この前読んでいた楠木建氏による『絶対悲観主義』に、以下のような文章があった。
・高峰秀子さんの名言に「言ってわかるひとには言わないでもわかる。言わなきゃわからない人には言ってもわからない」があります。
『絶対悲観主義』186ページ
最近の話でもないが、新入社員に対する上司の不満で部下が「言わないとわからない」というものがある。
逆に、新入社員の方の不満としては「言ってくれないとわからない」が挙がっていて、いわばコインの裏表である。
わたしも1年目のときは上記のような不満を抱いていたように思う。
「具体的にどういったプロセスで進めればいいのか、明確に指示してほしい」と考えていたし、実際に今でも指示は原則はそうあるべきだとも思っている。
しかしながら、自分自身が段々と歳を重ねてきて自分より若手の人と話すことも増えるようになると、少しずつ「言わないとわからない」ということに対する不満もわかるようになってきた。
当たり前のことだが、指示出しを具体的にしようとすればするほど時間も労力も掛かる。
まったく右も左もわからない初めてのことであれば、そういった具体的な說明はあって然るべきだが、それをずっと続けるのはなかなかしんどい。
仮に「言ってようやくわかる人」と「言わなくてもわかる人」がいたら、後者の方が圧倒的にコミュニケーションコストが低い。
時間が有限であることを考えると、必然的に「言わなくてもわかる人」が重宝されるのは当然のことのように感じるようになってきた。
「指示待ち人間ばかり」という上司が抱く批判も、このあたりが関係しているような気がする。
「言わなくてもわかる人」になるには、過去の事例を応用したり、日々の仕事のなかで上司の動きを観察し、必要なことを推し量ったり、周りの関係性を見ながら動いたりといったことを実行する必要がある。
『絶対悲観主義』のなかで、「仕事にとってもっとも大切なものを挙げるとすれば人間洞察である」と述べられているが、まさしくその通りだと感じる。
人間同士が仕事をする以上、人間に対する洞察力がすべての土台になっているように思う。
冒頭の「言ってわかるひとには言わないでもわかる。言わなきゃわからない人には言ってもわからない」というのは、洞察力がある人はわかるし、それがない人は一生わからないということかもしれない。
かくいう自分も偉そうにこんなことを書いているが、決して人間洞察が完璧にできているわけでもないし、常に「言わなくてもわかる人」というわけでもないので、まだまだ精進が必要なのは言うまでもない。
ただ、最近は結局、コミュニケーションする相手である人間、その人がどういった思考や行動を取るのか。
そういった観察をでき、理解し、その都度言動を調整できることがすべてだと思うようになってきた。
人間(相手)をよりよく理解するためにも、小説や映画、美術などを積極的に見ていく姿勢が重要になってくる。それは今の自分に欠けている部分なので、補うようなアクションを取らないと。
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