読みたいと思ったきっかけ
Amazonで検索していたところたまたま見つけたのが購入したきっかけ。
佐藤優氏の著作は買う確率が高いので、今回もその例に漏れず購入した。
内容
目次
目次は以下のとおりとなっている。
まえがき | : | 佐藤優 |
序章 | : | 今なぜ『坂の上の雲』を読み直すのか |
第一章 | : | 乃木希典と東郷平八郎 |
第二章 | : | 夏目漱石と正岡子規 |
第三章 | : | 明石元二郎と広瀬武夫 |
第四章 | : | 日清・日露戦争と朝鮮半島 |
あとがき | : | 片山杜秀 |
附録1 | : | 司馬遼太郎『坂の上の雲』年表 東谷暁 |
附録2 | : | 『坂の上の雲』主要人物事典 河崎貴一 |
内容
わたしの気になった箇所について記載する。
序章(今なぜ『坂の上の雲』を読み直すのか)
・それで「なぜ『坂の上の雲』を読まなければいけないのか」という若い学生や編集者には、まずは半ば冗談で、「出世のためだ。司馬遼太郎は、年寄り世代と会話する時にとても使えるツールなんだ」と諭しています(笑)。(佐藤)
・逆に言うと”書き過ぎていない”ことによって”解釈の余地”が絶妙な形で残されている。今回読み直してみて、学生の頃とはまた違ったように楽しめました。読み手の側も歳をとるにつれて、いろんな経験を積んでいきますから、一度読んだことがあっても、時間が経って再読すると、また違った読み方ができる。(佐藤)
・『坂の上の雲』はひとつの教育物語で、一高・東大へ進む、または陸軍士官学校や海軍兵学校で学んだ「教育の力」によって「坂の上の雲」を目指すことができた。そのような教育の右肩上がりの時代は、二十一世紀の初めに終わり、停滞から右肩下がりの時代が始まった。われわれの子どもの世代は明らかにわれわれより学力が劣り、孫の世代はさらに劣っていく。そういうおそろしい時代が始まっているのです。『坂の上の雲』の時代は、学ぶことが自身の立身出世になり、さらには国家の発展にも直結する幸せな時代であったと言えばそれまでですが、国民が学ばなくなった国家に未来はないと思います。(佐藤)
第一章(乃木希典と東郷平八郎)
・ロシアが日本専門家を育成するとき、最初に読ませるのは『更級日記』(菅原孝標女)などの平安時代の古典です。次に江戸時代の『玉勝間』(本居宣長)などを学び、最後に明治以降の近代日本語に入っていきます。それも谷崎潤一郎のような小説をたくさん読ませます。そうした教育を五年くらいかけてやります。菅前総理のブレーンだった小西工藝社社長のデービッド・アトキンソンさんはオックスフォード大学で日本語を学んでいますが、彼に聞くと、やはり中世の日本語から始めたそうです。これは非常に古くからの、イギリス型の外国語習得法なのです。この教育法の良いところは、小説を読む力がつくことです。今の日本の外交官や商社マンでロシア語が出来るといっても、新聞が読めるだけで、小説を読める人は少ない。これでは、ロシアで起きていることはわかっても、ロシア人がどういう人たちなのかわからない。
第二章(夏目漱石と正岡子規)
・歴史小説家の澤田瞳子さんに、同志社大学「新島塾」で「書くこと」をテーマにした講義を学長とともに依頼した際、コロナ禍なので奈良時代の天然痘パンデミックを描いた彼女の作品『火定』を課題にしては、と提案したところ、彼女が言うには「歴史小説だと『一つ一つの歴史的事実を文献にあたって調べる』といった読み方になってしまうので、むしろ『リンゴを描写する』という課題はどうか」と。他大学で出したことのある課題だそうですが、その”描写”というのは、実は簡単なようで簡単でない。自分の体験と結びつけて面白い話や感動的な話をつくるのは、学生でも意外と簡単にできる。しかし、描写になるとダメ。描写ができないから、表現力にも思考力にも限界がくる。だから「描写こそ表現の基本だ」と彼女は言うんです。(佐藤)
・「動的な神学」を学ぶ前に、まず「静的なアリストテレスのカテゴリー論」を学ばねばならない、という”神学の基本”にも似ていて、ある種の普遍性を感じます。子規の”先見の明”は恐るべきものですね。(佐藤)
第三章(明石元二郎と広瀬武夫)
・まずロシア正教会は、カトリックやプロテスタントに並ぶ影響力があり、日本国内にも、正教の協会や学校があり、出版活動も行われていました。それでいて、ロシア側には”東洋”に対する抵抗感がありません。タタール人やモンゴル人もいて、レーニンにしても、モンゴル系(カルムイク人)の血が入っている。ロシア自体が、半ば”東洋”で”東洋人”との結婚にも抵抗がない。ここが例えば英国などとは違うところです。(佐藤)
第四章(日清・日露戦争と朝鮮半島)
・少し角度を変えてみると、東アジアは「儒教文化=忠孝文化」として括られますが、実は「忠」(君主に対する忠義)と「考」(親に対する孝行)のウェイトは異なっていて、日本は「忠」の方を重視し、朝鮮は「考」の方をより重視しますね。「考」を重んじるかぎり、ネポティズム(縁故主義)が出てくるのも当然で、韓国政界や財界の腐敗も、「考」の文化に関係しているように思います。(佐藤)
・「植民地統治された側の気持ちはよく分かる」というのは、一見良心的なようでいて、自分が「旧宗主国」の立場にいることを都合よく忘却する無責任な態度です。むしろ立場の違いから目を逸らさず、その”居心地の悪さ”に耐え続けることこそ、「旧宗主国」としての責任を感じ続けることでしょう。(佐藤)
コメント
中身を確認するわけでもなく購入したので、思っていた内容とは違っていたというのが正直なところ。
『坂の上の雲』の具体的な内容に沿って対談が進みながら、ここの記述は史実と異なる、などピンポイントに解説されているのかと思ったのだが、そういったわけではない。
各章で取り上げる人物やトピックを起点にしながら対談しながら、適宜その周辺情報なども追加していくといった形式の本となっている。
もっとも元々が文藝春秋上での雑誌対談をまとめたものなので、そのあたりは仕方ないのかもしれないが。
本書は振ってあるページ数で数えると255ページになるが、そのうち162ページから255ページまでは附録である年表と事典となっているので、対談の分量は思っているよりも少ない。
ここは地味に残念なところではあるが、この年表と事典は確かに『坂の上の雲』を読むときは役に立ちそう。
自分は『坂の上の雲』を読んでのは高校1年生のときだったので、もう読んでから15年くらい経っている。
当時は読書にも不慣れで、語彙力も不足していたので、国語辞典で言葉の意味を調べながら読書していたのが懐かしい。
振り返って考えてみると、あのときに国語辞典を引きながら読書したことが意外と今の自分の語彙力の土台になったような。
初めて長編の作品を読んだので、読み終わったときの達成感がとても爽快に感じられたことを覚えている。
文庫本で8巻あるので簡単に読めるものでもないが、もう一度読み直してみても面白いかもしれない。佐藤優氏が本書のなかで言うように、自分も歳をとったのでまた違った印象や感想を抱けるかもしれない。
そのときに本書の附録は役立つこと間違いない。「『坂の上の雲』をこれから初めて読む」という人にとっては本書を副読本としてセットで読む方が理解しやすく、また史実と異なる部分についても把握できるので、是非手元に置いておくことを薦めたい。
一言学び
描写こそ表現の基本だ。
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