読書レビュー:『信仰』(村田沙耶香)

読書

読みたいと思ったきっかけ

新聞の書評欄で見かけたのがきっかけ。

村田沙耶香氏については佐藤優氏の著作のなかで『コンビニ人間』が薦められており、前から読みたいとは思っていたものの手が伸びずにいた。

今回の作品は短編が中心なので、小説をほとんど読まない自分でも読めるはずと考えて購入した。

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内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

No.1 信仰
No.2 生存
No.3 土脉潤起(どみゃくうるおいおこる)
No.4 彼らの惑星へ帰っていくこと
No.5 カルチャーショック
No.6 気持ちよさという罪
No.7 書かなかった小説
No.8 最後の展覧会

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

信仰

・私は子供のころから、「現実」こそが自分たちを幸せにする真実の世界だと思っていた。私は自分だけでなく、周りの人にもそれを勧め続けた。

・「そりゃ、ミキが正しいのかもしれないよ。でも、それがなおさら嫌なの。『現実』って、もっと夢みたいなものも含んでるんじゃないかな。夢とか、幻想とか、そういうものに払うお金がまったくなくなったら、人生の楽しみがまったくなくなっちゃうじゃない?」

生存

・生存率とは、65歳のときに生きている可能性がどれくらいか、数値で表したものだ。今の時代、お金さえ払えば大抵の病気は子供の頃に治せてしまうので、生存率は本人が得るであろう収入の程度の予測とほぼ比例している。生存率には、温暖化や地震による災害の計算も含まれている。でもそれも、収入があるほうが安全な土地の丈夫な家に住めるので、結局、収入格差と生存率格差がほとんどイコールなのは変わらなかった。

・勉強をさぼるようになると、「B」まで上がっていた生存率はあっさり落ちていった。別にいいか、という気持ちだった。生存率に支配されながら生きるより、生まれたままの生存率で生きて、ほどよいタイミングで死ぬほうがずっと健全な気がした。

・「いや……クミ、ちょっと待ってよ。生きものって、本来そういうものでしょ。そりゃ、数値にしたことで私たちはいろいろ自分を見失っている面もあるかもしれないけど。でも、『生き残る』って、動物として一番基本的な本能じゃない?それこそ、全ての生きものは遺伝子にコントロールされていて、自分の種族を残そうとしている。それを数値化したのが『生存率』ってだけじゃない」

彼らの惑星へ帰っていくこと

・私が生まれたままの正確でこの世に存在していても嫌がられない場所、私が上手に人間を演じなくても愛情を感じられる場所、そんな場所は、この世に唯一、その不思議な惑星しかなかった。私は、地球人と会話をしなければいけない時以外、ほとんどの時間を、その惑星で過ごすようになった。初恋も、初めてのキスも、デートも、初めてのかくれんぼも、家族のように笑い合って一緒に眠るのも、全部、イマジナリー宇宙人が相手だった。

カルチャーショック

・この世界には、「均一」と「カルチャーショック」の二つしか街がない。僕の住む「均一」はこの街とはぜんぜんちがう。同じ高さの、同じ形の、同じ真っ白な色をしたビルが、まるで絵本で見た水平線みたいに、遠くまでずっと続いている。歯がならんでいるような、真っ白なビルの海。僕は、その光景をとっても綺麗だって思う。

・僕はこの「カルチャーショック・タウン」が気持ち悪い。いつもみたいに、真っ白なビルが永遠に並んでいる光景のほうがいい。いろんな形の建物、いろんな匂いがする食べ物、それは確かに異様で僕にショックを与えるけれど、僕は別にそんなこと望んでいない。ショックを喜ぶ人は中毒みたいに、「もっと強いカルチャーショックをくれ!」って騒ぐんだ、パパみたいに。

気持ちよさという罪

・当時の私は、「個性」とは、「大人たちにとって気持ちがいい、想像がつく範囲の、ちょうどいい、素敵な特徴を見せてください!」という意味の言葉なのだな、と思った。私は(多くの思春期の子供がそうであるように)容易くその言葉を使い、一方で本当の異物はあっさりと排除する大人に対して、「大人の会議で決まった変な思い付きは迷惑だなあ。また大人たちが厄介なことを言い出したなあ」と思っていた。平凡さを求められたほうが、それを演じればいいのだから、私にとってはずっとましだったのだ。「(大人が喜ぶ、きちんと上手に『人間』ができる人のプラスアルファとしての、ちょうどいい)個性」という言葉のなんだか恐ろしい、薄気味の悪い印象は、大人になった今も残っている。

・「村田さん、今はずいぶん普通だけれど、テレビに出たらちゃんとクレージーにできますか?」深夜の番組の打ち合わせでプロデューサーさんにそう言われたとき、あ、やっぱり、これは安全な場所から異物をキャラクター化して安心するという形の、受容に見せかけたラベリングであり、排除なのだ、と気が付いた。そして、自分がそれを多様性と勘違いをして広めたことにも。私は、そのことをずっと恥じている。この罪を、自分は一生背負っていくことになるのだと思う。私は子供の頃、「個性」という言葉の薄気味悪さに傷ついていた。それなのに、「多様性」という言葉の気持ちよさに負けて、自分と同じ苦しみを抱える人を傷つけた。

コメント

小説という形態を久しぶりに読んだ。

小説という形態に詳しくないのでよく分かっていない部分もあるが、純文学というよりもやや近未来的な話が多かった印象。

個人的な感想としていえば小学生のころに読んだ星新一の世界観に近いものを感じた。

もちろんテーマというか、背景はより深いが。

どの作品も示唆に富んでいるし面白かったが、書籍のタイトルにもなっている『信仰』はまさしく今話題に問題ずばりといったところ。

初出が2019年ということなので予知的な作品にも読めてしまう。

カルト的なものに対して一般論として嫌悪感を抱き、自分は違うと思うのが通常。

しかし、よく考えてみれば高価なブランド品を買うことも、また逆に徹底的にコスパにこだわって倹約に努めることも、カルトと同じようにある世界観を「信仰」しているに変わりない。

特に『信仰』の主人公が徹底的に原価を計算したうえでコスパ重視を信条としている姿は、自分にも当てはまる節があるので読んでいて少し背筋が凍る思いがした。

何かの価値体系を信じないと日々の生活を営むのも難しいし、何も行動できなくなってしまうので、その意味では各人が信じる価値体系に準じて動くことに問題はない。もちろん他者危害の原理のもとでであろうが。

ただ、カルトのように常識でない部分で何かを信仰するにしても、高級ブランド品に価値を見いだすにしろ、はたまたコスパ重視に生きていくにしろ、いずれにしてもお金に支配されていることに変わりはない。

現下の日本でいえばお金の支配は資本主義を意味していて、結局は一番の根本的なシステムである資本主義、お金からは逃れられない。

高級ブランド品志向、コスパ志向は言わずもがなお金が基準になっているし、カルト信仰にしても結局は「お布施」といった形や、何かを高額で販売したりすることで集金してしまうことを考えると、お金という基準からは逃れられていない。

まったく山奥で自給自足の生活をすればお金から逃れられるのだろうけど、そういった形式のカルトってあまり聞かない。わたしが知らないだけかもしれないが。

そもそもそういった自給自足形態を取っているのであれば、ほとんど誰にも迷惑が掛からないから問題が顕在化しないのかもしれない。

そうやって考えると、世の中「お金」だと改めて感じる。それは良い意味でも悪い意味でもあるのだろうけれど。

現代を生きていくうえで資本主義、お金は大前提であるがゆえに、ついつい無自覚でいてしまうが、そのシステムに乗っかって生きているということを自覚することが必要かもしれない。

それを知ったところでどうこうできる問題でもないのだけど。。。

一言学び

『現実』って、もっと夢みたいなものも含んでるんじゃないかな。

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