読書レビュー:『バカロレアの哲学』(坂本尚志)

読書

読みたいと思ったきっかけ

新聞の書評に掲載されているのを見たのがきっかけ。


内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

プロローグ    
第1章 哲学を学ぶフランス人
第2章 「思考の型」とは何か?
第3章 「思考の型」の全体像
第4章 労働、自由、正義
第5章 「思考の型」で哲学する
第6章 「思考の型」をさまざまな場面で応用する
エピローグ    
おわりに    

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

第1章(哲学を学ぶフランス人)

・バカロレア試験とは、フランスの高校生が卒業時に受ける試験です。合格すると高校卒業資格が取得できます。それは同時に大学入学の資格にもなります。バカロレア試験の歴史は、皇帝ナポレオンの時代である1808年にまでさかのぼります。当初は口述試験でしたが、1830年には筆記試験が導入されました。それから幾度もの改革を経ていますが、今も変わらずフランスの教育の節目の位置にあります。ちなみに、最近日本でも取得できる学校が増えてきた国際バカロレア(IB)とフランスのバカロレアは、名前が似ているだけでまったくの別物です。

・実は、バカロレア哲学試験は「自由な思考」ができるかどうかを見る試験ではありません。単なる「意見」や「感想」を書く試験でもありません。その意味では、日本の小論文や読書感想文とはまったく異なります。日本の文章教育では、形式にとらわれれない思考や、書く人の個性や感性が表現されていることが評価されることが多いのかもしれません。そうした先入観でバカロレア哲学試験の問題を見ると、まさに自由で創造的な思考を文章によって表現することが求められているように思えるかもしれません。実際にバカロレア哲学試験が試すのは、「思考の型」がマスターされているかどうかです。

・まず注意すべきなのは、フランスの高校での哲学教育が、知識や学問としての哲学を習得させることを目的としていない、ということです。哲学教育の目的は、権威を鵜呑みにせずに自分で考え、発言し、行動することができる「市民」を育てることです。そのための手段が哲学です。哲学の歴史やさまざまな哲学者の主張を理解すること、覚えることではなく、そこでどのような思考の方法が使われており、どのようにそれを使うことができるか、を知ることが重要なのです。

第2章(「思考の型」とは何か?)

・フランス人の多くは確かに哲学を学びますが、それは「哲学ができる」ということと同じではありません。バカロレア哲学試験の成績から明らかな通り、多くのフランス人が哲学を得意とはしていません。それは問題のせいなのか、採点のせいなのか、あるいは他の原因なのかは明らかではありません。

・つまり、新しいものをつくるためには、それまでに音楽というジャンルで蓄積されてきた成果を知らなければならないのです。文学にしても美術にしても、そしてもちろん科学でもそれは同じです。過去を踏まえることは決して遠回りではなく、必要な手続きなのです。こうした過去の蓄積を無視すると、知らず知らずのうちにこれまでに誰かがやったことを新しいものと勘違いしてしまったり(いわゆる「車輪の再発明」というものです)、ジャンルの「お約束」を無視して、誰にも理解されないものができあがったりします。

・もちろんそれは本を一冊暗記しなければならないということではありません。頻出の引用とその哲学的意義を覚えていれば十分です(それでもすごいことですが)。そして、重要な引用をリストアップした参考書などもありますので、そうした本の助けを借りながら生徒たちは重要な引用を頭に入れていくのです。この意味では、哲学といえども「暗記科目」の側面があり、知性のひらめきや文才ではなく、地道で粘り強い努力が必要であるということになるでしょう。…優秀な生徒は、西洋では教養のしるしであると見なされる文学作品(特に詩)を暗誦するのと同じように、哲学書の一節を暗誦できるのです。

第3章(「思考の型」の全体像)

・アメリカ式のエッセイでは、自分の支持する意見をまず最初に書き、その論拠を三つ示し、エッセイの最後で自分の支持する立場を再度結論として提示するという方法がとられます。このやり方は日本でも小論文のお手本とされることがあります。しかし、渡邉雅子氏によると、実はこの書き方自体、1960年代に大学が大衆化し、それまで「正反合」の図式で書かれていたエッセイの「反」と「合」が抜け落ち、簡略化されたものなのです。いわばアメリカの大学版「ゆとり教育」の産物です。ですから、わざわざお手本とあがめることはないでしょう。

第6章(「思考の型」をさまざまな場面で応用する)

・普通はまず「問題意識」があって、そこから「問い」が浮かび上がってきます。確かにそれが正しい順序でしょう。でも逆に「問い」を複数作ってから、自分の「問題意識」に合うものを探す、というやり方があってもいいと思うのです。「問い」はできるだけ多く作ったほうがいいでしょう。この「問いの物量作戦」が、自分の抱えている問題の輪郭をはっきりさせてくれます。ですから、「形から入る」ことで「問題意識」を持つことができるのです。

・さまざまな形で問いを作り、その中から自分の関心に近い問いを見つけることは、自分の中の問題や困難を言語化する一つのよい方法でしょう。

エピローグ

・先ほども見たように「思考の型」は決して万能ではありません。しかしそれでもなお、そうした「型」を持たないわれわれにとっては学ぶことの多い理念です。完璧ではないものの、非常に有効な理念を、全面的な賞賛でも完全な拒絶でもなく吟味し、見習うべきものは取り入れるという姿勢こそが必要とされます。

コメント

フランスでバカロレアという試験が実施されているという事実は知っていたが、それがどういう内容でどういった形で実施されているかはまったく知らなかったが、本書を通じてバカロレアの概要も知ることができた。

そのバカロレアのなかでも有名なのが哲学の試験で、その試験における解答に際して重要な「思考の型」を説明したのが本書である。

「思考の型」では問題の分析、用語の定義から始まり、問題への肯定・否定の選択肢をそれぞれ示し、それを踏まえたうえでどちらを選択するか、または第三の選択を取るかといった結論を導く一連のプロセスの形を指している。

そのプロセスのなかでも反対・否定の意見を尊重することが重視されている。それはそういった反対意見の妥当性・論理性のそんちょうが、民主主義社会において必要な態度であるからであり、この点がアメリカ式のエッセイの型と異なるという指摘には目を開かれた。

確かに反対意見を必ず入れるという形になっていれば、自然と自分とは逆の立場の意見についても考えるようになるはずだし、それこそが民主主義国家における市民のあり方として健全なものなのだろう。

そう考えるとこういったバカロレアの哲学試験で意図的に反対意見を尊重するような行為態度を涵養するように仕組み化しているのはさすがフランスといったところか。

フランスの高校生がバカロレアの哲学試験でどうやって問題を解いているのか、その一連のプロセスを本書では例題を通じて知ることができる。

バカロレアに興味のある人はもちろん、哲学に興味のある方も哲学を主題にしてどういった試験が実施されているのかを知る意味でも本書は役に立つはず。

一言学び

過去を踏まえることは決して遠回りではなく、必要な手続きなのです。


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