日々の生活

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体調不良のときの時間を無駄にしている感覚・・・(能動的活動ができない虚無感)

何か新しい知識を得たわけでもなく、何かを学んだわけでもない。 この虚無感がたまらなく嫌になる・・・。 病気で体調が悪いのだから仕方ないのだけれど、毎回体調不良で休んでいるとこういった虚無感に駆られることになる。 これに対処するには一つしかない。それは病気にならず健康に過ごすこと。 やはり健康に過ごすということは肉体的にはもちろん、精神的にも極めて重要だと再認識する。
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ついにコロナの魔の手が我が家に・・・

普通の風邪とそこまで変わりはないけれど、やはり肺というか呼吸器系に違和感が感じられるのは、この病気の特徴なのかもしれない。 幼少期に軽度のマイコプラズマ肺炎に罹患したことがあったが、そのときの感覚に少し似ているように思う。 薬といっても解熱剤を使うくらいなので、とりあえずは安静に回復するのを待つしかない。
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好きなブログがなくなる(自分のストックとして残す仕組みづくり)

ブログ自体の存続については、その運営者の方の自由意思のものとに決定されるので他人がとやかく言うことでもないのだが、いざ記事が読めなくなると寂しい気持ちになる。。。 これは何もブログに限った話ではないが、YouTubeでも突然動画が消されてしまう可能性もあったりするので、コンテンツがいつまでも永続するという前提でいることが間違っているのかもしれない。 自分としては今後ブログを読んでいて参考になると思ったら、そのことをメモ書きするなどして、自分のストックとして残すようにしていこうと考えている。 これをリスク管理というかわからないが、参考になると思ったらすぐに自分のメモとして残すような習慣を作っていきたい。
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なんとなく苦手な言葉(特に理由はないけれど)

特に理由はないけれど、なんとなく苦手な言葉というものがある。 例えば、「〜ごたえ」。 「食べごたえ」「飲みごたえ」「読みごたえ」「見ごたえ」「やりごたえ」などなど、色々な動詞にくっつけて使えるので便利な言葉ではありそうなのだが...
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友だちと疎遠になっていく(年を取ると友人が減る?)

そして結局だれかが誘うまで何もしなくなってしまう。 おそらく皆同じようなことを思い、お互いに遠慮して誘わなくなっていくような気がする(単純に自分が誘われないだけかもしれないが。。。) 元々友だちが多い方でもないので、会う機会がなくなりコンタクトが減れば、それこそ友人がいなくなるような気もしてくる・・・。 「年を取るとそうなるのかなあ」と考えたりもするが、同じくらいの年齢でも頻繁に友人と会っている人もいるので、やはり個人的な社交性とか交友関係に対する行為態度の問題のように感じている。 自分から誘う人間になるのも今更感が強いし、変に誘っても迷惑な気がするので、ついつい尻込みしてしまう。 結局、誰かの誘いを待つほかに何もできずに終わる、情けなさ。
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自分自身の棚卸し作業(何を持っている、何ができるのか)

こういったジャンルごとの知識やスキルがどれくらいあるかを把握することで、自分に今足りないものが何であるのかをはっきりさせることができる。 また英語についていえば、より具体的にリスニングのなかで何ができないのか(音の連結なのか、発音の理解不足なのか)など、どれが出来てどれが出来ないのかをもっと細かく整理していくことも重要になってくる。 自分自身の現状がどうなっているか。自分の資産を数える「棚卸し作業」を通じてそれを知ることができる。 それを把握したうえで、自分に足りないものを勉強したり、また今後需要が伸びそうな分野を学習したりすることで、自分の市場価値を高めることができるはず。 意外と自分自身の資産は把握できていないし、またそれゆえに自分に足りないものもわからなかったりする。 そういったことを防ぐ意味でも、定期的に「棚卸し作業」を行うことは重要そう。
日々の生活

年を取ったらどうなるのか。(仕事の引退後と死ぬ間際、そしてFIRE)

自分が年を取ったときのことを考えるのは誰でもあるはず。 そういった将来を考えてしまうのは、将来に対して漠たる不安があるから。 明るい未来を描けるほどの万能感はないし、一寸先は闇といった不安感が自分を覆っている。 日々なんとなく生活して時間が過ぎていき、結果的に年を取っていくのだろうが、ずっとこの不安感に苛まれるように思う。 根っこにあるのは経済的な不安なので、そこが解決されればこの漠然とした不安感もなくなるのだろうけど。 そう考えるとFIREなどの経済的自由に向けた取り組みが流行っているのも、そうした不安感を払拭するための対策を皆が求めている結果とも考えられる。 それは漏れなく自分にも当てはまるのだから、日々経済的自由に向けて仕事をしつつ、種銭を溜め、投資していく他ない。
日々の生活

利他的であること(幸福感を感じるために)

利他的であることが幸せのための必要条件であるのかはわからないが、少なくともそういった振る舞いを行っていないと自分としては幸せを呼び込めないように感じる。 そうであれば自分も利他的に振る舞わねばならない。 こうやって決めると、自分の行動の指針ができる。 何かを選択するときやアクションを取るとき、この決断や行動が利他的であるかどうかチェックするようになる。それが人生において羅針盤になるかもしれない。
仕事

「負けられる」人間になりたい(つまらんプライドに邪魔されないよう)

かくいう自分は「負けられる」かというとYESでもありNOでもある。 要らない論争になりそうであれば自分が無知であったり、自分のほうが劣っていることを意図的にひけらかして「降りる」選択肢を取ることもある。 しかしながら、そういった言動・行動を取れなかったり、また取れたとしても後悔してしまうケースも少なくない。 そう考えるとまだまだ自分は「負けられる」人間ではない。精進が足りない。 いつか笑って負けたうえで、それを心から肯定できる日が来るだろうか・・・。
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家を買うというプレッシャー(周りに流されるのは避けたいが)

そういうわけでわたしは家を買う気はない。少なくとも現時点において。 こういった状況下であっても妻のプレッシャーは続くはずなので、そのあたりをどうするか。。。 一度話し合ったほうが良いのは間違いない。 住宅をどうするかは、人生において最も重要な決断を迫られる問題のひとつなので、あまり安易な答えも出せない。 果たしてどうやって話を進めていくべきか・・・。
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