社会資本格差と文化的資本格差を埋められるのか?

日々の生活

経済的格差

格差社会という言葉が定着して久しい。

記憶している限りでいうとおそらくリーマン・ショックの少し前?くらいから言われるようになった気がしている。

とはいえリーマン・ショック後に派遣切りなどのニュースの関係で一気に格差社会という言葉は人口に膾炙したのは間違いなさそう。

ここでいう格差社会は、主に経済格差のことを指している。経済格差はすなわち収入や資産の多寡の差が大きく開いている状態をだいたい世間一般では指す。

コロナ禍に起因した現在叫ばれている格差についても主として経済格差がフィーチャーされており、その格差縮小に向けた施策をどうするかに焦点が当たっている。

経済格差については財政出動による給付金や減税措置などを実施すればある程度確実に経済格差を縮めることは可能だろう。(それが実行できるかどうか、またその活動が支持されるかどうかはわからないけど)

社会資本格差と文化的資本格差

一方で、格差は経済格差以外にもある。それが社会資本格差と文化的資本格差。

社会資本とは、他者とのつながりの総体のことを指されるが、また文化的資本とは金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を意味する。

このあたりは社会学において詳しく議論されているところであり、門外漢のわたしに学術的な説明をすることは難しい。

しかしながら、この経済的以外の資本については自分にとって非常に考えさせられるものがある。

わたしは両親ともに高卒であり、どちらもそこまで学のあるほうではない。家に書籍もほとんどなかったし、あったとしても現代小説が少しと車の雑誌があったくらいだった。

当然ながら絵画鑑賞などの文化教育のようなものとは縁遠く、この意味では文化的資本がとても乏しかったように感じている。(そもそも世間一般でどれくらい文化資本があるのかわからないが)

また社会資本にしても、零細企業に勤めていたこともあり、なにか強力なコネがあるわけでもなかった。親戚にしても、同じような境遇の人が多かったことから身内の資本的な「価値」も少なかったように思える。

こう考えると、自分がどれだけ仮に経済的に成功したとしても、社会資本や文化的資本の格差を埋めることは難しい。

社会資本格差と文化的資本格差をどう埋めるか

社会資本に関しては、経済的に成功すれば自ずと「良い」関係性を確保することに繋がるのであろうが、文化的資本については幼少期から積み上げられた差を埋めることは容易ではない。

そういった高尚と思われる文化資本への趣味嗜好を形成すること自体が、幼少期からの賜である側面は否定できない。

まったく絵画やクラシック音楽などに関わってこなかった人が、大人になってからそういった分野に興味を湧くこと自体がとても稀有なケースに思われる。(例外はたくさんあるだろうが)

自分にとっても結局そういった高尚な趣味嗜好をキャッチアップしようにも、どこか敷居の高さを感じたり、積み上げるべき知識量に圧倒されることがある。

これが仮に幼少期から周りにそういった環境があったのならば、多少はアドバンテージになっていたように思える。

こういった社会資本や文化的資本の格差を縮めるには家庭内である程度はそういった教育が必要だと認識のうえで、取り組んでいかねばならないか・・・。

しかしながら、自分にそういった知識がないからこそ、どこから手を付けていいか正直わからない。だからこそ、この社会資本格差や文化的資本格差を解消することが難しいのかもしれない。

経済的格差の解消のための収入を上げたり、支出を下げたりする方法は世間的に共有されつつあり、ある程度一般的な最適解らしきものは固まりつつある。

一方で、社会資本や文化的資本の格差解消の方法は一般論に落とし込むことが難しいように思えるが、これは自分ひとりでどうにかすることができないことが原因かもしれない。

果たして自分はこの社会資本や文化的資本の底上げを図ることはできるのだろうか。

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