果、一つ一つの書籍に書いてあることへの注意力が落ち、結局なにも身につかないで終わるということを何度となく繰り返してきている。
対照的に成功とまではいえないが、簿記2級に関してはテキストの手を広げすぎなかったことで合格(ボーダージャストだったが)できたことの要因になっているようにも感じる。
自分でいうと読書に関しても、どんどんと新たな書籍を購入していくので、インフォメーションは加速度的に増加しているが、アテンションという自分の資源が一定であることを考慮すると、あまり多くの書籍を購入したところで身につくものは多くないのかもしれない。
昔のように本一冊を暗証するか、書き写すかしないと次に移れない、といった縛りがあったほうが知識は血肉化しやすいのは納得がいくところ。
スマートフォンをいじるのも、ただただ情報量を増大させるだけであることを考えれば、なるべくスマートフォンを触らずに情報をシャットアウトしたほうが好ましいのかもしれない。
デジタル・デトックスが人口に膾炙してきたが、注意力の回復も期待できそう。
ただ、こうなってくると、どの情報を自分の頭に入れ込むか、その情報の選別作業が必要になってくる。この目利き作業をどうするか。。。
ここを他者に委ねると、また他者依存・レビュー依存になりそうではあるが・・・。
いずれにしてもまずは意識的に情報を絞ることから始めてみようと思う。
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