お年玉をケチりたくなる気持ち?

日々の生活

お正月といえばお年玉。

子どもの頃はお年玉を貰えることが純粋に嬉しかった記憶がある。

貰ったお年玉を正月明けに計算して、何を買おうか予算立てすることが楽しかった。

誰が決めたわけでもないが、社会人になると貰う側から渡す側になる。

いざ渡す側になってみると、親戚の子どもの数だけお年玉を渡すわけであるから、金額を調整しないと結構な額を負担することになる。

1人5,000円としても10人いれば50,000円になると思うと、そこそこ大きい出費だ。

渡す側になってみると貰う側では考えもしなかった「お金」の問題に直面することになる。

ネットなどを見ていると「お年玉が頭痛の種」「親戚と会わないようにしている」など、お年玉にまつわる苦悩やその回避手段が割と目につく。

確かに自分も「このお年玉がなければ、あれを買えるな」としょうもないことを考えてしまうことがないわけではない。

それこそ年に1回しか会わない親戚に対してなんでお金を渡すのか、よく考えてみると説明がつかない。(説明がつかないのが文化なのは承知のうえだが)

しかし、ここ2〜3年はむしろお年玉を渡すことをポジティブに捉えるようにしている。

それは単純に自分が受けた恩恵を次の世代に返すことが重要と思い始めたから。

そこまで仰々しく言う必要もないが、お年玉を貰って十分に受益したにもかかわらず、あげる側になったときにそこをケチるのは筋が通らないように感じてきたのが大きい。

マルセル・モースの贈与論ではないが、お年玉を貰ったという感覚がお年玉を渡さねばという使命感につながっているのかもしれない。(これは心理学でいう返報性の原理にもあてはまるか)

幸いにしてお年玉を渡したとしてもすぐに困窮するわけではないわけで、そういった状況を鑑みればむしろ積極的にケチらずお年玉を渡していくことは広い意味での寄付に該当するようにも感じている。身内でお金を回しているだけなので寄付とは違うかもしれないが。

ということで来年以降もお年玉をケチらずに渡していこう。これまで受けた自分のお年玉を返還すると思えば道理にもかなうし、そうでなくとも寄付だと思えば良い活動と考えられる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました