読書レビュー:『なぜ人に会うのはつらいのか』(斎藤環/佐藤優)

読書

読みたいと思ったきっかけ

出張に行く際にたまたま空港の書店で見つけたのがきっかけ。

佐藤優氏の著作はすべて購入しているわけではないのだが、基本的に迷ったら買うようにしている。

内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

まえがき 斎藤環
第1章 「鬼滅の刃」ブームにみる現代日本人の心の闇
第2章 人はなぜ、人と会うのか
第3章 危険な優生思想に蝕まれないために
第4章 「同調圧力」と日本人
第5章 息苦しい「組織」「学校」から解放されるために……
あとがき 佐藤優

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

第1章

・独占資本の代弁者であるブルジョア新聞が、このままだと資本主義経済自体が大変なことになるのではないか、市場主義経済が崩壊しかねないと、本気の警鐘を鳴らしたわけです。『日経』が書くということは、経団連などの経済界トップもそのように認識していることを意味します。(佐藤)

・精神科と心療内科は、出自が違うのです。心療内科は、その名の通り内科がルーツなんですよ。身体を診る中で、メンタルへの配慮も必要だろうということになって生まれたわけで、同じように患者の「心」を相手にしながら、両者は異質なものと言っていいでしょう。ただし、ややこしいのは、精神科医が心療内科の看板を掲げてもいいことになっていますから、実際の心療内科には内科医と精神科医が混在しているのです。こういう状況は、恐らく海外にはないと思います。(斎藤)

・今の日本は、依存症外来に来る患者さんの第一位が覚醒剤、第二位が処方薬という、大変困ったことになっています。(斎藤)

・苦ではないどころか、仕事に関して言えば、生産性はかなり上がりました。リモートならば、人に会いに行く時間が省けるし、相手の言うことなどに対して読みが深くなる感じもするのです。付け加えれば、私はSNSをやらないので、そういうところに時間やエネルギーを使わずにすんでいるのも、大きいと思います。(佐藤)

・ですから、他者のトラウマに関わろうという場合には、それなりの覚悟が必要なのです。「何度裏切られても許す」というレベルではなく、「もし一線を越えたならば、被害者であっても毅然として裁く」という覚悟です。罪は、それを許されてしまうことが地獄につながることがあります。「鬼滅」は、許さないことが、時として本当の救済になる可能性というものを、極めて説得的に描いているわけです。(斎藤)

第2章

・ただ日本の外交官の多くは、訓令執行は比較的完璧にこなすのですが、情報収集とかロビイングとか、要するに明確な訓令のないところで人に会って何ものかを掴んでくる、あるいは新たなプロジェクトを発動させるというような局面になると、とたんにできる人の数が減ります。かつてに比べて語学力が低下したために気後れしてしまう、というのもあると思うのですが、ご指摘の「人と会うことの暴力性」のような部分の訓練をあまり受けていないことも一因なのかな、と感じます。(佐藤)

・それ(=面と向かって会うことの暴力性の理由)は現前性、臨場性の効果だと、私は思っています。そこに「物」として存在するということが、非常に強い力を及ぼす。「オーラ」と言ってもいいでしょう。科学的には、なかなか証明しづらいところもあるのですが。(斎藤)

・私は、ひきこもりの回復の指標は消費活動をどれだけするかだと考えているのですが、たいていのひきこもりの人は一年間に10万円も使わないですね。(斎藤)

・難しい問題ですが、その点(=ひきこもると、なぜ欲望の低下が起こるのか)については、フランスの精神分析家ジャック・ラカンの「欲望は他者の欲望である」という有名なテーゼを紹介しておきたいと思います。欲望や意欲というものは、自分の中から自然に芽生えるもののように見えて、実は他者が起源で、他者から供給し続けてもらわないと維持できない、とラカンは説きます。(斎藤)

・対話によって、患者を妄想というモノローグ(独り言)から抜け出させるのが目的です。「対話」とは何か、というのも深いものがあって、世間一般で対話と認識されているものも、実はそうではないことが多いのです。議論、説得、説明といったものは、相手との対話ではなく、実際はモノローグなんですよ。(斎藤)

第3章

・日本に関して言うと、1945年の敗戦以降、マルクス主義が「解禁」されたわけですね。その結果、精神医学の分野でもソビエト型唯物論が影響を広げて、1960年代ぐらいまでは、学会の中で結構幅を利かせていたのではないかと思います。その後、表舞台から姿を消したのですが、潜在してあったものが、近年になって脳科学ブームのような別の形で立ち現れてきたと言ったら、うがちすぎでしょうか。(佐藤)

・前にも言いましたが、大事なのは患者を孤立させないことです。そうすれば、依存症はこじれません。片端から犯罪者にして、社会から孤立させるような対処法は、逆効果なのです。(斎藤)

・要するに、「道義的にけしからんものは取り締まるべき」というような発想が強くて、科学的、医学的にこうです、という話は通じにくい。その政策に凝り固まった麻取(麻薬取締官)の論理は、たかがエビデンスくらいではびくともしない、という現実があります。(斎藤)

・優生思想的な発想は、一部狂信的な指導者の専売特許などではなく、多くの人々にとって、ごく自然のものとして受け入れられていたことになります。それは「差別」が人間の本性に深く根ざしているのと、同じことに思えます。差別も優生思想も、意識的な啓発によって禁止しないと「野生化」するのです。(斎藤)

・私は、「努力は遺伝に勝てない」「『悪い生』に生まれたら、そこから抜け出せない」といった優生主義の発想は、人々が様々なことを諦める理由にもなっているのではないか、と感じるのです。「教育は子供の成長に関係ない」と言われれば、塾に行かせる経済的余裕のない親は、「そうだよね」と自らを納得させることができるでしょう。経済格差が広がる社会においては、「人生は生まれながらに決まっている」というこの手の議論は、受け入れられやすいのかもしれません。為政者にとって都合がいい、と言うこともできるのですが。(佐藤)

第4章

・実は日本の同調圧力の本質は、「俺は得をしたい」ではなく、「自分だけ損をするのは嫌だ」「人と違う状況にはなりたくない」なんですね。(斎藤)

第5章

・私は、子どもたちの居場所をもう少しモジュール化して、学業以外の社交空間は学校とは別の場所にする、などの方策を考える必要があると思うのです。(斎藤)

・常に複数の居場所を確保しようと意識することは、とても重要です。今の子どもたち自身にそれをしろと言っても、なかなか難しいとは思うのですが。(斎藤)

・誤解を恐れずに言えば、まったく働けない、働かない人が人口の一割くらいはいる社会が健全だ、と私も考えています。それが肯定され、社会的抑圧が少ない環境になれば、逆に「不必要なひきこもり」は解消されていくだろうと確信するのですが。(斎藤)

あとがき

・「ひきこもり」の人たちの環境はコロナ禍によって多くの人が在宅勤務(新種の「ひきこもり」)をするようになっても変化していない。そこから見えてくるのは、工場、学校、軍隊という近代的集団行動のシステムの制度疲労だ。現在の制度に身体と心が合わない人が一割くらいいても不思議ではない。

コメント

全体的に斎藤環氏がメインで話し、それに対して佐藤優氏がコメントを付したり、質問したり、といった感じで展開される。

わたしが購入したなかで、佐藤優氏が聞き手側多い著作というのはあまりなかった気がするので、少し新鮮だった。

とりわけ以下の3つのポイントが気になった。

欲望は他者との関わりで生まれる

「ひきこもりの回復の指標は消費活動をどれだけするか」というのは知らなかった。

他者との関わりあいがあるからこそ欲望というものが生じるというのが意外な感じがした。

しかしながら、考えてみれば他人と会わないのであれば洋服を買うこともないし、髪型を気にする必要もない。またお腹を満たすだけならいくらでも安くて美味しいものがある。他の人がいなければ競って勉強や仕事ができるようになろうともしないだろう。

そうやって考えてみると確かにどんどんお金を使わなくなるのは必然的かもしれない。

逆にいえば浪費家やお金使いが荒い場合は、他者との関係性を完全に断てば治るのかもしれない。果たしてそれが可能なのか、また薦めるべきなのかはわからないが。

遺伝決定論・脳科学

橘玲氏の著作ではないが、最近は遺伝子・脳レベルで知能や行動は決定しているという遺伝決定論的・脳科学的な言説が多く流布しているように感じていたが、そうした言説がソビエト型唯物論の影響では、という仮説は面白く感じた。

それとともに遺伝子・脳レベルで初めから決まっています、という主張が格差社会に対する不満への一種の捌け口になっているというのも納得してしまった。

社会階級が固定化していく状況への不満に対して「遺伝子で決まっているんです」と言われれば、「個人の努力や勉強では克服できないものなのだ」と感じやすくなる。

そうなれば確かに社会システムの上層部にいる支配層・為政者にとっては都合がいい。

当然ながらそういった支配層や為政者が意図的に遺伝決定論や脳科学を広げているわけではないのだろうが、こういったブームが一般人レベルに拡大することは無意識的に自分の状況を納得しようとした結果なのだろうか。

認知的不協和ではないが、現状を変えるのが難しければ自分の認識・認知を変えるほうが手っ取り早い。

居場所のモジュール化

常に複数の居場所を確保すること、というのは最近わたしも意識的にやらねばならない、と感じていたところだった。

この本のなかでは子どもの不登校問題に対して居場所のモジュール化を提唱しているが、大人にとっても同じように当てはまるはず。

わたし自身、複数の居場所を子どもの頃も持っていなかったし、今も持っていないので、この点はなかなか耳の痛い話だった。

自分自身ができていないので自分の子どもに「複数の居場所を確保しろ」と言う筋合いがないのだが、安心できるホームベースとなる居場所を少なくとも2つは保持するように伝えていきたいところ。

まとめ

対談形式であるので文体も平易であり、すぐに読むことができるのもこの本の利点。

読みやすさがあるとはいえ、それが必ずしも簡単な得るものの少ない本というわけではない。

コロナウイルス感染拡大によって浮き彫りになった「人と会う」ということの意味やその特性を言語化して知るには適した1冊といえる。

一言学び

議論、説得、説明といったものは、相手との対話ではなく、実際はモノローグ。ダイアローグは難しい。


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