読書レビュー:『「仕事ができる」とはどういうことか?』(楠木建/山口周)

読書

読みたいと思ったきっかけ

元々単行本で2019年に発刊されていたときから読みたいと思っていたのだが、機を逸して読めずにいたのだが、つい最近、同じ内容で新書版になったのを機に購入した。

「仕事ができる」という定義の難しいけど、皆なんとなく使ってしまうフレーズの意味を常日頃から考えていたので、その点でも読みたかったところ。

内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

 

はじめに 「この人じゃないとダメだ」と思わせる、それが「仕事ができる人」です
第一章 スキル優先、センス劣後の理由
第二章 「仕事ができる」とはどういうことか?
第三章 何がセンスを殺すのか
第四章 センスを磨く
おわりに 「スキルのデフレ化とセンスのインフレ化」はあらゆるジャンルで進行している

この本はいわゆる対談本で、一橋ビジネススクール教授である楠木建氏と山口周氏の対談をまとめたものである。

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

はじめに(「この人じゃないとダメだ」と思わせる、それが「仕事ができる人」です)

・「仕事」とは「趣味」ではないもの。…仕事は「自分以外の誰かのためにやること」です。(楠木)

・あっさり言えば「成果を出せる」。これが「仕事ができる」ということです。(楠木)

第一章(スキル優先、センス劣後の理由)

・センスというのは一例でいうと「女性にモテる」。特定の尺度では測れないし、すぐにモテるという状況を見せられるわけでもない。さまざまな要因の総体というか総合として「モテる」能力があるわけです。(楠木)

・職務経歴書にも書けるかどうか。端的に言って、これがスキルとセンスの違いですね。(楠木)

・問題を「望ましい状況と現在の状況とのギャップ」だと定義すれば、「望ましい状態」をどのようなモノサシで定義するかで「問題のタイプ」が変わってくる。(山口)

・出発点においては問題を発見・設定するためには必然的に直観(センス)が求められる。(楠木)

・柳井さんいわく、「ビジネスもまったく同じ。拠って立つコンセプト、商売の元をつくらなければ何も始まらない」。要するに、起点にはスキルではなくてセンスがあるということです。(楠木)

・結局のところ、どんなに地道にやってもセンス一発で頭をヒューと通り越していく奴には勝てない。(山口)

・センスなんて好き嫌いでよくて、それこそ「趣味か、趣味じゃないか」ということなんだけど。例えば服だったら、これがいちばんおしゃれとか、レストランだったらここに行っているのがいちばんスノッブなんだみたいな、全部に序列をつけたがりますよね。センスに序列をつけると、これはもうセンスではなくてスキルであり、サイエンスになってしまいますね。(山口)

・みんないろいろと好き嫌いがあって、それぞれやっていればいいじゃないっていうのが何か嫌で、とにかく序列をつくって「俺はどの位置か」ということを決めたがるという構造の中に、やっぱりうまくはまっちゃうんだと思うんです。スキルのマウンティングというのは。(山口)

第二章(「仕事ができる」とはどういうことか?)

・仕事ができるというのは、僕の考えはごくシンプルで、状況にかかわらず「人に頼りにされる」ということなんじゃないかなと思う。(楠木)

・意識しているのか無意識なのかは別にして、自分のセンスというものを後生大事に育て、磨きをかけていく。これがキャリア構築の実態だと僕は思っています。ただ、これの問題点を一言で言うと、やたらと「事後性が高い」んですね。(楠木)

・よい本を読むのは事後性の克服に有効ですが、読書それ自体が事後性の高い行為ですね。…まずは四の五の言わずに読んでみるしかないんですね。そのうちわかってくる、としか言いようがない。(楠木)

・その人のいちばんスゴイところほど、自分にとっては当たり前のことで、言語化したことすらないようなことですよね。(山口)

・入社して3年目までの仕事ができるというのと、課長さんで仕事ができるのと、部長さんで仕事ができるのと、執行役員クラスで仕事ができるというのでは、全然構造が違ってくる。(山口)

・人に示す事ができる形でブツが出てくる。こういう「作業の誘惑」ってすごい強いんですね。しかし、それは経営でも戦略でもなんでもない。(楠木)

・全方位的にセンスがある人というのはいない。本当にセンスがある人というのは単にセンスがあるだけではなくて、自分のセンスの「土俵」がよくわかっている。これが自分の仕事なのか、そうじゃないのかという直感的な見極めが実にうまい。これが本当にセンスがあるということでしょう。(楠木)

・やっていること一つひとつは当たり前のことなんですが、この取り組みの時間軸のシークエンスにアートがある。(山口)

第三章(何がセンスを殺すのか)

・本来、リーダーたるものは「生き残って何をしたいんだ」という「行動」を表明しなければいけないんですよ。(楠木)

・本来は、”work as a part of life”ですよね。仕事の上位に自分のライフがある。仕事ができる人には、仕事人である以前に一人の人間、生活者であるという意識が伝わってくる人が多いように思います。(楠木)

・やっぱり日本人は「権威主義」になっちゃうんですね。センスの裏づけを権威に求めるんです。(山口)

・仕事ができる人とできない人を対比するときにわかりやすいのが、これまでも話題に出たことですが、できない人って箇条書きが好きなんですね。To Doリストが大好き。ここで箇条書きというのは物事の「並列」という意味で使っているのですが、並列的な思考の問題点というのは時間的な奥行きがなくなることなんです。並列的思考はセンスを殺すと思います。(楠木)

・なぜみんなが並列、箇条書き、To Doリスターのほうに流れていくのか。僕は最大の理由は「時間」というものが目に見えないからだと思うんですよ。(楠木)

・順列で考える優れたリーダーには人がついてくる。そこにストーリーがあるからなんですね。数字や目標では人はついてこない。ストーリーに乗ってくるんですね。(楠木)

・旬のキーワードに飛びつくというのも、一種のマウンティングなんでしょうね。最新のキーワードを使っている、ということを自分の主張を押し通すための箔付けに使っている、一種の「ドス利かせ」なんです。(山口)

・結局のところは人間がいちいちロジックを見出していかないと差別化につながるようなアクションはとれないと思うんです。(楠木)

・やっぱり人間は面倒くさがり屋ですね。とにかく頭を使う労を厭う。だからワンフレーズ、ワンキワードで理解しようとする。(楠木)

第四章(センスを磨く)

・おそらくセンスにおける事後性の問題というのは、昔もあったと思うんです。それでもやっぱり師匠に対する信用であったり、ずっとこういうふうにやってきて師匠の師匠もそうだったんだというようなことが、ある種のクレジットになっていたのかもしれない。(山口)

・つべこべ言わずに10年、まずこれをやれと。修行というのはたぶん事後性を克服するために人間社会が編み出した方法論だと思います。(楠木)

・センスの習得は事後性が高い。事後性が高いというのはプロセスと結果の因果関係がよくわからない、ということですよね。だから結果として習得している人を見るとプロセスをすっ飛ばして習得しているように見える。(山口)

・実際、僕の経験でも仕事ができる人ほど気前がいいような気がします。「気前がいい」というのは一般に思われているよりもずっと大切なことだと思うんです。(楠木)

・とにかく解きたい謎とか、気になっているわからないことがあって、それが解けるかどうかということでずっと生きてきたら、人生を振り返ってみると結果的に「まあ、いい人生だったな」ということになったと言うんです。(山口)

・誰が言っていたのかは忘れましたが、いちばんいけないのは「他人の力を借りて雪辱を果たそうとすること」。(楠木)

・センスというものの中身は何かということについての僕の暫定的な結論は、「具体と抽象の往復運動」です。これはいろんな人を横から見てきたなかで、かなり腑に落ちていることなんですけどね。(楠木)

・若い人が「自分の強み」として認識していることはほとんど間違っていますね。(山口)

・僕は意志が先にくるのが仕事ができる人だと思っていて、「自分としてはこう思う」を貫く。自分で面白がっていれば人に話したくなる。そうするとだんだん人の理解も深まってくる。(楠木)

おわりに(「スキルのデフレ化とセンスのインフレ化」はあらゆるジャンルで進行している)

・本書の本意は「スキルよりセンスが大事だ」ということを主張する点にはない。両者は共に重要だが、その重要性は文脈や立ち位置によって変化する、ということだ。(山口)

コメント

以前に自分も「仕事ができる」の意味するところを考えていた。

人によって考え方も異なるとはいえ、何かしらの成果やアウトプットを出せている人が「仕事ができる」と思われていることは間違いない。

結果を出せていない人を誰もできるとは思わないはずなので当然といえば当然だが。

この本のなかでは①センスの事後性の高さ、②取り組みの時間軸のシークエンスにアートがある、という2点が特に気になった。

①センスの事後性の高さ

教育もそうだがセンスを磨くことに関しても、自分がその行為・行動をしているときには、それが将来的に効果があるかどうか判断がつかないという認識を改めて持つことが必要だと感じた。

スティーブ・ジョブズの有名な話である「カリグラフィーの授業を受けていたことがMacの綺麗なフォントに繋がった」ではないが、その時、その瞬間には将来的に役立つかわからないものへの投資がなければセンスは磨かれないということだろう。

ただ、ここに関しては生存者バイアスが働いている可能性はある。成功者の陰でその投資に失敗した人もいることは忘れてはならないだろう。

と言ってもやはり事後性ゆえにそのコスパを気にして賭けに出なければ、結局はセンスを磨かれないので、スキルに逃げずにそこに取り組みしかないのであるが・・・。

慶應義塾大学の塾長だった小泉信三の言葉である「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」というのも、スキルに特化しているとそれが陳腐化してしまうことへの警鐘とも読める。

だからといって、「すぐに役立たない=将来役立つ」わけではまったくないが、そういった「短期的に無目的なインプット」が他人との差別化に寄与するのかもしれない。

②取り組みの時間軸のシークエンスにアートがある

何をやるかだけではなく、どういった順番で、どのようにやるか、という実際の実行手順にもアート(センス)があるということ。

これはまったく今まで気が付かなかった。

センスといえば何かを思いつきやひらめきであったり、アイデア出しの部分だと思っていたので、実際のオペレーションの順序・時間軸の構成を考えることにセンスが関係しているという指摘に新鮮さを感じた。

まったく的はずれかもしれないが、将棋や囲碁のようなイメージが浮かんだ。

目標に向かってどうやって組み立てていくかや、その組み立ての順序も時間の経過とともに変化する外部環境にも適応させていかねばならない部分など、まさに将棋や囲碁の構想力に通じるように思えた。

物事には順番がある、とはよく聞くが仕事でもそれは当てはまるということか。

まとめ

アマゾンのレビューなどでは「できる俺は違うだろ」感が鼻につくといったレビューがあったが、わたしはそこまで気にならなかった。

仕事をしている人であれば一度は考える「仕事ができる」の意味について色々な角度から学べるので、普段からその定義や意味を考えている人は読んでおいて損はないように感じる。

なんとなく読んでいて、人としての魅力・雰囲気に最終的には帰結するようにも感じたが、これは宮台真司氏がいう「ひとかどの人物」に近いように思う。

本書のなかでは「センスがある人が身近にいればその人をよく視る」とあるが、これはまさしく「ひとかどの人物」になるにはスゴイやつに近づけ、というのに類似する。

人としての魅力があるから仕事で成果を出し、出世するのか、成果を出して出世したから魅力が出るのかは「ニワトリと卵」なのかもしれないが、オーラを感じ取る力、そこに憧れて近付こうとする姿勢もまた重要な要素かもしれない。

一言学び

人間にとって「事後性の克服」は永遠の課題。

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