読書レビュー:『働くということ「能力主義」を超えて』(勅使川原真衣)

読書

読みたいと思ったきっかけ

著者の前作を読んでいたため気になった購入。


内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

 

プロローグ 働くということー「選ぶ」「選ばれる」の考察から
序章 「選ばれたい」の興りと違和感
第1章 「選ぶ」「選ばれる」の実相ー能力の急所
第2章 「関係性」の勘所ー働くとはどういうことか
第3章 実践のモメント
終章 「選ばれし者」の幕切れへー労働、教育、社会
エピローグ    

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

プロローグ(働くということー「選ぶ」「選ばれる」の考察から)

■というのも、「働くということ」という人間の根源的な営みを描写することは、「営み」ゆえに、静的なものにはなり得ません。動的なのです。その意味で、登場人物の機微にゆらゆらと触れながら進行する物語とその解説という構成にこだわりました。

序章(「選ばれたい」の興りと違和感)

※特になし

第1章(「選ぶ」「選ばれる」の実相ー能力の急所)

※特になし

第2章(「関係性」の勘所ー働くとはどういうことか)

■ちょっと余談ですが、「怒っている人」に着目して組織を観察することは、組織を立体的に捉える方法の一つとしてお勧めです。精神科医の水島広子先生語録の一つに「怒っている人は困っている人」というものがあるのですが、これは本当に真理だなぁと、組織に分け入るたび、自分自身の身の周りで起きることを俯瞰するたびに思います。

■ちなみに、この個に良し悪しをつけるのではなく、すべては組み合わせの妙であることは、当然のことながら筆者が人類初の提唱者ではありません。17世紀のオランダに生きた哲学者スピノザは『エチカ』で、善悪というのはあくまで「組み合わせ」の話だと述べています。

■いえいえ、あるあるです。「優秀」や能力の高低は、はっきりした指標のようで、非常に相対的、文脈依存的。いざ選ぶ段階になると、自分にとって「都合がいいか」を無意識的に見てしまうことは、人の性です。その傾向について自己認知しておく必要はあるよね、という話です。

■間違っても、「あれが足りない」「まだまだ」だなんて、たとえ自分に対してでも言わないでほしいのです。「謙虚」とはそういうものではありません。自分の未熟さを知った上で、凸凹した者同士が互いに、「それなりにいい味出してるよな!」とハイタッチするような姿が、自己の能力なんかを過信しない「謙虚」さなのだと私は考えます。

■それは社会学でいう「他者の合理性」を蔑ろにした状態に他なりません。他者理解というといささか使い古された響きがあるかもしれませんが、M・ウェーバーの「行為の理解」なくして、他者とともに働くなんてあり得ないのです。

■他者と働くとは、「他者の合理性」を承認し合うために、吐露できる場があってはじめて為せるのです。

■人と人が、ある種偶然のもとに集まって、目標に向かっていく。関係性の調整によって、予測不能な未来をつくる。これを僕も広めたい。そう漠然とですが今、思っています。

■関係性という概念は、個人の能力論と比べて、水物のように揺らぎがつきまとい、圧倒的に分かりにくいからです。個人の能力を測定可能、比較可能、伸長可能なものとして扱い、「あいつはダメだ」「こいつは使える」とやっているほうが、体制側にとっては好都合。

■素朴な疑問を素朴なまま問えるかどうか、はいわゆる偏差値的な問題では必ずしもありません。(いわゆる知力の高い従業員が働いていると自信のある名門企業でも、さまざまな問題がバキバキに起きているから、私にも仕事があることを付言しましょう)。

第3章(実践のモメント)

■では、大事な観点は何か。強いて言うなら、人のことではなく、「自分自身のモード(態勢)をいかに『選ぶ』か」という点にこそ注力するーこれが変革の一丁目一番地だと考えます。(昭和ビジネス用語だと言われそうです)

■一元的な基準ではこぼれてしまう人に、その人に合った役割、在り方を提案できるのが脱・「能力主義」。つまり個人の能力一辺倒ではなく、凸凹の持ち寄りという「関係性」でなんとか前に進む方向性を提案できるというのが組織開発の強みなわけです。

■脱・「能力主義」を謳えば即、楽になるってことでもない。非官僚的組織を目指すとは、高度に自己の内面を俯瞰し言語化して、他者と協働していくことでもある。そういう組織と相性が悪い人も当然いる、と。

終章(「選ばれし者」の幕切れへー労働、教育、社会)

■時間を圧縮できた!と感じるのは、物事の始点と終点を決めたときのみだと。つまりゴールをあらかじめ決めることでしか、達成し得ないのが、効率性という考え方なのです。

■「えーそれも分かるけど、これまで言われてたとのあまりに違うし、一体何が正しいのさ」と嘆きたい気持ちも分かります。でもその「正しさ」をはっきりさせようとすること、二項対立的に正義を切り取ろうとする姿勢こそ、しんどいのではないかと述べてきたわけです。

■「運」「不運」は、他人と分かち合うことによって「偶然の専制」を和らげるべきではなかろうか。(竹内啓著『偶然とは何か』)

■「拙速な理解ではなく、謎を謎として興味を抱いたまま、宙ぶらりんの、どうしようもない状態を耐え抜く力」(帚木蓬生著『ネガティブ・ケイパビリティ』)

エピローグ

※特になし

コメント

前作に続き事例も詳しく、また著者のコンサルタントとしての親しみやすさのようなものが滲む文章となっていて、とても読みやすく面白い。

題名のとおりだが、前作よりもより「働く」ということにフォーカスした内容となっていて、実際に組織で働くに際して「能力」で選別し・選別されることでどういった問題が生じるか、そしてその解決策となり得る考え方が記述される。

自分自身のモード選択にまずはフォーカスする、というのは意識的に取り組んでいきたいところ。

個人的には事例として挙げられていた、人事採用においての指摘である「いざ選ぶ段階になると、自分にとって「都合がいいか」を無意識的に見てしまうことは、人の性です」というのが刺さった。

自分と競合しそうな人を回避してしまうというのは、まさに自分も感じていたことであったので、耳の痛い話。

わたし自身含め、自分の潜在的にも顕在的にも敵・競合になり得る人を意識的にも無意識的にも遠ざけようとしている。

この認知の歪みは確かに自覚的になっておく必要があると強く感じた。

自分自身は管理職でもないので、チームを率いることもないが、良いチームを構築するという視点からも本書の知識・知恵を持っておくのは有効なはず。

一言学び

いざ選ぶ段階になると、自分にとって「都合がいいか」を無意識的に見てしまうことは、人の性です。


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