読書レビュー:『「スティーブ・ジョブズ」翻訳者の仕事部屋 フリーランスが訳し、働き、食うための実務的アイデア』(井口耕二)

読書

読みたいと思ったきっかけ

スティーブ・ジョブズ本の翻訳者ということで名前を知っていたことと、『イノベーターズ』という書籍を購入して読んだときも翻訳者が井口耕二氏だったこともあり興味があり購入。


内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

プロローグ
第1章『スティーブ・ジョブズ』翻訳の舞台裏
第2章出版翻訳者の勉強部屋
第3章出版翻訳者の「塞翁が馬」人生
エピローグ
あとがき

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

プロローグ
第1章(『スティーブ・ジョブズ』翻訳の舞台裏)

■そうそう、最後の原稿と一緒に出典情報が届きました。「本文中のこの言葉は、これこれこういう雑誌のこの記事に記載されていたものだ」など、論拠を示す情報です。英語圏ではいわゆるエビデンスが重視されるので、翻訳書の原書には必ず出典情報が記載されています。論拠となる情報を示してくれた人を尊重し、その業績をたたえる意味もあります。

■補足という言い方をするとなにか足しているように聞こえるので、翻訳ではすべきでないという意見の人もいますし、私も、足してしまうのは翻訳ではないと考えています。ですが、原文読者が当然に持っている前提知識だから書かれていないけど、訳文読者にその前提知識がないことであれば、きちんと書かないと、伝わるはずのことが伝わらない、言い換えれば、「引いてしまった」翻訳になってそれはそれでだめだと思うのです。

■いや、書かれていないことは文章を構成する要素のはずないじゃんと思う人もいるでしょう。でも、明示的に書かれていなことがわからないと、つまり、その文章が前提としている知識がないと、読んでもなにがなにやら理解できませんよね。そういう前提知識から順に説明されればわかるはずなのに。

■同じことが伝わるのであれば、文章は短いほうが読者の負担が小さくなると思うので、「さまざまな条件」のひとつに「なるべく短くする」があり、あちこちぎりぎりまで削っているからです。

■短い訳文にするポイントは、英語の構造に引きずられず、日本語の特質をうまく生かすこと。たとえば、英語は一文ごとに完結するのに対し、日本語は前後の文とつながって意味をなすという特徴があります。

第2章(出版翻訳者の勉強部屋)

■また、そのころからタイム誌とビジネスウィーク誌を定期購読し、毎号、全部読み通すということを始めました。修士課程で2年だけの予定だったので、その間は英語漬けになってやろうと思ったのです。雑誌2誌、日曜版の新聞、その他ペーパーバックと合わせて、年間で本150冊分くらいは読んだ計算になります。そんな生活を2年弱したわけで、米国生活の時代だけで本250冊分くらいは英語を読んだでしょうか。

■タイム誌は読む速度を測るということもしました。最初は分速30ワードくらいでしたが、最後は250ワードくらいまで上昇。分速150ワードを超えたあたりから聞き取りも楽になりました。ふつうの米国人が話すスピードが分速120ワード、早口の人が150ワードくらいだからでしょう。聞き取れない単語があっても、こう言ったのだろうとその前後から推測する余裕が生まれたのだと思います。

■悪い意味で使われるときの直訳:原文が思い浮かぶ訳文であるとともに、訳文だけを読んだのでは意味不明で、透けて見える原文を思い浮かべて初めて意味が取れる訳文

■ごくおおざっぱに言えば、英語は、関係代名詞や現在分詞、過去分詞など、さまざまな仕組みを駆使して文の最後に補足情報をぶら下げるのに対し、日本語は、頭のほうで本筋以外の情報を紹介した後、大きな流れに入ります。

■日本語は、このように、まず関連情報を提示し、「そういうとき、こうなるんだよね〜」という感じで話が流れていきます。ちなみに、全体の流れをつかさどるのは文末の述語。また、日本語には、このパターンに合ったマーカーがたくさん用意されていて、それをうまく活用すれば話がスムーズに流れます。

■翻訳も同じです。楽をしていたら、頭の筋肉が発達するはずなどありません。いまの自分に考えられる限界の一歩先まで考える。知恵熱が出るんじゃないかと思うくらい考える。そういう負荷をかけて初めて、翻訳に使う筋肉がつくのだと思います。こう思うのは、根っこが体育会系だからなのでしょう。

■翻訳者というと英語を勉強しているイメージがあると思いますが、実は、日本語文法もずいぶんと勉強しました(いまもまだ勉強を続けている)。私は日本語が母語ですからそれなりには使えるわけですが、きちんとした文章を書きたければ、やはり、基礎から勉強する必要があります。なんとなく書いたものと、こういう理由があるからここはこうすると組み上げた文章はやはり違うのです。

第3章(出版翻訳者の「塞翁が馬」人生)

■企業は標準化が大事、個人は差別化が大事だと。企業は標準化して処理量を増やすことが収益増大につながるのですが、個人は処理量を増やせないので、差別化して高く売ることが収益増大の鍵なのです。

■私の両親は、「音楽と体育を奨励」というちょっと変わった親でした。小学校時代、算数や国語の成績がよくても悪くても特になにも言われないのですが、体育の成績が上がるとご褒美になにか買ってもらえたのです。両親とも音楽と体育が不得意で、そのせいでいろいろとつまらない思いをした、同じ思いを子どもにさせたくない、そう思ってのことだったと聞いています。

エピローグ

※特になし

あとがき

※特になし

コメント

ここまでストイックに取り組んでいるとは。いやプロだから当たり前なのかもしれないが、やはり一流の仕事をする人は根本的な取り組みや姿勢が異なる。

本書を読んで一番感じるのはその点か。

井口耕二氏の経歴もまったく知らなかったため、ここまで体育会系のキャリアであるとも知らなかったし、そういったバックグラウンドが卓越した業績を築いている礎になっていることも知ることができた。

搭載されているエンジンが常人と違うのに加えて、そこから更に常人離れした研鑽を重ねる。

凡人が到底太刀打ちできないレベルであるのも納得してしまう。

翻訳書であるとAmazonなどのレビューに「誤訳がある」という指摘が必ず入るが、そういったコメントが必ずしも正しくないことも認識することができた。

誤訳の種類にもよるのだろうが、訳文のなかで意味が完結しているのであれば個人的にはそこまで原文に完璧に忠実である必要はないように思う。

このあたりを指摘したくなるのは、自分自身は原文をきちんと読めるというプライドや自負心を示したいがためなように勘ぐってしまうことがたまにある。

建設的なやり取りならばいいのだろうけど・・。

しかし、ここまで徹底的に調べて訳文を紡ぎ出しているとなると、機械翻訳とはまだまだ差が埋まらないように感じた。

機械翻訳の精度が今後も上がり、いずれはこういった周辺情報や日本語との構造的な違いまで把握したうえで訳文創出ができるようになるのだろうか。

プロフェッショナルがどこまで真摯に取り組んでいるかを知るという意味でも本書は役立つはず。

一言学び

翻訳も同じです。楽をしていたら、頭の筋肉が発達するはずなどありません。


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