読みたいと思ったきっかけ
以前に読んだ土井英司氏の『人生で読んでおいた方がいいビジネス書75冊』に掲載されていたのが購入のきっかけ。
内容
目次
目次は以下のとおりとなっている。
プロローグ |
フランス 一店目 |
フランス 二店目 |
フランス 三店目 |
フランス 四店目 |
フランス 五店目 |
フランス 六店目 |
東京 コート・ドール |
エピローグ |
文庫版あとがき |
内容
わたしの気になった箇所について記載する。
プロローグ
■だから、若さというものは、大事にしないともったいない。ほんとうの「なまもの」という気がします。本人には自覚がないと思うけれども、端で見ているともったいなくって。「1ミリも無駄にするなよ。鮮度落とすな」って言いたいぐらい。だんだん鮮度が落ちていくのを見るのはつらいものです。
■ひとつひとつの工程を丁寧にクリアしていなければ、大切な料理を当たり前に作ることができない。大きなことだけをやろうとしていても、ひとつずつの行動が伴わないといけない。裾野が広がっていない山は高くない。そんな単純な原則が、料理においても、とても大切なことなんです。
フランス 一店目
■ただただ仲良くしたいなんて思っているヤツは、みんなに体よく利用されて終わってしまいます。相手に不快感を与えることを怖がったり、職場でのつきあいがうまくいくことだけを願って人との友好関係を壊せないような人は、結局何にも踏み込めない無能な人です。
■ぼくのように日本で生まれ育った人間が日本語でさえうまく表現できないことを、フランス語で伝えられるはずがない。日本語での表現が的確になれば、フランス語も的確になる。ぼくの場合は、そのような方法で語学習得をしていきました。
■「こいつは牙をむくかもしれないな」という部分を相手にきちんと認知させないと、こちらがグロッキーになるまでやられてしまいます。最初からあまりに優秀だと、出だしにチームメイトから叩かられてしまう。またあまりに愚鈍だと使い走り一辺倒で終わる……TPOに応じて馬鹿と利口を使い分けていくというか。そういう感覚はフランスに行かないとわからなかった。
■できるならば、若い人には、ある程度の時期までは無傷で行ってほしい。傷はいつか必ず受けるものです。35歳ぐらいまでは、天真爛漫なまま、能力や人格や器を大きく育てていったほうが、いいのではないでしょうか。無傷で行かないと、大舞台に立った時に腰が引けてしまう。いじましい思いが先に出てしまう。
フランス 二店目
■一生懸命に仕事をやっている人には、一生懸命な人の言葉しか通じないのです。当人も毎日必死にやっているのだから、具体的にきちんと考えている人の提案しか採用するはずがない。中途半端な「言うだけなら、誰だってできる」という程度の意見ならば、自分で考えたことを押し通すほうが結果が良くなるのですから。これは、ごく普通のことなのです。
フランス 三店目
■ぼくは、ペイローさんを日本で体現したいと思いました。自分でやれる大きさ以上の仕事には手を出さない……これは簡単そうで難しい。いつもうれしそうに、楽しそうに仕事をしていました。姑息さもない。表も裏もまったく変わりがない。ああいう風になりたい。本質以外は何だかわからない人。だけど、いつも垂れ流しで自分を出している人。
■自分の評価や直接に得になることだけを求める姿勢ではいけないと思いはじめた時期です。ここでは自分の労力はソンになったかもしれない。でも、こちらで得たことをふまえると、相殺すればちょっとだけよくなったと思えばいいじゃないか。
■だから、稼ぎがいいとか悪いとかいうよりも、生き方をきちんとしたいと思っていました。富んでいるか貧乏かというよりも、住んでいるところを大切にする姿勢を持ちたかった。選択をこまめにする人間でありたかった。
フランス 四店目
■「タイユバン」の組織の作られ方は、勉強にはなりましたよ。「……であるべし」というのが箇条書きで出るような職場だったから、最初は非常に戸惑いましたけれども。でも、人を束ねてある水準を維持するには、システムや意識や人材登用が非常に大切なんだというのが身にしみてわかりました。組織を維持することは人情とは別問題なんだな、とそこまで思い至れるようにはなりました。
■今の「コート・ドール」のチームメイトにも、ぼくは「たいへんだと思っても、続けるんだ」と言っています。続けると、いろいろわかってくる。だから頑張れる。「どんなことでも完全に思い通りにはならない」ということも、わかってくる。
フランス 五店目
■ぼくは彼らが23〜24歳の頃に出会っているけど、日本の23歳と比べて、ずっと大人ですよ。料理人になる人は、だいたい14歳ぐらいから仕事をしているから、25歳にもなれば料理長クラスがザラにいます。日本の料理の世界では、まだ右も左もわからない年齢だし、ぼくもそのひとりだったのですけれども。
フランス 六店目
■横にいたぼくがそう思うほど、目の前にぶらさがっているものを急いで取ることはなかったですね。誘惑にはぜんぜん負けない。
東京 コート・ドール
■「若い人がトレーニングの結果で得るレベルは、上司のレベルにかなり左右されるものです。誰に習ったらいいのかを自分で選択して決めるということも、若い人にとっての大切な仕事でしょう」(筆者註:木沢武男著『料理人と仕事』より)
■つまり、人生に近道はないということです。まわり道をした人ほど多くのものを得て、滋養を含んだ人間性にたどりつく。これは、ぼくにとっての結論でもあります。技術者としても人間としても、そう思う。
■なんで生き方の問題が仕事の問題かと言うと、ぼくが見てきた範囲で言いますと、若い時の才能とか技量には、あんまり差はないからなのです。結局、才能をどれだけ振りかざしてみても、あまり意味がないと思う。才能はそれを操縦する生き方があってのものですし、生きる姿勢が多くのものを生むからです。点を線にしていくような生き方と言いますか。
■その時々のすばらしいメートル(恩師)と並走している時には、「案外、自分でもできるのではないだろうか?」と思ってしまうものです。しかし、うまく並走することができているのは、隣にいる恩師が見えない微調整をしてくれているからに他ならないのです。
■家内工業のよさというのは、細かいところまで責任を負えることだとぼくは思っています。そして、調理場ではマニュアルを作れないと思っています。組織はマニュアルを作るから弱体化していくとさえ考えていますから。少人数でその場その場の言葉にならないマニュアルを作ってピンチを切り抜けていくところを重視していますね。効率は悪いですが。
■採用するかしないかを決める基準は、ふたつだけです。気立てと健康。そのふたつには、余計な作為が入ってないからいいのです。どこを切っても裏表なく人に接する人はすばらしい。まわりの誰もが「あ、この子は何でも嫌がらずにやるな」と、憎からず思うでしょう?そう思ってもらったら、もう成功の切符を手にしたようなものです。そういう人ならどこに行ってもうまくいくでしょう。
エピローグ
※特になし
文庫版あとがき
■知識として学ぶことは、たくさんあります。ただ、その知識は、生活の中に組み入れて、生き抜く原動力にしなければ、ただ「なるほどなぁ」と思うだけのものになってしまうのではないでしょうか。生活の中で、いかに応用して、状況を切り抜けていけるのか、という観点で様々な人の言葉を吸収したいと思うのですが、「あぁ、これは、この人のほんとうの肉声だなぁ」というところまで達しているものは、なかなか、ありません。
■「斉須さんは、どうやって、こういうお店を作ったのですか?」と問われたなら、こう答えたい。「なにをやったか、よりも、『やらなかったこと』が今に至っていると思います」と。策を弄していたとしたら、手に入らなかったであろうものが、今のぼくには、とても大事な財産になっています。
■「その行動の秘訣はなんですか」と聞かれたとしても、脈略のない様々なものごとが集まって、今日の活力につながっているのが実状です。同じひとつの言葉からも、置かれている立場や状況によって、異なるヒントを引き出せるのが、人間ですから。
コメント
文庫本の帯に「初めて読んでから20年ずっとこの本の言葉が僕の人生の道標でした。すべての働く方へお薦めします」という佐久間宣行氏の推薦文もあるとおりだが、これは働くということを見つめ直すのに最高の1冊であるように思う。
極限状況においても働き続けることによって見えてくるもの。
平々凡々の自分にはとてもとても得られそうにない視点を教授してくれる。
逃げずにどれだけ真剣に取り組み、仕事における技術を磨くのはもちろん、その精神性をも磨いていくか。
ミメーシスを起こせるのって、結局のところそういった熱量を持って真剣に取り組んでいる人なんだと再認識できる1冊。
どの分野であれその道でトップの人の言葉は常に何かしら響くものがあるもの。
それはその人が築き上げたその分野での業績や実績による説得力でもあるのだろうが、どれだけ真剣に熱量を持って取り組んできたか、その姿勢から言葉の説得力や重みが生じているように思う。
そういったプロフェッショナルの話を聞いていると、往々にしてとても真似できないように感じてしまうし、それは無理のない話。
凡人である自分としては、それでもそういったプロフェッショナルの熱量に感化されることで、少しでも自分もそこを目指そうとする意欲が出ること、日常における取り組みが少しでも変化すること。そういったちょっとの変化を起こすための起爆剤として使うというのが現実的なラインのように思える。
定期的にパラパラと読み返しつつ、その熱量を自分に注入していきたい。
一言学び
なんで生き方の問題が仕事の問題かと言うと、ぼくが見てきた範囲で言いますと、若い時の才能とか技量には、あんまり差はないからなのです。結局、才能をどれだけ振りかざしてみても、あまり意味がないと思う。
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