年を取ったらどうなるのか。(仕事の引退後と死ぬ間際、そしてFIRE)

日々の生活

日々生活していると「年を取ったらどうなるのか」とふと考えてしまうことがある。

「年を取ったら」というレンジもそれなりに広いが、自分としては1. 仕事の引退後と2. 死ぬ間際にどうなるか、の2つのポイント・タイミングで意識することが多い。

仕事の引退後

仕事の引退後については、そもそも仕事を引退することができるのかどうかすら怪しい。

生涯現役社会の到来と言われて久しいが、自分としてもそんな形で働き続けなければいけなくなるかもしれない。

もちろん自分の経済状況次第では引退することも可能だとは思うが、それが実現できるかどうかも不透明であるため、より悲観的に働き続ける未来を想像している。

確かに働き続けた方がボケも防げて良いといった話も聞くが、やはり強制的に働かなければ行けない状況は避けたい。

自発的に働くのであればいいが、経済状況から働かざるを得ないというのは身体的にも老いてきたタイミングでは好ましくないように感じる。

引退後も働かないといけない状況に追い込まれている自分を想像すると、暗い気持ちになる。

死ぬ間際

こちらは小さい頃によく考えていた「死んだらどうなるのか」という命題を反復しているだけかもしれない。

ただ、その頃とは違って「自分が幸福に死ねるのか」という少し違った命題が中心にはなっている。

「自分を看取ってくれる家族はいるのか」「死ぬときに感謝されるのか」といったことを考えてしまう。

自分が死ぬときは謂わば自分の人生の評価がくだされるときでもある。

そう考えると、死ぬ間際のタイミングに思いを巡らすのは、その評価を気にしているからかもしれない。

死んだあとの名声など自分にとっては何のメリットもないが、それでも気になってしまうのは体裁を気にしているからか・・・。なんとなく格好悪い。が、実際にそれを考えてしまう。

まとめ

自分が年を取ったときのことを考えるのは誰でもあるはず。

そういった将来を考えてしまうのは、将来に対して漠たる不安があるから。

明るい未来を描けるほどの万能感はないし、一寸先は闇といった不安感が自分を覆っている。

日々なんとなく生活して時間が過ぎていき、結果的に年を取っていくのだろうが、ずっとこの不安感に苛まれるように思う。

根っこにあるのは経済的な不安なので、そこが解決されればこの漠然とした不安感もなくなるのだろうけど。

そう考えるとFIREなどの経済的自由に向けた取り組みが流行っているのも、そうした不安感を払拭するための対策を皆が求めている結果とも考えられる。

それは漏れなく自分にも当てはまるのだから、日々経済的自由に向けて仕事をしつつ、種銭を溜め、投資していく他ない。

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