先日、新卒1年目の若い方と話していたとき「仕事はとりあえず緩く稼げればいい」という意見を耳にした。
この意見自体を否定するつもりもないし、なんならわたし自身もそこまで仕事にフルコミットできているとは言えないので、この意見自体への賛否は特にない。
(もっともこういった意見を言ったときに他人はどう思うのか、世間的(現時点での)にはどう思われるのか、という視点は持っていても良いようには思うけども。。。)
しかし、こういった意見も許容されるということは自由な社会になってきていることを意味するようにも思う。
どの意見も尊重される、いわば相対主義の時代。
ただ一方で、こういった社会になるとどの意見であっても一定の理解を示す必要が出てくる。そうなると、当たり前水準が下がってくるように思う。
この基準でやることを有無を言わさずに統一していたことでクオリティを担保していたものが、「その基準でやる必要ない」という意見も尊重しなければならない自由な社会となることで、結果的に今までのクオリティが担保できなくなる。
これが良いのか悪いのかはわからない。
その人の人生や仕事に対する価値観を否定することが自由主義社会では最もタブーとなっているはずであることを考えれば、少なくともどんな意見もある程度尊重しなければいけない。
しかしながら、仕事のアウトプットの質を担保するには当たり前水準を保たなければならない。そこには「そんな基準でやらなくても」という意見は明確に否定されるべきものになる。
今の時代、こういった前時代的な職人気質の職業観は好ましく思われないものになっている。
価値観の多様化は全面的に肯定すべきものと考えがちだが、一概にそれは諸手を挙げて賛成すべきものとはならないように感じる。
もちろん個人レベルで見ればどんな考えを持っていたとしてもクオリティの高いアウトプットを出せる人もいるであろうが、総体としてレベルは下がっていくように思われる。
かくいう自分自身がそこまで職人気質的に仕事に臨んでいるわけではないので、こんなことを言う資格はないかもしれない。
ただ、多様な意見の尊重が必ずしもアウトプットの質を向上させるものではないように感じた新入社員の発言だった。
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