読書レビュー:『父親になるということ』(藤原和博)

読書

読みたいと思ったきっかけ

本屋でたまたま見かけたのがきっかけ。

子どもが大きくなるにつれて、どう接すれば子どもの成長に資するのかを考える機会が多くなってきたこともあり、そうしたヒントを得る意味で購入した。

内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

序章 ロンドンにて
1章 プレストン通りの12月
2章 退学の日、誕生の日
3章 ハハジンを探しに
4章 パワー先生の通信簿
5章 父の勘違い
エピローグ 帰還
エッセイ 子育てによる「親育ち」(宮台真司)

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

序章(ロンドンにて)

・学校でそのように教育されるのではない。私の言葉や態度の端々に、そのことが染みついており、子どもにじわじわ染み通ってゆくのだ。

・自分が受けた呪縛で、さらに子どもを縛ろうとすると、彼らのこころのなかで、自分に対する自信が弱められてしまう。だから父はまず、自分が何に呪縛されているかを知らなければならない。

1章(プレストン通りの12月)

・親は、いま目の前にある現実の風景を隣りに座っている子も共有していると思っている。自分が生きている空間と時間は、子どもにも共通だと信じている。ところが子どもの目は、親とは違うものをとらえている。はるかに豊かなイメージで、同じ現実をとらえている。だから、ああ勘違いの風が吹く。

2章(退学の日、誕生の日)
3章(ハハジンを探しに)

・私自身が、そのような経験したことのない状況下でストレスが高くなりいら立っていた。いや、私も玄と同じように怖かったのかもしれない。外国人に囲まれるのが怖い。英語が通じるだろうか。質問されたらどうしよう。質問の意味さえ分からないんじゃあないか。それは、私自身の存在感の危機でもあった。

・たった一人だけ、下に赤ちゃんが生まれてもまったく変わらない子がいて、「おうちでどのように接しているんですか?」と聞いたら、お父さんがその女の子をかわいがって、つきっきりで相手をしてあげていたんだそうです。

・だから、ロンドンに来て初めて玄と私との本当の関係が始まったとも言える。それまではただ遊んであげる対象だ。私は子どもというおもちゃを前に父親を演じていただけで、一児の父ではなく、一児のサラリーマンだっただけかもしれない。

・幼児の時間は、大人の時間よりもゆっくりと流れている。

・幼児は、そのようにプロセスを楽しむ達人だ。

・日本にいたとき、私もかおるもしらずしらずに連発していた言葉がある。「早くしなさい」「ちゃんとしなさい」「いい子ね」この三つの言葉だ。

・私は子どもに新しい場所での居場所を与える、そんな小さなきっかけを”かたつむり効果”と呼んでいる。

・日本語で通してもいいから、異なる世界の人々を怖がらないで遊べる子が一番強い。そう、日本語を通してもよかったんだよ。英語なんて関係なく、自分のやりたいことを遊びのなかで表現していけること。仕事の世界だって同じかもしれない。

4章(パワー先生の通信簿)
5章(父の勘違い)

・いいネタを見つけたかもしれないというかすかな自信が、私に気持ちの余裕を与える。私のリラックスした様子は、そのまま玄の精神的な安定の基盤になる。家族の意味についてまるで音痴としか言いようのなかった父親一年生の私にも、ようやくそれが分かってきた。

エピローグ(帰還)

・父というものは、自分たちの父親の真似をして子どもに常識を押し付ける性なのではなくて、子供とともに常識をくつがえしていくほうの性なのではないか。子どもに刺激されながら、子どもとともに「なんか、変だなあ」という疑問を問いかけてゆく性なのではないか。

エッセイ(子育てによる「親育ち」(宮台真司))

・親の勝ち組・負け組コミュニケーションの中で育った子の九割以上は、自尊心を保てない。

・一つの仮説は、自己評価が低いと自分のことに関心が奪われ、社会のことを考える余力がなくなること。

・自分が生き残るには絆が必要だという損得勘定は、定義によって絆ではない。絆の定義は、自分が犠牲になっても助けたい人がいること。

・かくて子供が地域で育つことがなくなった。冒頭の「子が親に抱え込まれる時代」が始まった。柳田に戻れば、日本には親が子を躾ける伝統がなく、漁村では誰が父親かも問わなかった。親は子の扱いを伝承されていない。だから、子の抱え込みが大きな危険を意味するのだ。

・アフォーダンスがなければミメーシスもあり得ない。

・親業ワークショップでは「言外・法外・損得外」の体験質が得られる体験のデザインを親に示す。具体的には、外遊びの体験デザインとして、「虫取り」と「焚き火」を推奨する。子供が「言葉の外で身体が繋がる」「同じ世界に入る」体験が得られるからだ。

・やるべきことは明らかだ。社会がどうなろうが、誰もが自分の子だけは劣化してほしくないと思う。ならば、思うだけでなく、劣化した社会を支える劣化した「クズ」にならないための方法を実践し、受け渡していくべきだ。それは、今この瞬間からでも始められる。それはミクロな実践だ。むろん日本をマクロに立て直したい。だが、人びとがちゃんとしていないのに、日本がちゃんとするなど、あり得るか。人びとがちゃんとしていないのに、制度を変えれば幸せになれるなど、あり得るか。無理だ。だからミクロから始めるのである。

コメント

読んでいて、自分も普段の生活で感じている部分が多々あった。

例えば、自分に余裕がないと子どもへの接し方はどうしてもキツイ言い方になりがちだ。これは妻との口論で先日わたしがまさに感じたことだった。

また自分のこれまで受けてきた価値観が無意識のうちに子どもに伝播してしまうというのも非常に納得してしまう。

わたし自身が人よりもきれい好きということもあり、それを子どもに強制してしまったり、できていないと怒ったりすることがある。

自分としてはそれが当たり前だと感じてしまっているが、人によってはそんなことに無頓着であることも大いに有り得る。そんなことも想像できない自分は、いかに視野の狭さことか。

本書自体は中身としてまさに父が子に接する際の事例集として機能しているが、それに加えて本書は文庫版の付録として宮台真司氏によるエッセイが掲載されており、そこで子育ての難しさの背景・歴史を説明されている。

宮台真司氏はエッセイのタイトルを「子育てによる「親育ち」」としているが、まさしく藤原和博氏のロンドンでの子育て記録である本書はそれを証明している。

何も意識していないと子どもに対して何となくテキトーに接してしまい、そうしていつの間にか子どもは大きくなってしまう。

これは利己的な発言であるが、そうなってしまっては「子育てによる「親育ち」」の機会を損失することになる。

利己的とはいっても親が成長しないと子どもに悪影響があるという点では「利他的」なのかもしれないが・・・。

いずれにしても子どもに接する際の参考書として使っていきたい。

一言学び

父はまず、自分が何に呪縛されているかを知らなければならない。


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