読みたいと思ったきっかけ
またも佐藤優氏の著作ということで購入。
こういった中学生や高校生に対する授業をまとめた書籍は面白いことが多い。
内容
目次
目次は以下のとおりとなっている。
はじめに | ||
第1章 | : | 人生は読解力で決まる |
第2章 | : | 読解力とは行間を読む力 |
第3章 | : | 小説を通して読解力を身につける |
第4章 | : | 違和感を大事にする |
第5章 | : | 未来を読み解く力 |
おわりに | : |
内容
わたしの気になった箇所について記載する。
第1章(人生は読解力で決まる)
・本来、コミュニケーションとは、他者を理解し受け入れながら、同時に自分を相手に理解してもらうように努めることでしょう。有意義なコミュニケーションを成立させるには、「読解力」が不可欠なのです。逆に言えば「読解力」が不足していたら、コミュニケーションも成立しません。私たち日本人に、その力が不足しているとすれば、当然コミュニケーションにも影響が及んでいるはずです。
・SNSは同質性の高い集団においてはコミュニケーションを活性化させる働きが強い一方、立場や意見が違う者を排除する閉鎖性が強いツールであることが指摘されるようになりました。
・エコーチェンバー現象とは、ある人物の意見や主張が、肯定され評価されながら、集団内のメンバーによって繰り返しされる現象を言います。それはあたかもこだまが鳴り響くかのように反響し、共鳴して、集団内で一層大きく強力なものになっていきます。
第2章(読解力とは行間を読む力)
・小説のような散文もそうですが、とくに詩歌のような韻文を理解するには、そのような一体化と共感が理解をさらに深めてくれるでしょう。
・この行間を読む作業はアカデミックな論文だとか評論、ノンフィクションよりも、小説などのフィクション、しかも純文学系のものほど必要とされます。
・文学作品には論理的な文章はむしろ少なく、シミリ(直喩)やメタファー(暗喩)、アナロジー(類比)が多用され、飛躍的な表現がたくさんあります。
・文学作品を読む作業は、大変高度な作業といえる。ところが、高学歴者であるほど、文学作品を単なる娯楽や読み物だとして、低く見る傾向があります。それよりも学術書や専門書の方が価値が高く、レベルが高いように考えがちです。
・「要約」はできても、行間を読むことができず、「敷衍」ができないと、人にやさしく説明することはできません。彼らが難しい言葉を使うのは、何かをごまかそうとしているか、本当は理解できていないか、どちらかということです。
・恋愛、人間関係、出世や成功、死生観……。一通り漱石の小説を読めば、近代以降の人間の葛藤や悩みは疑似体験することができるでしょう。
第3章(小説を通して読解力を身につける)
・人間は本から学ぶ以上に、すでにその本やテキストに触れ、何かしら変容を遂げた生身の人間から影響を受けることの方が、はるかに大きいと思います。それはその人が持っている知識や知性に影響されるというよりも、その人が持つ一種の波動や輝きのようなものです。そのような人の言葉には言霊があり、行動には強いメッセージがあります。それが人を動かし、変容させる。これが「感化」というものです。
・大義の前に自然な人間の情を捨てる。そうなると、決していい時代や社会じゃなくなります。
・一人で本を読むよりも、その本に影響された人とか、その本に感動した人と読むと理解度が全く違います。それはその人の感動とか体験が、こちらに伝わるからでしょう。つまり一種の感化を受けるからだと思います。
第4章(違和感を大事にする)
・たとえば自分自身で本を読んでキリスト教に興味を持ち、「よし、自分は信仰の道に進もう」と決めて入ったとしても、そういう人は熱しやすく冷めやすい。一瞬、自分自身が燃え上がるようなときってあるからね。
・感化は、自分の人格の深いところに作用するもの。自分の決断ではありません。そういう意味で、本当に決定的なものというのは自分の内側からではなく、外から来るものなんだ。
・男の人って頭から入りがちでしょう。理屈とか計算とか、理性の範囲で物事を判断する。そして自分の意志でイエスに従おうと決める。それは感化とは違う。あくまでも自分の内側からの判断です。だからいざとなると、とても弱い。
・いずれにしても、私たちの人生で大事なことって、いかによい感化を受けるかということだと思う。
第5章(未来を読み解く力)
・また、これからの時代は中国語が話せるかどうかで大変な違いが出てきます。英語はもちろんですが、加えて中国語ができたら強い。皆さんが30代、40代になったときには英語と同じ程度に、中国語は必要になっていると思うよ。
・それから、意外に重要なのが韓国語と朝鮮語です。韓国と北朝鮮の人たちを合わせると約8000万人になります。これだけの数の民族が隣にいるのですから、韓国語、朝鮮語も学んでおいて損はない言葉です。
・ところが、日本人にはいまだにこの目的論的な思考が弱い人が多いです。ただ目先の試験で、いい点数を取りたいと頑張る。大学入試なんかでもそうだよね。将来自分が何になりたいという目的がなく、偏差値が高い大学、学部を目指すわけです。こうなると、結局トレンドに流されることになるよね。自分が本当にやりたいことが見えないまま、頑張るだけという。
・つまり「人に与えることができる人」になるために勉強があり、仕事があるんだよね。そして、そういう人生を歩めた人こそ、本当の幸せが来るんだよと言っている。これは、私自身がこれまで生きてきた実感としても言えることです。自分の力を自分のためでなく、人のために役立てることが大切です。
コメント
メインとしては三浦綾子の『塩狩峠』の読解を通して、行間を読む力、すなわち真の読解力を身につけるためのヒントが述べられている。
行間を読む力。
テクストではなくコンテクストを重視する姿勢ともいえようか。
このコンテクストを理解する力の重要性については、確かにあらゆる場面で痛感することができる。
仕事でも友人関係、家族関係でも、人間同士のコンタクトがある場所ではどこでもコンテクストが存在する。そしてそこに流れる文脈を無視して言動することで何かしらトラブルが生じる。
当たり前のことだが、ついつい忘れがちである。
この本のなかで「文学作品を単なる娯楽や読み物だとして、低く見る傾向があります。それよりも学術書や専門書の方が価値が高く、レベルが高いように考えがちです」とある。
これはまさしく自分の高校・大学時代の考えだった。小説を読むという行為を単なる娯楽としてしか認識していなかった。
そこには「小説は役に立たない」という思い込みがあったように思う。
当時は「読書=何かを学習する」という定式化のもとに本を読んでいたので、小説はその範疇にはいっていなかった。
しかし、今となってはこの小説を軽視してきた姿勢を猛省している。
学生時代という社会人と比べて圧倒的に時間のあるときにこそ小説を読んでおくべきだった・・・。
後悔先に立たずで、いまさら嘆いても仕方ないのだが。
今からでも遅くないと信じて、これからは小説も少しずつ読んでいきたい。特にこの本でも薦められている夏目漱石については、わたしは前期三部作と『こころ』しか読んだことないし、今となっては内容もほとんど忘れている。それらの読み直しから始めて、夏目漱石のその他の作品も読んでいきたいところ。
行間を読む力を鍛えるという目的で小説を読む姿勢が良いのか悪いのかわからないが、とりあえず実行してみたい。
一言学び
私たちの人生で大事なことって、いかによい感化を受けるか。
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