大学受験の思い出(高校3年生②)

大学受験

勉強できないまま終わってしまった夏休み。

夏休み後も相変わらず継続的な勉強はできず、1週間勉強したかと思うと、次の1週間は勉強しないといったムラのあるやり方を続けていた。

当時の模試の結果は以下の通り。

駿台・ベネッセ マーク模試(9月)
英語:R174点(69.3)、L26点(53.1)

数学:ⅠA69点(56.4)、ⅡB50点(54.5)

国語:59点(38.7)

※()内は偏差値

駿台・ベネッセ 記述模試(10月)
英語:64.0

数学:56.0

国語:51.9

※偏差値

駿台・ベネッセ マーク模試(11月)
英語:R172点(67.4)、L32点(57.4)

数学:ⅠA72点(57.4)、ⅡB55点(56.1)

国語:136点(58.3) 

※()内は偏差値

英語については安定はしているものの、猛烈に出来るというわけでもなく、数学と国語は目も当てられない状況であった。

結局、成績が上がらないため数学と国語(特に古文)はどんどん勉強しなくなってしまった。

勉強するのは比較的得意な英語が中心となり、その英語も気が向いたときにやる程度だった。

この辺りから何となく合格できないのでは、という思いが頭の中で芽生えてきていた気がする。

その気持ちが強くなったのは早大・慶大オープンという模試を受けてからだった。

早大・慶大オープン(河合塾)
英語:55.7

数学:39.8

国語:47.0

※偏差値

この結果に落胆し、さらに勉強しなくなっていき、時間だけがどんどん過ぎていった。

そしてそのまま年が明けた。

センター試験は受験しなかった。そしていよいよ出願。

模試で一度もA判定出ていないというのに早稲田の政治経済学部・商学部、慶應の経済学部、そして明治の政治経済学部の合計4学部のみ出願するという無謀な賭けに出た。

当時はプライドだけは高く、それ以外の大学には行く気がなかった。

いま振り返ってみると親も何故止めなかったのかわからない。

いま自分が親の立場なら確実に止めていたと思うが。。。

そして予想通り4つ全てに不合格。

そもそも受かっている大学もないため、必然的に浪人することになった。

わたしの家は元々あまり裕福ではなく、受験の費用を賄うだけでも大きな出費となっていた。

当然、わたしは現役のとき塾・予備校に行ってはいなかった。

しかし、浪人するにあたって予備校に行くことが必要という認識を親が持ってくれたのか、銀行でお金を借りて、予備校代を工面してくれた。

これは今でも申し訳なく思っている。

わたしは予備校に通うことになり、新たに浪人生として再度受験勉強を始めることになった。

志望校は変わらず早稲田の政治経済学部に定めていたが、受験科目を英語・国語・日本史にした。

数学が出来るようになるイメージが湧かなかったため、日本史に変更した。

国語についても全く古文・漢文もほとんど出来ずゼロからだったし、日本史は完全にゼロからのスタートだった。

いかに国語と日本史を仕上げるかが、合格の鍵を握るのは明らかだった。

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