読書レビュー:『こども性教育 (おそい・はやい・ひくい・たかい No.113)』(宮台真司/岡崎勝)

読書

読みたいと思ったきっかけ

シリーズものとなっており、前回作も読んでおり、今回も購入した。


内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

1時間目 どうして一人ぼっちは寂しいの? ── いつでもつながれるのに「孤独」な時代
2時間目 「恋愛・セックス・結婚」はどう変わったの? ── 統計に見る日本人の意識と現実
3時間目 「いい恋愛」をするには、どうしたらいいの? ── これからを生きる「希望」を見出すために
小学生向け岡崎先生の特別授業 「大人」になるみんなへ ── 男の子と女の子、そして家族のこと
おわりに この本を手にした大人のみなさんへ

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

1時間目(どうして一人ぼっちは寂しいの?)

・どうして「孤独」がこんなにおそろしいのかというと、私たち人間はゲノム(遺伝情報)に「孤独」をおそれるようにインプットされているからです。

・むろん被害にあわないように気をつけるのは大切です。でも「信頼できる人間を見つけて自分を委ねることは本当に幸せだよね」という感覚を失ってはいけない。仲間とともにある生き物としてもつべき、そうした根本的感覚が、なくなってきています。それがどこより放置されているのが、「孤独死」だらけの日本というわけです。

2時間目(「恋愛・セックス・結婚」はどう変わったの?)

・昔は、一緒にいるうちに「なんか理由はわからないけど、好きになっちゃった」というふうに「恋愛」が始まったと話しました。この「理由がわからない」ことが大事なのです。言葉で言えるような条件にはかかわらない、つまり、入れ替え可能な存在ではない、ということだからです。

3時間目(「いい恋愛」をするには、どうしたらいいの?)

・なぜ「恋愛」がしたいのだろう?それは友だち関係とはどこがちがうのだろう?それを徹底して考え抜くことが、みなさんには必要です。徹底的に考え抜かないと、つきあう相手ができても、さして親しくもない友だちと同じような関係しか築けず、ただそこにセックスがあるだけになります。

・あなたこそ私にとっての世界のすべてである。そして、あなたが喜ぶのであれば、私はなんでもする。この二つの構えが文学や映画で一貫して伝えられてきました。

・恋愛小説や恋愛映画には、「この人に出会ってはじめて、私は知らなかった世界を知った」という定番のせりふがあります。そうです。「比較」しかありません。残酷ですが、「比較」は大切です。いままでの人よりも「同じ世界」で「一つになれた」。こんな経験をするとは思わなかった。いままでの相手はなんだったのか・・・・・・。そういう気づきが大事です。「比較」によってはじめて「比較」できない「絶対」がわかります。「比較」を避けても、いずれは必ず「比較」するようになります。

おわりに(この本を手にした大人のみなさんへ)

・成人向けの実践の一割の成功例を観察することで、彼らの子ども時代に、幾つかの特徴的な共通項が見出されました。そのうち重要だと思ったものが以下の二つです。第一は、子どものころに親や家族などの重要な他者たちから無条件で深く愛された、至上の喜びを記憶する者に、成功例が目立つということです。第二は、両親の不仲や暴力などの酷薄な成育環境ゆえにそうした記憶がなくても、そこから逃げるために図書館などで本を読みつづけた者にも、成功例が目立ちました。ぼく自身、両親や近所の大人から無条件で愛された記憶をもち、家庭環境は悪くなかったけど、六つの小学校に通ったことで図書館にこもりつづけた経験がありました。この二つは、本文で話した、社会ではありそうもない「唯一の恋人への無償の贈与」を、ありそうな営みだと想像させる、社会学でいうロールモデルを与えます。

・「恋愛」が結婚と無関係だった長い時代から、いっときの恋愛婚の時代をはさんで、いま「恋愛」も結婚も、二つ同時にものすごい速度で難しくなりつつあります。

コメント

今回は前回のような対話形式ではなく、宮台真司氏による講義形式による恋愛・性愛に関する授業がメインとなっている。

基本的にはこれまでの宮台氏の主張と変わりなく、一貫して日本社会が「終わっている」ことを統計データで示しつつ、そのなかで個人としてどのように打破していくかのヒントが示されている。

恋愛や性愛は他者があって初めて成り立つものであるので、個人がいくら自分で努力したとしてもそこに限界が生じるし、個人でどうにかできるレベルでもない。

宮台氏のような人物が中心になったコミュニティのなかで経験し、模倣(ミメーシス)し、行動していくしか成長の余地はない。

結局人間としての総合力の問題であって、ひとかどの人物の凄みのようなものに直接触れることでしか啓蒙されることはないのかもしれない。

そうしたひとかどの人物は希少で、なかなかお目にかかれないことを考えると、「まともな」大人になることは運に恵まれた一部の特権になっていくのかもしれない。(もう既にそうなっているかもしれないが)

自分としてはまずは自分の子どもに対しての振る舞いを注意しつつ、人間としての総合力、凄みが出るように経験値を積み上げていく努力をしていくしかない。

ハウツー的に即効性がないし、事後性が高いけど、そこにベットする他に方法はないように思う。

一言学び

「比較」によってはじめて「比較」できない「絶対」がわかります。


コメント

タイトルとURLをコピーしました