ゆっくりと時間を過ごすことが難しい時代(ファスト社会、インスタント社会)

日々の生活

ゆっくりと過ごすことが年々難しくなっている。

これはおそらくわたしだけでない。

最近は動画や映画を2倍速でみたり、映画を要約した動画が流行ったりしているらしい。

これだけコンテンツに溢れた時代。すべて見たり聞いたりすることは当然難しい。

そうした状況下における適応として「タイムパフォーマンス」を最大化するために動画を2倍速でみたり、映画要約動画をみる行動が取られるようになっているといえそう。

そんな社会を「ファスト社会」「インスタント社会」と呼んでいる人もいるようだ。

テクノロジーの進歩によるコンテンツへのアクセス容易性が可能にするコンテンツ過剰がそういった「消費行動」を起こしているとも換言できる。

ただ、個人的には将来への不安感も一因となっているようには感じている。

常に何かしらの最新情報を摂取することで、湧き上がる不安感を抑圧しているのではと考えている。

何もない状況、音もなく、映像もなく、文字情報もないままボーッとしている状況に置かれれば、少なくない人が将来の不安を考えてしまうのではないか。

だからこそ、ボーッとする暇を無くすためにひたすらに情報の洪水に立ち向かって溺れようとする。

少なくともその洪水に飲み込まれている間は、将来の不安が頭をもたげる隙間を防ぐことはできる。

そうやって不安を感じるストレスの回避行動なのかもしれない。

かくいうわたしも音のない状況が怖い。

家にいるときはほとんど常にイヤホンで何かを聞いて過ごす。

そしてたいていは2倍速。

読書しているときは若干ゆっくりと過ごしている感覚を覚えるが、その読書にしても常に新しい本を絶えず読まねばという強迫観念を抱いている。これは多分に不安感が原因となっている。

こういったことを思ったこともあり、最近はボーッとする時間を意識的に設けるようにしている。

何も考えずに時間が流れているという感覚を味わう。

「その時間があれば何か情報を仕入れられる」という考えが頭に湧いてくるが、それを抑えてボーッとしている。

自分がボーッとすることができているのは「脳科学的にもボーッとすることが有用」といったことを茂木健一郎氏が述べていたのもある。ボーッとすると脳の記憶の整理が進むらしい。

記憶の整理という利点があるに越したことはないが、いずれにしてもボーッとしているときは時間がゆっくりと流れを感じられる。ただの気のせいかもしれないが。

この習慣を少し続けていきたい。

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