読書レビュー:『生き抜くためのドストエフスキー入門』(佐藤優)

読書

読みたいと思ったきっかけ

佐藤優氏の名前で検索したところ新刊として出ていたので購入した。


内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

はじめに 危機の時代の作家
第一章 『罪と罰』を読む
第二章 『白痴』を読む
第三章 『悪霊』を読む
第四章 『未成年』を読む
第五章 『カラマーゾフの兄弟』を読む
あとがき    

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

はじめに(危機の時代の作家)

・緊急事態宣言をめぐって、「優先すべきは命か、経済活動か」という議論がありますね。もちろん命の方が大事に決まっているけれど、そもそも私たちが生きる資本主義社会は労働力を商品化する。すなわち命とカネを交換するシステムで成り立っています。システムのどこかに手を加えないと格差は止まりませんが、実際にどうすれば有効なのか、これはかなりの難問です。

・ちなみにドストエフスキーに生年の近い有名人は、1823年生まれの勝海舟、25年の岩倉具視、27年の西郷隆盛あたりかな。西郷さんは大昔の人だという感じがするけれど、ドストエフスキーが描いている世界はかなり現代に近い感じがしませんか?このことは西郷さんが資本主義と関係がなく、ドストエフスキーは資本主義のある世界に生きたことと関係しているのかもしれない。そんな時代感覚の違いがあることも押さえておきましょう。

・シベリアのオムスク監獄まで徒歩で向かう途中、彼は聖書ーー一説には当時迫害を受けていた分離派の聖書だったと言われていますがーーをもらい、獄中に唯一持ち込むことのできた本であるこの聖書を徹底的に読み込みました。また彼は「監獄での4年間に人間観察の眼を養うことができた」と振り返ってもいます。これも私にはよくわかる話です。窮地に陥ったときの体験は、その人のその後の人生の思考や感受性に大きな影響を与えます。

・文体は作家の思想の反映でもありますが、逆に、文体が思想に大きな影響を与えることもあります。口述による文体がドストエフスキーの思想にどういう深みや変化を与えたのか、これは研究すべきテーマでしょう。

第一章(『罪と罰』を読む)

・ドストエフスキーの作品の概要については、日本語版のウィキペディアの作品ごとの解説も意外とよくまとまっているのでおすすめします。ロシア文学の専門家が書いたのか、記述も極めて正確ですよ。ドストエフスキーを読む際には登場人物の名前がけっこう重要で、そのくせ一般の解説書には書かれていないことも多いのですが、ウィキではその点にも触れています。

・ラザロの復活とは、『新約聖書』の「ヨハネによる福音書」に収められているエピソードで、イエスが死後4日も経ったラザロという男を墓から甦らせたという奇跡が語られます。じつは神学的には、この奇跡に本質的な意味はありません。だって、ラザロは甦ってもえいえいンの命を得ることなく、やがては結局また死ぬのだからね。ですが、神による救済の凄さを象徴する話として、「ヨハネ」を伝統的に重んじてきたロシアではよく言及される有名なエピソードなんです。

・パリサイ派(ユダヤ教の一派)も復活は信じている。ただしパリサイ派の復活は、マルタが理解している通り、「終りの日」に起きる。それに対してイエスの復活は、今この瞬間でも起こすことができるものなのです。これがキリスト教とユダヤ教の本質的な違いです。

・「踏みこえた」と言っていますね。『罪と罰』の原題は<プレストゥプレーニェ・イ・ナカザーニエ>で、「罪」を意味するプレストゥプレーニェには「踏みこえること」という意味がある。この小説の最重要キーワードです。

・はい、『罪と罰』全編の決定的なセリフである「ひざまずいて、あなたがけがした大地に接吻しなさい」が出てきました。ここで、ついに明らかになるのはソーニャの信仰の対象がじつはロシアの大地であって、キリスト教ではない、ということですよ。キリスト教において大地というのは神によって造られたものなので、それを救済の根拠にするのは偶像崇拝に当たるため絶対にNGです。

・だからどう読んでも、これがキリスト教小説だとか、イエス・キリストを信じることによって救済を得られた小説だとは考えられない。

第二章(『白痴』を読む)

・これは新潮文庫版『白痴』の翻訳をした木村浩さんがあとがきで、「この言葉(評者注:白痴)を「無垢の人」といったニュアンスで受け取ることのないよう注意しておく」とわざわざ書いているように、じつは大変重要なことです。

・カトリックの救済観は砂時計のモデルで理解するとわかりやすいんです。カトリックにおける救済は、神から人間への一方的な恩寵であり、それはイエス・キリストが砂時計のくびれの部分にあたります。これに対して、正教の場合は、逆に下から上へと上がっていく。すなわち人間が神になるというのが正教の究極的な目標なのです。われわれ一人ひとりは、みんな神になれるんだ。そんなふうに考えるんですね。

・ロシアは、西ローマ帝国を継承する欧米のカトリック・プロテスタント文明とは異質な世界なのです。ロシアの哲学者、ニコライ・ベルジャーエフはロシアはビザンチン帝国(東ローマ帝国)の後継帝国でキリスト教的東洋だと特徴付けました。私もこの見方は正しいと思います。日本人がロシア文学を好むのは、東洋性においてロシア人と共通するところがあるからだと思います。

第三章(『悪霊』を読む)

・洋の東西を問わず、文学作品のエピグラフに『聖書』の言葉が引用されることは多いのですが(例えばヘミングウェイ『日はまた昇る』や太宰治『桜桃』)、カッコよく見えるからなのか、文語訳を使いたがるんですね。でも、ダメなんですよ。なぜかというと、あれは漢訳聖書からの重訳で、つまりヘブライ語やギリシア語の聖書をちゃんと見ていない翻訳なのです。だから、われわれ神学の専門家は文語訳聖書をほとんど使いません。ただ文学の世界においては、いまだによく使われるので、「困ったな」と思いつつ参照することはあります。いま使うのなら、2018年に出た聖書教会共同訳の聖書が一番いい。最新の研究を活かした底本に即して、カトリックとプロテスタントが協力して出したものです。

・しかし何よりもここで重要なのは、悪霊がイエスを神の子(救世主)だと認めていることです。『聖書』のテキストで、イエス=神の子だと認められる場面はここが最初なんです。誰よりもまず、悪霊が認めたんだね。

・超高齢化社会になって死はますます重要な課題になっていくと思いますが、宗教を信じきれない現代においては、結局、「この世に投げ出された自分は死にゆく存在であり、それを自覚することで、もがきながら生きる」というハイデガー的な考え方しかないのかもしれません。それをドストエフスキーは悲壮な感じで展開していますが、死をいかに楽しげに、乗りのいい感じで捉えることができるかが今の哲学者に求められているテーマではないでしょうか。

・ドストエフスキーのような比較的新しい古典を含めて、古典を現代のわれわれが読む時には、自覚しているかどうかは別として、じつは補助線を引いて読んでいるんです。いまドストエフスキーを読む時に、一般読者が引く補助線は高橋和巳や小林秀雄ではないでしょう。亀山郁夫さんの提唱した<父親殺し>という補助線で読んでいる人が多いんじゃないかな。ただ、父親殺しというフロイト的な心理主義に還元した読み方だけだと、ドストエフスキーの世界を狭めてしまいます。でも、補助線がないと古典はなかなかピンと来ないし、無自覚に補助線を使っていることもあるし、そのへんが厄介なところです。結局、こんな補助線もあるんだ、といろいろな読み筋を知っておいたほうがいいんですね。

第四章(『未成年』を読む)

・ここまで『罪と罰』『白痴』『悪霊』と執筆順に読んできましたが、私は次の『未成年』こそ、ドストエフスキーの集大成だと思っています。なぜなら、『未成年』にはドストエフスキーがこれまで書いてきたテーマ、そして書きたかったテーマが全部入っている。しかし、入れ過ぎたんだね。そのため、ものすごく読みにくいところがあります。おそらく『未成年』は五大長編の中で最も読まれていないし、研究社によっては『未成年』を外して、「ドストエフスキーの四大長編」という呼び方をするひともいる。にほんでもドストエフスキーの作品中、最も読まれていない長編小説でしょう。

・本質において、ドストエフスキーは資本主義をわかっていなかった。そう考えてみると、たしかにドストエフスキーの作品中に、企業経営している人物は出てきません。彼の作品の登場人物がカネを得るのは、誰かの遺産をもらったときばかりです。そして、財産を残してくれる人は寄生地主です。だから、寄生地主からどうやってカネをむしり取ってくるかを考える人物もたくさん登場します。

・普通、これから時代を建設していくために「成熟しろ」「大人になれ」と言いそうなものですが、むしろ「未成年でいろ」とドストエフスキーは言っています。ドストエフスキー自身、幾つになっても、気持ちはいつまでも未成年なのです。これ、ちょっと村上春樹さんに似ていませんか?村上春樹さんは70歳を越えましたが、彼の書く物語の主人公は基本的に若者です。村上さんの長編小説の主人公で年齢が一番高いのは『騎士団長殺し』だとおもいますが、それでも30代半ばです。彼の主人公たちは人生での経験を充分には積んでいない<未成年>ばかりなのです。…村上文学がドストエフスキーに近いと指摘する人がいるのはそういう理由でしょう。多声的な部分がある点も共通しています。

第五章(『カラマーゾフの兄弟』を読む)

・この「人はパンのみに生くるにあらず」という言葉は、しばしば文脈を抜きにして解釈されます。文脈抜きだと、「人間はパンだけではなくて、精神的なものが必要なんだ」みたいになりますが、文脈からはそう読めない。…すなわち、神さまを信じていれば、食べるものは来るんだ、という意味合いになります。

・会わずして、その人の言っていることを信用するーーだから宗教なんですよ。しかも、その教えの体系が合理的だから信用するというのも、宗教じゃないんだ。不合理だから信用するんです。信仰の対象は、合理的なものではありません。合理的なものは実証的なものであり、つまり一足す一が二であるように、これは信じるとか、信じないという対象ではなく、受け入れないといけないことにすぎません。科学も数学も受け入れるもので、信仰の対象ではないのです。

・ロシアの共産主義について理解するには、マルクス主義の知識はまったく役に立たない。ロシアの思想家、知識人、インテリゲンツィヤという人たちはインテレクチュアルとは違う。つまり、そんなに知識の水準は高くなくてもいいんだ。ただ、その思考様式は独特で、自分の観念と行動を極力一致させていこうという意識がある。これはロシアの修道院における異端者のグループと似ている。この連中の歴史や意識を掴まえないと、ボルシェビキというレーニンたちの現象は理解できないーー。

・だからドストエフスキーはここで遊んでもいるんです。読者たちのキリスト教の知識がどの程度のものか、こういったことを書いて、「え!これ、ぜんぜん違うじゃない。キリスト教じゃないじゃない」と思う人がどれぐらいいるか、試しているわけです。日本のドストエフスキー読みには、わかる人、ほとんどいないんじゃないかな。

・でもドストエフスキーは、ゾシマが間違えていることを作品の中でちゃんと種明かしもしています。どこで?ゾシマが死んだあと、ものすごい腐敗臭がするでしょ。ロシア正教においては「聖人は腐らない」という伝説がある。腐らずに、つまりミイラになるわけです。だからロシア正教の教会は、ニコライ堂も京都の正教会も必ず、不朽体と呼ばれる聖人の遺体を宝座(祭壇)の下に安置しています。

・そんなプーチンにとって、ロシア国家は帝国でないといけないわけです。この「帝国」というのは領域拡張型帝国ではなく、ネットワークの帝国です。要するに、ビザンチン(東ローマ)帝国型なんだ。ビザンチンが1000年以上ももったのは、ネットワークであっちこっちと関係を持って築いていたおかげなんですよね。プーチンがシリアでも中国でも手の組めるところとどんどん組んでいっているのは、ネットワーク型帝国を目指しているからですよ。

あとがき

・私も作家としては、熱くあるか、冷たくあるかのいずれかでありたいと思っている。真理は常に極端な言説の中で、明確な姿を取るということを私はドストエフスキーの小説を通じて学んだからだ。

コメント

本書の中でも述べられているのだが、この本は「作品全体を圧縮してまんべんなく話すことはせず、作中の重要なポイントになる場面を抜き出して、そこをじっくり丁寧に読んでいく方法」を取っている。

そのためこの一冊を読んだからといってドストエフスキーの各作品のあらすじが大方わかるような本の構成にはなっていない。もちろんある程度の流れはわかるけれど。

基本的には神学的な視点からみたドストエフスキー解釈本といった感じだが、現下のプーチン政権の話につながる部分や、村上春樹文学との共通点など現代に通じる話も随所に散りばめられている。

正直こういった古典作品を読むのは難しいというのがわたしの率直な思いであり、大変恥ずかしながらドストエフスキー作品を今まで一度も読み通したことがない。

佐藤優氏が指摘するとおり名前の複雑さや時代背景、宗教背景などがわからないこともあって読んでいて難しく感じてしまい、ついつい遠ざけてしまっていた。

もちろん色々な解説本が世の中には出ているし、ドストエフスキーほど有名な作品であれば、わからない部分については調べれば必ず出てくるであろうから、地道に取り組めばいいのだけれど・・・。

とはいえ調べながら読み進めるのも、時間が掛かり読書としての楽しみを感じられないような気もして少し気が引ける・・・。

そうなるとやはりある程度はキリスト教の知識であったり、時代的な背景を頭に入れ込んだうえで読み進める他ない。

日本文学・世界文学を問わず古典的な文学作品に触れていこうと最近考え始めているのだが、わかっているけれどこれはなかなか「重労働」。

やはりこういった取り組みは時間のある大学生のうちにしっかりと行っておくべきだと、今さらながらに後悔している・・・。

まあ今さら言っても仕方ないので、少しずつ古典作品に取り組んでいきたい。

一言学び

口述による文体がドストエフスキーの思想にどういう深みや変化を与えたのか、これは研究すべきテーマでしょう。


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