読書レビュー:『絶対悲観主義』(楠木建)

読書

読みたいと思ったきっかけ

本屋で新刊として目にしたのがきっかけ。

楠木建氏の著作としてはこれまでに『ストーリーとしての競争戦略』と、山口周氏との対談本である『「仕事ができる」とはどういうことか?』の2冊を読んでいる。


内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

はじめに    
第1章 絶対悲観主義
第2章 幸福の条件
第3章 健康と平和
第4章 お金と時間
第5章 自己認識
第6章 チーム力
第7章 友だち
第8章 オーラの正体
第9章 「なり」と「ふり」
第10章 リモートワーク
第11章 失敗
第12章 痺れる名言
第13章 発表
第14章 初老の老後

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

はじめに

・こと仕事に関していえば、そもそも自分の思い通りになることなんてほとんどありません。この身も蓋もない真実を直視さえしておけば、戦争や病気のような余程のことがない限り、困難も逆境もありません。逆境がなければ挫折もない。成功の呪縛から自由になれば、目の前の仕事に気楽に取り組み、淡々とやり続けることができます。GRIT無用、レジリエンス不要――これが絶対悲観主義の構えです。

第1章(絶対悲観主義)

・ただの悲観主義ではなく「絶対」がつくところがポイントです。仕事の種類や性質、状況にかかわらず、あらゆることについてうまくいかないという前提を持っておく。何事においても「うまくいかないだろうな」と構えておいて、「ま、ちょっとやってみるか・・・・・・」。これが絶対悲観主義者の思考と行動です。

・負けは負けでまた違う味がある。僕の場合、これまでにさんざん負けを経験しているので、負けを味わう手練手管が発達しています。例えば、ある仕事の現場が終わって、思い通りにいかなかったとき。コインパーキングに停めてある営業者の中で缶コーヒーを手に煙草を一服しつつ「そうは問屋が卸さない、か・・・・・・」とつぶやくと、しみじみとした幸福感を覚えます(実際に声に出すのが大切。眉間に皺を寄せつつ苦笑いをすると、味わいはさらに深くなるので試してみてください)。

・絶対悲観主義と矛盾するようですが、仕事において自信はとても大切です。自信が好循環を生み出します。ただし、「あれができます」「これができます」と言っているうちはまだまだです。悲観を裏切る成功が続いて、ようやく自信が持てるようになります。これは独りよがりのプライドではなく、地に足の着いた自信です。

・ただし、絶対悲観主義は仕事への構えをラクにするため(だけ)のものであって、仕事の成果や成功を約束するものではありません。テニスで言えば、フォームのようなものです。構えがどんなに優れていても試合には勝てません。やはり楽観は禁物です。仕事で結果を出すためには、自分の土俵をここと定め、目の前のお客に誠実に向き合い、自らの才能と能力に磨きをかけていくしかありません。

第2章(幸福の条件)

・なぜかというと、生まれた国は選べないからです。日本というマクロ条件は他責鬱憤晴らしの性能に優れている。同じ他責の犯人探しでも、「上司が悪い」「会社が悪い」と言ってしまえば、「じゃあ、転職しなさいよ」となり、自責に引き戻されてしまいます。これが面白くない。「日本が悪い」であれば、自責に戻ってくる心配はありません。気持ちよく思考停止できます。何を見ても聞いても「こんな日本はもう駄目だ」「希望がない」「閉塞感」「中国に抜かれた」といった話にもっていくのがスキな人がいます。この手合いに遭遇したときは、「ま、いろいろツラいことがあるんだろうな・・・・・・」と悲しみとともに放置するべきです。

・マクロ他責の鬱憤晴らしは悪循環の起点にして基点です。そのときはちょっと気が晴れるかもしれませんが、繰り返しているうちにどんどん不幸になっていきます。しょせん一回の人生、一人の自分しか生きられません。人生晴れの日ばかりではない。それでも、生活の充実は「今・ここ」にしかありません。

・積分派の幸福は記憶にあります。例えば子育て。やっている最中は大変でも、20年経って振り返ってみると、いくつもの幸せな記憶が積み重なっています。旅行もそうです。その最中も楽しいですが、ふとしたきっかけに旅行をしていたときのちょっとした出来事を思い出し、何とも言えない幸福感に包まれることがあります。

・記憶こそ人間の最大の資産だというのが僕の考えです。

・幸福の正体が記憶資産にあるとすれば、習慣的に日記をつけるのは幸福になるための優れた方法のひとつだと思います。

・繰り返しますが、幸福ほど主観的なものはありません。幸福は、外在的な環境や状況以上に、その人の頭と心が左右するものです。あっさり言えば、ほとんどのことが「気のせい」だということです。自らの頭と心で自分の価値基準を内省し、それを自分の言葉で獲得できたら、その時点で自動的に幸福です。「これが幸福だ」と自分で言語化できている状態、これこそが幸福に他なりません。

第3章(健康と平和)

・ゆっくりとリズミカルに歩く。仕事に出るとき、駅までゆっくり歩くようになりました。とにかくゆとりを持って行動すること、約束の時間よりも前に着いて、のんびり深呼吸する。極度に慌てているときは、人間はかなり長い間呼吸をしていないそうです。これが副交感神経を殺し、ますますドタバタする。慌てたときほど、意識的にゆっくりと呼吸をしなさい、というのが小林先生の教えです。

・これからの時代、意思決定と実行の点で強権国家が民主主義国家よりも優位にあると言う人がいますが、とんでもない妄言です。あれほどの修羅場を潜り抜け、難しいかじ取りを冷静にこなしてきたプーチンでさえこの有り様です。人間は致死率100%です。独裁者が率いる強権国家の最大のリスクは、独裁者が自分の死もしくは引退を現実問題として意識したときに陥る錯乱にあります。

第4章(お金と時間)

・僕は人を見るときは行為主義の立場を取ります。意見や主張はいろいろあるにせよ、結局のところその人が実際に何をして、何をしていないか。これがその人の本当を表している。

・エイジングのの良いところのひとつに、物欲がなくなってくるということがあります。耐久消費財などをひと通り持っているということもありますが、それ以上に、年を取るにつれて自分なりの価値基準が固まってくるからです。自分が満足できる物さえあれば、他は気にならない。どんどんラクになってきます。

・お金と違って時間には貯蔵性がありません。買うこともできません。「お金で時間を買う」という表現がありますが、せいぜい目的地への移動にヘリコプターをチャーターする程度の話です。一日を36時間や48時間にしてくれるサービスはどこにも売っていません。もうひとつ、時間という資源の特殊性は供給がタダということにあります。一日当たりの供給量は24時間に固定されていますが、調達コストはゼロです。生きているだけで、必ず一日24時間が公平に支給されます。時間という資源の使い方が誰にとっても関心事になるゆえんです。

・時間がない時間がないと言いながら、長々とスマートフォンをいじっている人がいます。考えてみれば、スマートフォンは人類史上最強の暇つぶしの道具です。はっきりとトレードオフを選択肢、自分にとっていちばん楽しくて意味があると思うことに集中しないと、ゲームやSNSの「暇つぶし」に明け暮れることになります。

第5章(自己認識)

・僕がわりと本質的だと思っている思考様式の分類に「アウトサイドイン」か「インサイドアウト」かというのがあります。環境動向や今後の見通しをできる限りすべて知っておいて、そのうえで「良いもの」を選択しよう。これがアウトサイドインです。一方のインサイドアウトは、「ま、これじゃないの」という直感が先にあって、その後で外部に目を向けます。マーケットインかプロダクトアウトかという対比に近い。

第6章(チーム力)

・仕事の現場では日々の仕事をするチームが動いています。会社全体の組織を云々する前に、自分たちのチームを良くするのが先決です。組織全体のあり方はすぐにはどうにもなりません。それでも仕事の現場で動く自分のチームについては、今すぐに変えられることが多々あるはずです。

第7章(友達)

・詩人の高橋睦郎の名著に『友達の作り方』があります。この本の中に友達の本質を鋭く抉る定義がありました。友達というのは偶然性、反利害性、超経済性という条件を備えた人間関係である――まったくその通りだと深く共感しました。『友達の作り方』というタイトルなのに、友達の本質からして、友達の作り方なんてものはない――スカッとした結論が素敵です。

第8章(オーラの正体)

・「あの人からはオーラが出ている」という表現があります。たまにはそういう人に遭遇することもあります。オーラの正体とは何か。結論を先に言えば、オーラとは受け手の側が勝手に感じるものだ、というのが僕の見解です。その人がオーラを出しているわけではない。当人にはそのつもりはないのに、周りの人が「うわー、オーラが出ている」と言っているだけというのが本当のところだと思います。

第9章(「なり」と「ふり」)

・獣性を言いかえれば「なりふり構わず目標直撃」ということです。これがヒジョーによろしくない。「なり」と「ふり」こそが人間を人間たらしめているというのが僕の考えです。ありていに言えば「品」です。

・品の良さの最上の定義だと僕が思うのは「欲望に対する速度が遅い」です。もともとは立川談志さんが言ったことだそうです。この定義は欲望の存在を否定していません。品が良いということは、お釈迦様のように世俗的な欲望から解脱してしまうことではない。普通に欲はある。ただそれをなりふり構わず取りに行かない。欲望が「ない」のではなく、あくまでも欲望に対する速度が「遅い」ということです。期待がすぐに実現するとは思っていない。自然な流れの中でうまくいくことも、いかないこともあるわけで、それをじたばたせずに待っている。慌てず騒がずなりふりを大切にする、これが上品な人だと思います。

第10章(リモートワーク)

・やる側からすると自宅からのオンラインは確かに楽です。かえってこっちのほうがイイかな、という気になったこともあります。ただし、これまでの推移を振り返ると、相手がどう思うかは別にして、オフラインのほうが(主観的には)間違いなく仕事の質が上がります。ようするに、効率対効果という古典的なトレードオフです。

・もし仕事にとってもっとも大切なものをひとつだけ挙げろという無茶な質問をされたら、僕は人間洞察だと答えます。リモートワークは、直接・間接、意識的・無意識的のうちに人間の人間に対する洞察能力を毀損する面があります。人間洞察のセンスは仕事をするうえで今まで以上に大きな価値を持つようになる、というのが僕の見解です。

・昨今では「リモート」という形容詞ばかりが取りざたされていますが、そもそも「ワーク」とは何か。リモートワークは仕事の本質を考え直す絶好の機会を提供しています。

第11章(失敗)

・では、どうすればいいのか。畑村先生は、回復力はもともと自然に備わっている力だと言います。失敗直後はエネルギーが抜ける一方ですが、エネルギーが戻ってくると自然と困難に立ち向かえるように人間はできている。エネルギーが抜けている状態のときにじたばたするのがいちばんよくない。遠回りのようでも、エネルギーが戻ってくるのをひたすら待つのが最善の策、ということです。

第12章(痺れる名言)

・高峰秀子さんの名言に「言ってわかるひとには言わないでもわかる。言わなきゃわからない人には言ってもわからない」があります。自分なりの考えを人さまに提供するという仕事をしていますが、僕は人を説得しようという気持ちを持たないようにしています。人それぞれに考えがある。わかってくれる人がわかってくれればいい、というスタンスです。

・「さあ、俺も立ち上がるかな。まあ、もう少し座っていよう」。いかにも武者小路実篤らしい名言です。機が熟すのを待つ。これは僕の仕事にとって最重要の原理原則の一つです。周りの人を見て、俺も立ち上がろうかなと思いがちですが、機が熟していなければ、もう少し座っていよう――この構えが結局は仕事の質を高めることにつながると考えています。

第13章(発表)

・これがやたらと楽しかった。学校の本物の授業は、同業者(本物の先生のこと)の授業を視察するような気分で眺めていました。自分なりに工夫を重ね、それよりもいい授業をしようと努力しました。結果として、日本史が得意になりました。振り返ってみると、中高生の勉強法としてセルフ授業はわりと秀逸なのではないかと思います。問題は、その光景を目にした家族に「うちの子は大丈夫だろうか」という戦慄が走るということです。

・話すように書くというスタイルの利点は、「自分が面白くて人に伝えたいことだけを書く」という、文章にとってもっとも大切なことに意識を集中できることにあります。どうしても伝えたいことが自分の中にあるかどうか。それこそがプレゼンテーション力や文章力の正体だと僕は考えています。

第14章(初老の老後)

・自分を含めていろいろな人を見てきて思いますが、「出合い頭」や「ひょんな縁」「成り行き」の積み重ねでこうなっているわけで、なるようにしかならない。結局は自分の身の丈というか、自分の実力の範囲でしか仕事はできません。それでも、なるようにはなる。禅問答めいていますが、僕の結論は「なるようにしかならないが、なるようにはなる」です。僕が大切にしているのは、具体的なキャリアプランやキャリア戦略ではなく、その時点でどの方向に行きたいのかという感覚です。自分なりの価値基準で、こういう仕事をしていきたい、こういう仕事はしたくない、これさえ決めておけば十分だと思います。

コメント

各テーマに基づいたエッセイ本であるのだが、文句なしに面白かった。

どのテーマであっても、ユーモアのある話や表現を織り交ぜながら、そのなかでそのテーマに関する事象を多面的に捉え、本質的な核心部分を突いていると思わせる文章が連なっている。

わたしとしては特に「幸福の正体が記憶資産にあるとすれば、習慣的に日記をつけるのは幸福になるための優れた方法のひとつ」という発言に妙に納得してしまった。

別にネガティブなことばかり考えているわけではないが、こういった幸福とは、人間とは、といった根源的な基本的には答えのない問答を考えてしまう癖があるので、刺さったのかもしれない。

確かに「あのときは良かった」「あのとき出かけてこんなことがあった」「あのとき誰かが〜と言った」など、過去の話を振り返っているときは楽しかった思い出であり、それを噛みしめることで幸せを感じているといえる。

「過去を振り返っているのは時間の無駄」とか、「今を生きろ」とか、色々と過去や過去の記憶を否定する言説もあるけれど、最終的に死ぬ直前に考えるのはきっと楽しかった思い出であることを考えれば、やはり過去の思い出は重要な幸福の源でありそう。

その他にも、人を行為主義で見るとか、時間の貯蔵性のなさ、失敗したときは何もするな、など各テーマどれも面白く、かつ参考になる内容だった。

この本は読んでいて文字通り時間を忘れてしまった。

すごい硬い本だったり、特定の勉強のための本だと、時間を忘れて本を読んだという経験はしづらいので、やはりこういうのはエッセイや小説に特有なのかもしれない。人にもよるだろうけど。

おすすめの一冊です!

一言学び

記憶こそ人間の最大の資産だ。


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