読みたいと思ったきっかけ
橘玲氏の過去にも複数読んできている。今回も著者買い。
基本的には新作は買うようにしており、本書も例に漏れず購入した。
内容
目次
目次は以下のとおりとなっている。
まえがき | : | 誰も「遺伝」から逃れることはできない |
第1章 | : | 運すら遺伝している – DNA革命とゲノムワイド関連解析 |
第2章 | : | 知能はいかに遺伝するのか |
第3章 | : | 遺伝と環境のあいだ |
第4章 | : | パーソナリティの正体 |
第5章 | : | 遺伝的な適性の見つけ方 |
第6章 | : | 遺伝と日本人 – どこから来て、どこへ行くのか |
あとがき | : | 遺伝を取り巻く「闇」と「光」 |
内容
まえがき(誰も「遺伝」から逃れることはできない)
■日本では残念ながら、この社会生物学論争はほとんど知られておらず、その結果この国の「文系知識人」は、いまだに半世紀も前の「知能(犯罪性向、あるいは精神疾患)が遺伝するなんてありえない」という虚構の世界に安住している。
第1章(運すら遺伝している – DNA革命とゲノムワイド関連解析)
■行動遺伝学は、半世紀以上かけて、遺伝が一般の人が思っているよりはるかに大きな影響を、個人の人生や、それが互いに関わりあってつくり上げられる文化・社会に及ぼしていることを明らかにしてきました。ひいては人類の歴史形成、いわゆる文化進化にも何らかの影響を与えている可能性が考えられます。(安藤)
■ビッグファイブは、いまの心理学会では性格を記述する一つのスタンダードになってますからね。(安藤)
■この結果が衝撃的なのは、ポリジェニックスコアは遺伝子を調べただけで、環境などそれ以外の要因をいっさい考慮していないことです。それにもかかわらず、親の収入と同程度の予測力がある。…しかしそうなると、経済格差による子どもの学歴の違いは、じつは遺伝的な違いということになってしまう。これがもう一つの衝撃で、「賢い親は経済的に成功すると同時に、賢い子どもをもつ」というのは、みんななんとなく思っていましたが、それが遺伝子解析によって証明されてしまった。(橘)
■そのとおりです。ポリジェニックスコアは民族によって、それを算出する方程式は違ってきます。西欧白人集団でこれだけの効果量をはじき出すポリジェニックスコアの方程式も、それを黒人に当てはめると予測力は3分の2程度に減ってしまいます。日本人には日本人の膨大なサンプルが必要です。逆にサンプルとデータさえ取れれば、いってみればどんな形質についてもポリジェニックスコアを算出することができます。これはもう理屈ではなく技術的な問題、あるいはやるかやらないか、つまり政治的判断とそれをつくり出す社会の価値観、倫理観の問題でしょう。そういっているうちに、すでに国ごとに遺伝情報格差が生まれているのも事実です。(安藤)
第2章(知能はいかに遺伝するのか)
■まず遺伝には「相加的遺伝」と「非相加的遺伝」という2つのタイプがあることを押さえておいてください。(安藤)
■知能が相加的遺伝ということは、知能の高い親同士からは知能の高い子どもが生まれやすい、という理解でいいですか。(橘)自分と配偶者、両方の知能が平均よりも高ければ、子どもの知能も高くなる確率が相対的に高いことは確かです。しかし、ここで統計学で最初に習う「平均への回帰」が効いてきます。(安藤)
■昔なら子どもに「当たり外れ」があるという”遺伝ガチャ”をみんな自然に受け入れていたけれど、いまは1人の子どもを絶対に「当たり」にしなければならなくなったーーそういう強迫観念はますます強くなっている気がします。(橘)
■知能の話題になると、偏差値80の大学に子どもを何人も入学させた親など学歴社会の成功譚ばかりですが、知能の分布はベルカーブ(正規分布)なので、偏差値でいえば40から60のあいだに全体の約7割が収まり、15%が偏差値60以上、残りの15%が偏差値40以下になります。これは統計学では当たり前のことですが、ベルカーブの右側の話はみんな大好きでも、左側については口を噤んでいますよね。(橘)
■ですから早期教育とか英才教育に親が加熱することを非常に危惧しています。鉄は熱いうちに打てといいますが、相手は打ったとおりの形になる鉄ではなく、形状記憶合金のように、遺伝子の導く形にだんだんと近づいていくんです。もちろん子どもの頃からよい文化に触れさせることの重要性は強調してもしすぎることはありません。しかし他の子より一足早く学ばせて優位なポジションに行かせようとか、あるいは他の子より出遅れるとかわいそうだから早く学ばせようという趣旨だとすると、必ずしも報われないことがあることは覚悟しておく必要があるでしょうね。そういった個人差の半分は環境ではなく遺伝も関わっているわけですから。(安藤)
第3章(遺伝と環境のあいだ)
■もともと共有環境の影響は大きくないのに、そのうちの半分くらいは、じつは遺伝で説明できるかもしれない。日本でも親の収入が子どもの人生に決定的な影響を与えるとされ、”親ガチャ”などといわれますが、その影響がかなり限定的だというのは、貧しい家に生まれた子どもにとっては勇気づけられる結果ですね。(橘)
■経済状況のように、ある意味、とてもわかりやすい要因が学業成績と関連していたら、それは当然、貧しいという環境が学習機会を奪ってしまったために成績がよくならないんだと考えますよね。それももちろんあります。しかしそれだけじゃない。複雑な社会現象を科学的に語るときに重要なのは、このような「わかりやすいストーリー」に単純化してしまわないことです。複数の要因があれば、それぞれの効果量をきちんと数字で見ていく必要があります。(安藤)
■ここからわかるのは、親の子育てによって子どもの性格が決まるというよりも、子どもの性格に合わせて親が子育てのパターンを変えているということです。すくなくとも、親が子どもに一方的に影響を与えているのではなく、親子も相互作用のある人間関係の一種で、影響は片方向ではなく、双方向で生じているのでしょう。(橘)
■親の転勤で海外で暮らすようになるとか、どこかの養子になるというように、環境が劇的に変われば、パーソナリティにかなりの影響があるかもしれない。ただ、どちらに転ぶかはギャンブルのようなものではないですか。無理して子どもをよい学校に入れたら、コンプレックスでドロップアウトしてしまった、という話も聞きます。(橘)
■行動遺伝学の知見では、パーソナリティの遺伝率はだいたい50%程度、共有環境は5%程度、非共有環境が残りの45%くらいになります。しかし、その環境ですら遺伝の影響を受けているということになれば、私たちはどうやっても遺伝の影響から逃れられないようにも思えてきます。(橘)
第4章(パーソナリティの正体)
■アメリカの社会心理学者リチャード・ニスベットが、西洋人は名詞で考え、東洋人は動詞(関係性)で考える傾向があることを、さまざまな実験で証明していますね。西洋の発達心理学では、子どもは動詞より名詞を覚えるのがずっと早いとされますが、東アジア(中国)の子どもは名詞と動詞を同時期から使い始めるようです。(橘)
■経験への開放性を経験の受け止め方の粒度(解像度)ととらえる見方は面白いと思います。ある高IQのギフティッドの方と話したことがあるのですが、同じものを見ても普通の人には見えないものが見えてしまうことがあるらしい。その人は巻いてあるビニールテープを何十分も見ていられるといっていました。天才的な芸術家やアスリートも、きっと凡人とはけた違いの粒度で対象刺激や身体刺激を受け止めているに違いありません。(安藤)
■いずれにせよ人間の知能において、言語が大きなウェイトを占めていることは間違いありません。情報処理能力には、図形処理や数学的処理、記号的処理などさまざまな種類があるのに、人間という種は圧倒的に言語に依存しています。おそらく初期の人類にとって、音声を分節して、さまざまな概念を他者と共有する能力をもつことが適応的だったのでしょう。(安藤)
■思春期後半で安定してきた形質(パーソナリティ)を手がかりに、自分の特性を活かせる環境を探すべきだと思います。環境に無理矢理自分を合わせようとするのではなく、特性に合った環境を探して、それに応じた知識を学習する。あるいは自分の遺伝的な素質に合うような環境を自分から創り出す。そうすることで、人生における成功確率はグッと高くなるはずです。(安藤)
第5章(遺伝的な適性の見つけ方)
■日本では、ひとり親家庭の貧困率は50%を超え、先進国でもっとも劣悪な状況です。そうした貧しい家庭を行政が支援して、一定の経済水準まで引き上げるのは効果があるけれど、中流の下の家庭の子どもに、さらに教育的な支援をしてもほとんど意味はない、と。(橘)そういう言い方をすると身も蓋もないのですが、そのとおりです。(安藤)
■先ほど、経済学者のヘックマンの話が出てきました。彼自身はリベラルな学者ですが、教育で知能を向上させることに限界があることを認めています。少なくとも小学校入学後は、教育的な介入で子どもの学力を向上させることは困難だろうと書いている。(橘)
■ともあれ、僕が言いたいのは、どのような人であっても一般的な能力だけで生きているのではない、ということです。自分が生まれ落ちた特定の環境のなかから、自分のできること、得意なことを見つけ出す。そうやって自分だけのニッチをつくり上げ、困難を乗り越えながら生きていく。(安藤)
■発達心理学者のジュディス・リッチ・ハリスが、まさにそのことを指摘しましたよね。人間の脳は、遺伝的な優位性をフック(きっかけ)にして、集団のなかで目立ったり、高い評価を得たりすることを「楽しい」と感じるように設計されている。(橘)
■いずれにしても習いごとをたくさんさせれば才能が発現する、というのは少し短絡的な考え方だと思います。習いごとを浅く広く、たくさんするより、むしろ目の前にあることのなかで一つでも夢中になれることを深く掘っていくほうが、その人の才能に近づきやすいのではないでしょうか。(安藤)
■逆にいうと、親が自分にできないことを子どもに無理矢理やらせても、あまりいい結果にはならないということですか(笑)(橘)親にまったく素質ーー実際にそれをする素質でなくとも、鑑賞し味わう素質でもいいのですがーーそれすらないとすれば厳しいでしょうね。(安藤)
■そこで最近は、「努力の限界効用の逓減」の話をしています。これはデータアナリストのネイト・シルバが提唱した法則で、「2割の努力で8割のライバルに勝てる」ことをいいます。…問題は残りの2割のライバル(プロ)に勝つために「とてつもない努力」を必要とすることですが、「努力の限界効用の逓減」のもう一つの特徴は、「最初の努力は大きく報われる」ことです。だったら、まずは2割の努力をして、8割の素人を圧倒できるブルーオーシャンを探せばいい。(橘)
第6章(遺伝と日本人 – どこから来て、どこへ行くのか)
■『遺伝と平等』の終盤で、著者のハーデンもそのことを強調しています。それどころか、「今の時代、遺伝の影響を語らないのは罪だ」とまで言い切っている。すごく勇気のある発言だと思いました。僕もしばらく前から、教育の世界で能力の遺伝に言及しないのは知的に不誠実だとはっきり言うようにしています。(安藤)
コメント
子どもがいる身としては示唆に富む内容であった。
前半は神経伝達物質の具体的な名称などが出てきて面食らう部分もあるが、対談本ということもあり、内容としてはわかりやすいものとなっている。
基本的には遺伝の影響を受けることを前提にしたうえで、個人がどの分野に適性があるかを見極め、適性があると思われる分野に取り組める環境を支援していくしかない。
遺伝が知能に与える影響の大きさを考えると、努力しても限界があるということを眼前に突きつけられてショックを受ける部分もある。
ただ、最近になって画一的な競争の枠組みが徐々になくなりつつあるのは救いなのかもしれない。
勉強の才能がなかったとしても、他の分野で活躍する道が開かれており、それに対する世間的な評価も高まれば、自ずと遺伝の影響を教育分野で言及することのハードルも下がる気がしている。
他にルートがないと、遺伝的に優位性がない者はただ下位に甘んじることになってしまうが、他のパスウェイがあれば、どこか適性のある分野で活躍できる可能性もある。
その意味で、遺伝の影響を教育分野で述べることは、この他分野での活躍することの地位を高めることが前提になってくるように思う。
これを踏まえ、かくいう自分としては今後子どもにどう接していくか。
遺伝的な素養として知能が高いことはあまり期待できないし、運動能力が極めて高いということもなさそうではあるので、何かを強制して習わせることは避けるようにしたい。
本人の希望を聞いたうえで対応するのが一番だが、それだけだと視野が狭くなりがちなのが難点ではあるが・・・。
いずれにしても遺伝的な影響があることを認識したうえで、過度に子どもに期待しすぎることなく、なるべく本人の適性がありそうな活動にコミットできる環境を整えていくことを目指していきたい。言うは易く行うは難しであるが。
一言学び
2割の努力で8割のライバルに勝てる分野を探す。
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