読みたいと思ったきっかけ
著者買い。山口周氏の著作はアカデミックな部分とビジネスな部分のバランスが絶妙で、読んでいてどちらの「欲」も満たされるものが多い。
内容
目次
目次は以下のとおりとなっている。
はじめに | ||
第一章 | : | クリティカル・ビジネス・パラダイムとは? |
第二章 | : | クリティカル・ビジネスを取り巻くステークホルダー |
第三章 | : | 反抗という社会資源 |
第四章 | : | クリティカル・ビジネス・パラダイムの背景 |
第五章 | : | 社会を変革したクリティカル・ビジネスの実践例と多様性 |
第六章 | : | アクティヴィストのための10の弾丸 |
第七章 | : | 今後のチャレンジ |
おわりに |
内容
わたしの気になった箇所について記載する。
はじめに
第一章(クリティカル・ビジネス・パラダイムとは?)
■今日の成功からはなかなか想像し難いことですが、Googleは創業当初に資金調達に非常に苦労した会社で、ベンチャーキャピタルから300回以上も投資を断られています。なぜ、当時の投資家はGoogleへの投資に魅力を感じなかったのでしょうか?理由は明白です。それは彼らのビジョンに「顧客や市場という概念が含まれていなかったから」です。
■そしていま、このマインドセットがビジネスに携わる人々にも求められています。なぜなら、誰もが当たり前だと思って疑わなかった社会の状況について、批判的な眼差しを向けて考察するという、もともとは哲学者やアーティストがやっていたことが、クリティカル・ビジネスのイニシアチブをとるリーダーには求められるからです。
■従来のソーシャル・ビジネスが、すでに多数派のコンセンサスの取れたアジェンダに対して取り組むのとは対照的に、クリティカル・ビジネスでは、運動を開始する時点では必ずしも多数派のコンセンサスが取れていないアジェンダについて取り組む、というのが大きな違いです。
■ここで重要な論点は「アジェンダが社会的であるかどうか」ではなく、「そのアジェンダが少数派のものなのかどうか」ということです。だからこそ、私は「ソーシャル・ビジネス」と「クリティカル・ビジネス」を分けて考えるのです。
■社会的成功と順番には著しい非対称性があります。一番手には大きな社会的成功と評価が与えられますが、たとえパフォーマンスが同等か、あるいは場合によってはより優れていたとしても、二番手には極端に見劣りする成功や評価しか与えられないのです。このような傾向について公正や公平といった観点から是非の問題を云々しても仕方がありません。社会を実際に変革することを目指すアクティヴィストであれば、このような社会の特性をむしろ逆手にとって利用するというプラグマティックなアプローチを考えるべきでしょう。
第二章(クリティカル・ビジネスを取り巻くステークホルダー)
■両者のあいだで「現状=As-Is」には変化がないということに注意してください。これはつまり、何を言っているかというと、「問題がない状況」と「問題がある状況」のあいだで、実は「現状」そのものに内実的な相違があるわけではない、ということなのです。ここはよく勘違いされていることですが、非常に重要なポイントなのでしっかりと押さえてください。
第三章(反抗という社会資源)
■歴史は「前進する」ことで展開するわけではない、歴史は、眼前に展開する光景への嫌悪感や違和感から、いわば「後退する」ことによって展開されていく、というのがベンヤミンの指摘です。
■反抗は、変革と進歩の触媒です。
■批判的であること、反抗的であることを止めてしまった社会は停滞してしまう。もし、そうなのだとすれば、私たちにはあらためて「反抗は社会資源である」という命題を肝に銘じて、自らの態度や価値観を改めていくことが求められます。
■アリストテレス以来、多くの思想家や心理学者が鋭く指摘した通り、私たちは「敵との大きな差異には我慢ができるものの、味方との小さな差異には我慢がならない」からです。これは運動のモーメンタムについて考えたとき、憂慮しなければならないポイントです。
第四章(クリティカル・ビジネス・パラダイムの背景)
■このグラフを見ると、現在の世界で喧しく議論されている「成長か、脱成長か」という議論が、そもそも論点として破綻していることがわかります。「成長か、脱成長か」という議論は、私たちの意志によってどちらかの選択肢を選ぶことが可能だ、ということが前提となっていますが、このグラフを見る限り、私たちに選択の余地はありません。世界は超長期的なトレンドとして必然的な「脱成長社会」に向かっているということです。
■一方で、先述したように企業は「大きな問題」から順番に解決をしていきますので、年を追うごとに社会に残存する問題は小さく、難しくなります。求められる成長は年を追うごとに大きくなっていくのに対して、解決することでリターンをもたらしてくれる問題はどんどん小さく、少なく、難しくなっているのです。これでは最終的にはどこかで破綻することが明白なゲーム、いわゆる「無理ゲー」でしかありません。
第五章(社会を変革したクリティカル・ビジネスの実践例と多様性)
■自分のお気に入りの家具に囲まれて暮らしている、というのはささやかではありますが幸福の基底をなす切実な環境条件でもあります。
■安全・快適・便利という基本的価値をすでに充足してしまった私たち日本の社会では問題は希少化しているように思えます。しかし、耳を澄まし、目を凝らし、時間軸と空間軸を拡げて世界を眺めてみれば、解決しなければならない問題はまだたくさんあるのです。
■見過ごされがちですが、「場所」は意味的な価値を形成する上で非常に重要です。今日ではあまり意識されることはありませんが「パタゴニア」という言葉はもともと、南米コロラド川以南の地域を示す単なる地名だったのです。人跡未踏の手付かずの自然が残っているこの地域の神秘的なイメージをそのままブランドの世界観に投影させ、そっくりそのまま自社のバランスシートに無形資産として載せたイヴァン・シュイナードの洞察力には唸らされます。
第六章(アクティヴィストのための10の弾丸)
■これらの事例が共通して指し示しているのは、クリティカル・ビジネスのアクティヴィストたちがイニシアチブを立ち上げるきっかけとなった経験は偶然によってもたらされるということ、そしてさらに指摘すれば、そのような偶然は多くの場合「旅」によってもたらされているということです。
■つまり、「難易度の高い挑戦的なアジェンダ」には、優秀でモチベーションの高い人を惹きつける一方で、凡庸でモチベーションの低い人を逆に遠ざけるという、クリティカル・ビジネスにおあつらえ向きの非対称性があるのです。
■ローカル市場において普遍性の高い問題の多くがすでに解決されてしまった以上、新たな事業機会はグローバル市場における普遍性の低い問題として見出されます。だからこそ、クリティカル・ビジネスのアクティヴィストは、イニシアチブの立ち上げ当初から、グローバルでの展開を視野に入れているのです。さらに指摘すれば、この視点は、これから先、大きな市場成長が見込めない日本という市場で事業を展開している私たちにとっても、非常に重要なパースペクティブを与えてくれるものだと思います。
■起業に関する過去の研究からは、安定した本業を持ちながら、リスクのある不確実性の高いビジネスを起業した人の方が、すべての仕事を辞めて起業にコミットした人よりも成功する確率が高い、という結果が出ています。これは直感に反する研究結果だと思われるかもしれませんが、「安定した収入をもたらしてくれる本業を続けながら起業した人ほど、副業で大胆なリスクを取ることができる」と考えればその理屈は単純です。
■クリティカル・ビジネスの実践にあたって、アクティヴィストは、非経済的な報酬によって獲得できる資源をありとあらゆるところから集めることを求められますが、このフィードバックもまた「非経済的資本」となります。教育学と経営学の領域にまたがってたぐいまれな業績をあげている経営学者のスーザン・アシュフォードは端的に「Feedback is resource=フィードバックは経営資源である」と指摘していますが、この資源は「とにかく始めること」によって増やすことができるのです。
■ここまでの話をまとめれば「イノベーティブなアイデアほど、人から評価されない」ということになりますが、この命題はまた私たちに逆側の重大な洞察も与えてくれます。それはすなわち、この論理命題の対偶となる命題、すなわち「人から評価されるのであれば、そのアイデアはイノベーティブではない」という命題です。誰もが素晴らしいと認めるようなアイデアは、おそらく実際にはそれほど素晴らしいアイデアではない、ということです。
■わかりやすく言えば、どんな場所に本社を置いているか、本社がどんな作りになっているか、どんな人事制度を採用しているか、どんな人材を採用し、重用しているかといったことが、すべて意味を生み出す情報になっているのです。
第七章(今後のチャレンジ)
■リーダーはイニシアチブをとって動き始めるだけではリーダーになれません。そのイニシアチブに賛同し「あなたの言っていることは正しいと思う」と賛同する人、つまりフォロワーが生まれた瞬間に、リーダーシップという現象が立ち現れ、その人は初めてリーダーになることができるのです。つまり「リーダーの不足」という問題は「フォロワーの不足」という原因によって生まれている、ということです。
■さて、兼業・副業が認められるようになると何が良いのでしょうか?「個人がキャリアのポートフォリオを持てるようになる」というのが最大の美点です。企業が、リスクの性質の異なる複数の事業をポートフォリオとして保有することで、リスクとリターンのバランスを最適化するのと同じように、個人もまた、複数のキャリアを同時並行で歩むことで、リスクとリターンのバランスを最適化できるようになるのです。
■日本は現在の世界において「安全・快適・便利」という価値を最も高次元で実現した社会を築きましたが、その安定性の高さはまた「わずかな逸脱をも許容できない」という大きなコストを生み出しています。ここに日本が向き合わなければならない大きなパラドックスがあります。
おわりに
※特になし
コメント
クリティカル・ビジネスがどういったものかわからない状態で読み進めた。
そもそもクリティカル・ビジネスがどういうもので、それが他とどう異なるかが当然説明されており、海外事例を引き合いにしながら現在の問題点やトレンドが描かれている印象。
特に海外事例として挙げられているフェアフォンやパタゴニア、ブルネロ・クチネリなどの取り組みは普段自分がリーチしている情報にないので興味深かった。
山口周氏が以前から主張されているとおり「年を追うごとに社会に残存する問題は小さく、難しくなる」状況はそうで、明白な問題でありかつ、それが技術や資源量・物質量で解決されるものは粗方解決がなされているように見える。
そうしたなかで「『問題がない状況』と『問題がある状況』のあいだで、実は『現状』そのものに内実的な相違があるわけではない、ということなのです」という指摘が一番印象に残った。
問題というものが、あるべき姿と現状のギャップとして定義されるとすると、現状に対する認識においては「問題がない状況」も「問題がある状況」も変わらない。
そこでの違いは「あるべき姿」が描かれているかどうか。
そしてこの「あるべき姿」をどのようにスケッチし、定めるか。ここが一番のポイントになるという指摘。
「あるべき姿」が定まらなければ、問題の定義上、問題自体が存在しないことになる。
この問題の定義と、それに関係する「あるべき姿」の話は個人的に示唆に富む話だった。
個人の生活レベルでいうと、逆に「あるべき姿」を描かないことで、問題を発生させないという処理もできるのかもしれない。現状に対する不満がないわけないので、この対処は後ろ向きでネガティブな意味合いの強い対処になるとは思うが、日常のなかでそうやって「問題を発生させない」という心理が働く可能性もあるように感じた。
この本の意図とは完全に異なるであろうが・・・。
またリーダーシップの問題におけるフォロワーの存在の話も勉強になった。
「『リーダーの不足』という問題は『フォロワーの不足』という原因によって生まれている、ということです」という指摘は、リーダー側に視点が向かいがちな「リーダー論」の盲点に思えた。
「当たり前だと思って疑わなかった社会の状況について、批判的な眼差しを向けて考察し」、「そのアジェンダが少数派のものなのかどうか」が重要なクリティカル・ビジネスは、私のような平凡な人間にとってみると、だいぶ遠い存在には思えて、少し高尚な感じがしてしまうのもある。
ただ、そういった取り組みが行われる潮流があることを知ることは重要であるし、その取り組みを導くリーダーの軽重あれどフォロワーになることはできるはず。
一言学び
「問題がない状況」と「問題がある状況」のあいだで、実は「現状」そのものに内実的な相違があるわけではない。
コメント