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夢や目標の抱きかた(goodはgreatの敵)

今現在の自分がGoodであるという自信も確信もないが、曲がりなりにも生活はできている。 そういった状況に浸かっていると、なかなか夢や目標をセットすること自体も難しくなってくるのだろうか。 仮に持てたとしても、それを達成してやるという強い思いや気持ちが働かないのかもしれない。 ただ自分の怠惰を棚上げしている気もするけど・・・。 「夢や目標を持ち、それに向かって行動する」という一連のプロセスは皆がわかっている当たり前のものであるが、この実行は意外と難しい。 かといってGoodと思える状況を手放すかというとそれもまた難儀する。。。 だからこそ、"Good is the enemy of great"というフレーズが意味を持つのだろうけど。
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仕事での体力とは

最近、体力の衰えを感じる。 毎日睡眠時間をしっかり確保しても、常に眠い気がするし、仕事が終わればどっと疲れが感じられる。 これは体力が落ちたことに由来するのかわからないが、まったく運動もしていないし、年齢も重ねてきているし、体...
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継続のみ力となる(継続は力なり?)

続けることの難しさは誰もが思うところであり、わたし自身も痛感している。 だからこそ、続けているということ自体で評価されたりもする。 これは続けるということは物理的に時間を要求するため、続けるという行為自体で先行者に追いつくことは、先行者が活動を止めない限り不可能になるためだろう。 ここまで書いてきて言うのもなんだが、継続の重要性は皆わかっているので、問題は如何に継続するかという点に出てくるのは間違いない。 だからこそ継続に関する書籍も多く出版されている。 それでも自分としては、継続の重要性を認識する意味で「継続のみ力となる」というフレーズは今後も忘れることはないと思う。 もっとも、このフレーズによって「継続」自体を継続できるかはわからないけれど・・・。
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久々の海外出張(自分の内向き具合を痛感する)

わからないことが多すぎることが海外出張に行きたくないことにつながっているのだと思う。 こうやって考えると自分は心底内向きな人間で、外向的な性格ではないと痛感する・・・。 こういった行為態度は大人になってからでも変化するのだろうか。 経験としての価値が高いのは頭ではわかっているのだが、いざ実際に行くとなると足がすくむ。 こう考えると幼少期にもっとそういった経験をしておくべきだったのかもしれない。 そういった経験の結果として今の自分に変化が生じているかはわからないけれど。 とりあえず無事に帰国できることを祈って準備を進める他ない。
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英語で検索する(翻訳機があるからこそ検索することが大事)

だが、そもそも英語で検索しないといけないことに変わりはないのは盲点のように思う。 いくら英語で貴重な情報があり、それを見つければ機械翻訳で日本語にして内容理解できるとしても、そもそも英語で検索してその情報にたどり着けなければ機械翻訳を使うこともできない。 その意味でいうと英語自体で検索する能力(能力というほどのものでもないかもしれないが)は意外と重要になってきそう。 英単語のキーワードさえわかって、それで検索すれば問題ないので、そこまで難しい話でもないけれど、意図的に英語で検索する習慣をつけることができれば、機械翻訳の力を借り、より広い情報源に当たることができる。 もっとも、そのうち日本語で検索しても機械翻訳後の英語ページをサーチして検索結果として出てくるようになるのかもしれないけれど・・・。
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本気を出すということ

「明日から本気出す」「まだ本気出していないだけ」 何かしらうまくいかないことが起きたとき、口に出さないまでもこのような言葉がついつい言い訳のように頭に浮かぶ。 「本気になれば自分だってあれくらいできる」という言葉は、実際にでき...
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英語ができると思われる厄介さ(本当の実力とのギャップ)

英語できると思われる厄介さ ここから挽回するには結局自分の英語運用能力を向上させる以外に道はない。 英語が聞けて、話せるように地道に努力していくのみ。 ただ、こうやってできるようになったとしても最初の期待値が高いと、「できるようになった」ということへの評価はそこまで高くならない。 そう考えるとやっぱり最初の期待値コントロールは極めて重要だと改めて実感する。
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今年も残り4ヶ月となりまして(意図的なアクションを)

言うは易く行うは難し。 どんだけ頭のなかで考えていても、何かしらの行動をしないと何かが変わるわけでもないので、アクションすることにもっとフォーカスしたいところ。それも意図を持った。 そうしないとただ考えなき行動のみになって、今と変わらず振り返ってみたら何もしていなかったという状況に変化は起きない。 2022年が終わるという、その後ろ姿が見えたことで、少し危機感に近しい感情が出てきた。
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「言ってようやくわかる人」と「言わなくてもわかる人」

冒頭の「言ってわかるひとには言わないでもわかる。言わなきゃわからない人には言ってもわからない」というのは、洞察力がある人はわかるし、それがない人は一生わからないということかもしれない。 かくいう自分も偉そうにこんなことを書いているが、決して人間洞察が完璧にできているわけでもないし、常に「言わなくてもわかる人」というわけでもないので、まだまだ精進が必要なのは言うまでもない。 ただ、最近は結局、コミュニケーションする相手である人間、その人がどういった思考や行動を取るのか。 そういった観察をでき、理解し、その都度言動を調整できることがすべてだと思うようになってきた。 人間(相手)をよりよく理解するためにも、小説や映画、美術などを積極的に見ていく姿勢が重要になってくる。それは今の自分に欠けている部分なので、補うようなアクションを取らないと。
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結局、暗記するしかない(スッと出るかどうかが問題だ)

仕事でいえば、自分の業界のスタンダードになっている規格や数字・データについて、ある程度頭に入っていないと使いものにならないことは、たぶんちょっとでも働けば嫌というほど気が付く。 お客さんに対して正確な数字やデータをスッと出るかどうかは、その人に対するお客さんの評価するときの指標になり得る。 商談のときに多少調べるのはいいとしても、その都度その都度「調べるので待ってください」では、さすがに相手もあまり信用ならないと感じてしまうだろう。 英語に関してはもっと顕著で、どれだけの単語、表現を頭のなかにストックしているかによって、当然ながらアウトプットの質は左右される。 また受動的なリーディング・リスニングにしても、自分がインプットして頭の中にあって知らないものでないと理解することができない。 こう考えてくると、結局はどれだけ頭の中に知識を詰め込むかというゲームをずっと続けていく必要性がある。 どれだけインプットして頭に詰め込めるか。 小学生?から称賛されるようになるこの能力は、どれだけ年を経てもその重要性が揺るがないということか・・・。 わたしも日々、知識のインプットに勤しまねば・・・。
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