読みたいと思ったきっかけ
こちらも著者買い。
内容
目次
目次は以下のとおりとなっている。
プロローグ | : | 岐路に立つ人へ |
第1章 | : | 分ける、分かる、分け合うーー違和感との出会い |
第2章 | : | 格ーーの差? |
第3章 | : | 能力ーー二の句が継げない「カルチャーフィット」 |
第4章 | : | 自己肯定感ーー自身を持てるように頑張ろう? |
第5章 | : | 矛盾ーーヒューマニティを取っ払う先 |
第6章 | : | ガチャーー確約は正義なのか? |
第7章 | : | つぶしが利くーー汎用化が孕む凡庸化リスク |
第8章 | : | 自立ーーした人間とは? |
第9章 | : | 覚悟ーー結果論かつ強者の論理 |
第10章 | : | 成長ーー後退、停止、逡巡の価値 |
第11章 | : | 自己責任ーー応答からはじめる関係性 |
第12章 | : | リスキリングーー「生き残り」をかけるの誰? |
第13章 | : | タイパーー納得した感 |
第14章 | : | 本当に困っている人ーー絶望選手権と化す裏の顔 |
第15章 | : | 対話ーー見え透ける特権性 |
第16章 | : | 人となりーー組織の問題を個人化する装置 |
第17章 | : | ウェルビーングーー連帯のかけ声になりにくい理由 |
第18章 | : | 赦すーー広い心と笑顔があればいいのに? |
第19章 | : | メリットーーという気まぐれ |
第20章 | : | 躊躇ーー躊躇うことを躊躇わない実践者であるために |
エピローグ |
内容
わたしの気になった箇所について記載する。
プロローグ(岐路に立つ人へ)
※特になし
第1章(分ける、分かる、分け合う)
※特になし
第2章(格)
■そもそも全く馴染みも意外性もない概念を一足飛びに世間に問題視させ、ムープメやトを起こすなんてことは、不可能に近い。だから、社会の(現時点の)一般的な認識に合わせて、論点を設定することは、社会運動の火付けとして、肝要なポイントであるのだ。
第3章(能力)
※特になし
第4章(自己肯定感)
※特になし
第5章(矛盾)
※特になし
第6章(ガチャ)
※特になし
第7章(つぶしが利く)
■連載や著書でも繰り返し述べてきたことだが、うまく仕事を回せるときは、うまく環境にはまっているときだ。逆に言えば、相性に恵まれず、ぎくしゃくした不運な状況というのも、誰にでも起こりうる。それは個人が「優秀」かどうかなどでは、占えない、相互作用的な問題である。それなのに、関係性度外視の、個人主義的な人間観を前提にしたまま、もっと高い精度で予見しろ、「決まっていない」ことが怖いなら「決めちゃおう」というのは、迂闊というか、ちょっとした欺瞞にも思える。
第8章(自立)
■とはいえ、教育社会学を修めた在野の能力主義探究者としては、そう世相を斬って終われないところがある。というのは、汎用性が本当にリスク回避になるかどうかは、かなり、心もとない話だと思うからだ。むしろ、汎用性を追い求めることは、ごく一部の猛者を除いて、多くの人にとっては悪手と言わざるを得ないと私は考える。
■汎用性とは凡庸と紙一重だ。みんなと同じ、は安心どころか、差別化の手立てを失った不安定な状態にもなりかねないと思って差し支えない。このことは、学校でぜひ教えてほしかった世界の真理だと思っている。
第9章(覚悟)
■でも、その弱さを認めざるを得なくなった地点こそが、あなたの・私の人生における岐路である。そしてそこが、「自分を生きる」始点でもある。弱い自分を生き切るには、周囲に感謝し、生き抜くのではなく、生き合うには?考えない日はない。
第10章(成長)
■そう、「成長」は多義的なのだ。「よりよい社会」と言うのも、「成長」すべし!と言うのは簡単だが、その内実はそう直線的なことではない。前だけでなく、不意に後ろに進んでしまうこともある。自力ではどうにもならないこともある。だから「成長」してないね、ではなく、それでも他者とともにどうにかやっていけること。これ以上に「よりよい社会」はあるまい。
第11章(自己責任)
■具体的には、こうする。責任の所在はいったんわきに置く。そのうえで、responsible(責任がある)の元々の意味である、respond (反応、応答)できるかどうか=応答可能性に焦点を当てる。覆水盆に返らずだが、経緯の「説明」や今後の方針案の「説明」は欠かせない。
■「いや、で、責任とかはもういいから、どうしようか?」「何か私の側でもできることがないですか?」と地に足のついた、協働、共存に向けた問いを繰り出したい。
第12章(リスキリング)
■いかにも。「リスキリング」に限らず、「パーパス」でも「ウェルビーイング」でも「ジョブ型」「リモートワーク」でもなんでもいいのだけど、何をやるか、どうやるか、どう啓蒙するか(なぜやらねばならぬのか)はいつも話されているけど、何をもって「成果」とするかはびっくりするほど議論の俎上に上がらない。
第13章(タイパ)
■やるべきだとされることをいそいそと素早く手順よく行うのか(効率)、動作を速めるというより、長い目で見て、有利な効用が得られるよう行動を選択するのか(効果)……そのどっちも重視するのがタイパということになるが、これは……..”急がば回れ、誰よりも速く”と言っているのに等しい。ポップな響きとは裏腹に、本来、両位が異様に難しいことを要請していると考えてしかるべきではないだろうか。
■そう、タイパ主義とは、今ここの経験が未来に及ぼす「効用」なぞ、正確に知りようがないのに、逡巡のため立ち止まっていることも許さない社会と言えるのだ。この原理原則が私たちを救うのかどうか……は一考の価値があろう。
第14章(本当に困っている人)
※特になし
第15章(対話)
※特になし
第16章(人となり)
※特になし
第17章(ウェルビーング)
■ここで十中八九気づくのは、社会の構造的な問題だ。誰かの不運や重い負担のうえにしか成立し得ない、一部の人の脆弱な「しあわせ」の構造が産業全体にある。ここから目をそらした議論は、要らない。
第18章(赦す)
※特になし
第19章(メリット)
■しかし、ブレイキンは……素人には確かにてんでわからなかった。巧拙、優劣、出来・不出来が。つまり新しいものに関しては、「メリット」も「デメリット」もよくわからないのであり、逆に言えば、「メリット」がわかっているとしたらそれは、既知の見慣れたものに対してのみ、過去の杵柄に対してのみ、ということになる。
第20章(躊躇)
※特になし
エピローグ
※特になし
コメント
本書は元々、朝日新聞デジタルの言論サイト「Re:Ron」に掲載された論稿をもとに、書き下ろされた短編集となっている。
各キーワードをもとにその用語にまつわる著書の「違和感」が論じられていく。
自立、覚悟、成長、対話などのワードは世間的にはポジティブなものとして解釈されているように思える。少なくとも自分自身の認識では少なくともネガティブな用語ではない。
そういった一見ポジティブに見える用語の裏に見える構造的な問題であったり、社会的な歪みを掴み取り、そのどこに違和感があるのかが紹介される。
特に仕事という場においては、これまでの社会的背景などもあってか、どうしてもいわゆる「マッチョ」な価値観が大勢を占めている気がする。
もちろん時代の変化でそうした価値観が見直されてきていると思うが、まだまだ「マッチョ」な価値観は根底に存在している。
自分もそういう価値観に染まっている部分はある。それは否定できない。
そのなかで弱さを露呈すること、それを認めることは今もなお憚られる気がしている。
ただ、そういう価値観や考え方が社会に息苦しさをもたらしているし、それは引いては自分自身を苦しめることにもなる。
ただし、そう理解できたとしても、自分以外の他人も同じような考えに変化しなければ、自分だけがダメなレッテルを貼られてしまう恐れがあるのも事実。
それゆえにそもそもそういった問題自体を認識したとしても、大勢が変化しないのかもしれない。
この点、自分自身がどう折り合いをつけていくか。自分自身の価値観や人間性、信念を問われている気もする。
「ひとかどの人物」であれば、どちらを選ぶかは自明だ。が、それを容易に選択できないところに自分の未熟さ、ヘタレ具合が表れているように思う。
一言学び
汎用性とは凡庸と紙一重だ。
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