読みたいと思ったきっかけ
佐藤優氏の著作ということで、いつもどおり著者買い。
内容
目次
目次は以下のとおりとなっている。
はじめに | ||
第1章 | : | 死を乗り越える |
第2章 | : | 死を知って生きる |
第3章 | : | 死を受け入れる |
第4章 | : | 死の周辺を巡る考察 |
内容
わたしの気になった箇所について記載する。
はじめに
■人間のものの見方や考え方は、コンラート・ローレンツが『ソロモンの指輪』で述べているように、鳥の刷り込みと同じく、最初に見たものを自分にとって最も大事なものと思う傾向があり、そのため最初に知った世界観的な思想の枠組みから結局一生抜け出せません。
第1章(死を乗り越える)
■アメリカの発達心理学者ジェローム・ブルーナーは、われわれがよく「助け舟(scaffolding)を出す」と言っている事柄が子供を成長させるために如何に重要であるかという点を強調しました。
第2章(死を知って生きる)
■イスラム教徒にとっては人間の悲劇的な運命や不条理さを語ったものでは全くありません。神が望む善行を積めば天国での復活があり、死はその復活のための一つのステップなのです。
■世界的に有名な南米の作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスは1978年にアルゼンチンにあるベルグラーノ大学で行った「不死性」というタイトルの講演の中で、「私自身について言えば、不死性などを望んでいません。それどころか恐れてさえいます。このまま生き続け、これからもボルヘスであり続ける、そう考えただけで身の毛のよだつ思いがします」と語っています。永遠の生があるということは自分自身をずっと引き受け続けるということです。
■ハイデガーの存在論的思想には、強靭な存在性と祖国愛を強調する点で、ナチズムに通じるファシズムに陥る危険性も孕んでいる。
■最後にこれは私見ですが、冒頭の言葉にある戦争における兵士の「死」や「命」は勝ち戦か負け戦かで、事後的に全然違って見えるものです。もし、太平洋戦争に日本が勝利していたら、作者の大岡の戦争に対する見方も違ったものになっていたと思います。
■三島の評価の理由は、簡単に言えば、生きるか死ぬかという限界状況に常に身を置いてこそ人生の意味はあり、ただ単に生きるだけの人生には意味がないことを山本常朝は強調している点が素晴らしいというものです。確かに、三島が『葉隠入門』を書いた1967年は高度成長時代と大量生産大量消費の時代の波の中で、学生運動はあったものの、政治的にも、思想的にも絶対的な価値のあるものが失われていった時代です。そうした中で、生きることの意味を真摯に語る『葉隠』の作者の声は、三島の心に強く響いたのではないでしょうか。
第3章(死を受け入れる)
■プロテスタントは元々あるキリスト教の考え方、つまりは、聖書に書かれた考え方を重視します。例えば、イエス・キリストは死後に、一度肉体が滅び、魂も滅びたと考えます。そして、滅びた後にイエスは「復活」したのだと考えるのです。それが聖書の中にある基本的な教え方です。イエスは死んで、肉体から解放されて、永遠の魂を得たのではありません。復活したのです。この点が重要なのです。
■キリスト教的でプラトンのイデア論的な彼岸を理想とする考え方や、神やイデアといったものに絶対的価値があるという考えを、積極的ニヒリズムは否定して、彼岸ではなく「今、ここにある」という存在性を能動的に引き受けながら、力強く前進していこうとします。
■それゆえ、実践者である一休が「世の中は起きて箱して寝て食って後は死ぬるのを待つばかりなり」と語ったということは、人間存在の空しさや儚さを示すのではなく、人生を積極的に肯定しながら、死と向かい合おうとする存在姿勢であると見ることができるのではないでしょうか。
■しかしながら、殺人という視点ではなく、思考停止という視点で見たならば、個人の理性的な思考を停止させる命令というものは平和時であっても、戦時中と同様に数多く存在しています。
■不条理な状況にある場所では、どこにでも思考停止が存在するのです。
第4章(死の周辺を巡る考察)
■アーレントは自らの利害のために善を放棄してはいけないし、特定の善の観念に囚われ過ぎてもいけないと述べています。また、自分の利益になるという理由だけである政党に投票してもいけないし、皆が特定の思想や意見を盲目的に支持してもいけないとも主張しました。
■では、ジョブズは偉人なのでしょうか。私はそうは思いません。確かに、ジョブズのスピーチの中には心に響く言葉がありますが、ビジネスでの成功だけを願う企業家の発言としての側面が色濃く反映しているからです。少し乱暴に言うと、ジョブズのスピーチはジョブズという人格が言っているのではなく、「資本」が言わせている言葉です。つまり、ジョブズという稀代のイノベーターにして経営者の正体は、「資本の人格化」なのです。
■ドゥールズのようなポストモダンの思想家にとって、死はプラスのものかマイナスのものかを決定できないアポリア(解決できない難問)である。
■大きな物語を否定して小さな物語を求めても、理想主義的理念がなければ、小さな物語は搾取の材料になってしまう危険性がある。
■多くの哲学者や宗教家たちは、生や死といったものに対して、しばしば、抽象的な枠組みの中で捉えて語ってしまいます。そうすると、生や死の問題が非常に判り辛いものになってしまいます。ですが、孔子はこういった具体的な文脈の中でこそ、「個別の死」について、それはどういったものなのかを実際的に考えるべきであると考えたのではないでしょうか。
コメント
死という生命体にとって一番の恐怖に対して人類がどういった考えをもってきたか。それを過去の偉人達の名言から考えるというのが本書のコンセプトであり、それは死というものに直面する瞬間が来たときにパニックを起こさないように訓練するということも本書のスコープになっている。
戦争や災害といった一般的に非日常と捉えられている事象に直面する場合や病気等で健康不安がある場合など除けば、日常的に死を感じる瞬間というのは少ないように思う。
とはいえ突然、死が迫りくる可能性は否定できない状況において、その準備をしておくのは個人の人生マネジメントとしても重要な事項であるように思う。
死をめぐる問題は宗教学、哲学でも主要命題になってきた経緯もあるので、その歴史的な蓄積をすべて網羅することは不可能にしても、それを少しでも齧るだけでも多くの発見があるだろうし、その意味で本書はとても有益に感じる。
死が最大の恐怖ゆえに、意識的にせよ、無意識的にせよ日常なるべく考えないようにしている気がする自分にとっては、改めて死を考える契機になる一冊。
本書のなかでいうと、佐藤優氏がスティーブ・ジョブズの有名なスタンフォード大学卒業式での講演に触れて、そこに人を惹きつける魅力があるものの、偉人ではないと断定しているところが興味深く感じた。
「資本の人格化」されたのがスティーブ・ジョブズであるという指摘をどう捉えるかは人によって異なるが、資本主義という経済システムを大前提から距離を取ってみると、確かにそういった解釈も妥当であるようにも思える。
死生観というのは極めて個人の考えや価値観が反映されやすいであろうことに鑑みると、この指摘は自分自身の考えや価値観が資本主義という目に見えないシステムに多大な影響を受けてしまっている事実を突きつけられる。
そういう意味においても、死というトピックについて考えることは自分自身の考えや価値観を見つめ直すきっかけになる。
本書はその取っ掛かりとしてとても優れているように思う。
一言学び
永遠の生があるということは自分自身をずっと引き受け続けるということです。
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