在宅勤務の弊害?(「真似ぶ」機会損失)

仕事

よく「学ぶ」は「真似ぶ」だと言われる。

何をするにしても最初は模範を真似ることが学ぶことに繋がるという意味だろう。

どの分野でも師匠の知恵や知識を吸収するには、その師匠のオーラも含めて、所作や仕草、話すときの姿勢など全般を観察し、真似ていく必要がある。

これは自分の経験に照らしてもまさしくそうで、部活をしていたときも上手い先輩の真似をすることで上達したし、勉強については先生や講師のやり方を真似ることでできるようになっていった。

そして仕事においても当然ながらできる上司や先輩のやり方を見て、真似ることで徐々にできるようになった。

このときのプロセスとして、そのできる上司や先輩を直接近くで観察する機会があることは見逃せない。

特にその人に直接指導を受けている場面でないとしても、その人が電話をしている姿や、資料を作成している姿、また顧客と面談している姿、そういった自分と直接話していない場面でのその人を見ることでも多くを学び取っていく。

実際に自分も社内でできると言われる上司の下についたとき、その上司を観察し、なるべく真似するようにしていた。

上司の電話での受け答えや、資料の作成・プレゼン方法、またメールの書き方や、稟議書の作成方法などなど。

真似できることは極力真似できるようにした。

当然ながら最初は形式的に真似をしているだけなので、完全に真似できているわけではない。

しかし、真似をしていると徐々にその行動や考え方の意味を少しずつ理解できるようになってきて、自分のなかで消化できるようになり、自分なりに少しずつ仕事を進められるようになっていった。(自分の思い込みかもしれないが)

こうした「真似ぶ」をできたのは、職場という物理的な空間に一緒にいて、できる上司を観察することができたからだ。

その意味で在宅勤務というのは、この「真似ぶ」を実施するのを難しい状況にしている。

なぜならできる人の側で仕事を物理的に見る機会が失われるから。

ウェブ会議では打合せしたらすぐに終わってしまうし、メールやチャットでは何か行動を観察することはできない。

在宅勤務によって物理的にできる上司や先輩の姿を見ることができないのは、新卒や社会人2〜3年目の人にとっては意外と大きな損失ではないだろうか。

もちろん色々と工夫を凝らしてそういったそのマイナス面をカバーすることもできるのだろうが、やはりその場で観察するということに代替できるものはないように思う。

わたし自身は在宅勤務を否定するわけでなく、むしろ在宅勤務がデフォルトで問題ないように思うが、自分がもし今の状況でまだ社会人1〜3年目だったとしたら、その機械喪失を嘆く気がする。

ただ、これは自分が「真似ぶ」から恩恵を得たと考えているからこそ生じる思いだろう。

そういったことを感じていない状態で在宅勤務をするのであれば、別に「真似ぶ」機会の喪失など微塵も考えないのかもしれない。

わたしとしてはこの「真似ぶ」機会の喪失というのは在宅勤務のもたらす弊害のなかでも割と大きいものだと思うが、果たして世間一般ではどうなのだろう・・・。

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