大学受験の思い出(2浪目②)

大学受験

さすがにアルバイトばかりしている状況に危機感を覚えつつあった。

特に使うこともなかったので受験費用については賄えるレベルまでお金は貯まっていたので、そろそろ勉強にシフトせねばという思いだけは抱いていた。

11月からシフトを減らしていき、12月の前半でアルバイトを休止した。

2浪目に関しては結局1度も模試を受けずにいた。

受けなかったというより受けたくなかったといった方がいいだろう。

結果を見ることが怖かった。ずっと逃げ続けた。

英語に関しては不定期ではあるが、断続的に勉強していた。長文の問題を解くことを中心にして、英単語の復習も実施していた。

その他の科目については、ほとんど勉強していた記憶がない。

古文についてはたまに問題を解いたり、単語覚えたりしていたくらい。

世界史も結局ずっと『ナビゲーター世界史』、『実況中継』を読んでるだけだった。

ただし、小論文については勉強していた。

今までやっていなかった小論文のべんきょうの理由は志望校変更にある。

この調子だとまた全落ちすると思った自分は、志望校を見直すことにした。

英語だけで何とかなる大学を中心に受験すれば、少しは合格する確率が高まるだろうと考えたためだ。

そこで英語と小論文だけの慶應のSFCや、英語とプラスして教養問題を出題するICUなど、純粋に受験科目として国語や世界史を使わないで済む大学を受けることにした。

もっとも合格のためだけに志望校を変更したわけではない。

浪人中に現実逃避のため哲学に興味を持ち始め、大学で学びたいと思うようになったことも志望校の変更要因になった。

そのため第1志望は慶應の文学部にした。世界史が不安だったが、英語と小論文がうまくいけば、と思っていた。

その他、既に述べた慶應SFC、ICU、そして授業が面白いという噂を聞いただけで選んだ青山の国際政治経済学部、またこれも石原千秋の『学生と読む『三四郎』』を読ん打影響から成城の文芸学部(既に石原千秋は早稲田に移っていたのだが)、そして英語教育が良いと聞いた神田外語大学を受験することにした。

上記の大学でダメであったら、とりあえず3月入試も視野に入れて検討しようとしていた。

家庭状況や、就職のことを考えると3浪目はない、と自分もさすがに考えていた。

英語の勉強は断続的に続けつつ、添削サービスを用いながら小論文の勉強を進めた。

受験勉強から逃避するために行っていた読書(どれも新書レベルを読んでいただけだが)が小論文には少し活きていたように思う。

そしていよいよ年が明け、2浪目の受験が始まった。

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