読書レビュー:『欲望の見つけ方 お金・恋愛・キャリア』(ルーク・バージス)

読書

読みたいと思ったきっかけ

書店で見つけたのがきっかけ。

帯にも書いてあるが「ピーター・ティール」が絶賛とのこと。

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欲望の見つけ方 お金・恋愛・キャリア [ ルーク・バージス ]
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内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

 

プロローグ 予想外の安堵
序章 社会的重力
パート1 模倣の欲望の力
第1章 隠れたモデル ロマンチックな虚偽、赤ちゃんの真実
第2章 ゆがめられた現実 一年生をやり直す
第3章 社会的汚染 欲望のサイクル
第4章 罪の発明 過小評価された社会的発見
パート2 欲望の変容
第5章 反模倣的であること システムではなく人を満足させる
第6章 破滅的な共感 薄い欲望を乗りこえる
第7章 超越したリーダーシップ 優れたリーダーはどのように欲望を刺激し、形づくるのか
第8章 模倣的未来 明日何を望むか

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

■ジラールは、私たちが欲しがるものはほとんど、模倣ミメーシスによるものであって、内在するものではないとした。人間はーー真似ることを通してーーほかの人が欲しがるものと同じものを欲しがることを学ぶ。同じ言語を話し、同じ文化的規範によって行動することを学ぶのと同じである。真似は、社会において人々がおおやけに認める以上に大きな役割を果たしている。

■私はティールに訊く。人気を博した著書の『ゼロ・トゥ・ワンーー君はゼロから何を生み出せるか』にはメンターからの教えが詰まっているにもかかわらず、なぜそのなかでジラールの名前に触れていないのか。「ジラールの思想には危険なところがある。この種のものに対して、人は自己防衛本能を持っていると思う」。ジラールの考えには重要な真実が含まれており、それによってまわりの世界で何が起きているか説明できることを知ってもらいたいとは思ったが、読者に鏡を通して受けとめてほしくなかったという。

■正式な教育を受けたことがなく、早く読む必要があったことから、ジラールは文章のなかにパターンを探しながら読むようになった。そのうちあることに気づいて当惑した。それは読者をひきつけてやまない不朽の小説のほぼすべてに存在しているように思えた。こうした小説のなかの登場人物は、ほかの登場人物が欲望に値するものを示してくれるのをあてにしているのである。自発的に何かを望むことはない。誰かの欲望は、その人の目的や行動ーーとりあけ欲望ーーを様変わりさせるほかの登場人物との交流によって形成される。

■ジラールが「欲望(desire)」という言葉を使うとき、それ食欲や性欲、身の安全を求める気持ちではない。それらは「欲求(needs)」と呼んだほうがいいだろう。生物学的な欲求に真似は関係ない。砂漠で喉が渇いて死にそうなとき、誰かに水が欲しいところを見せてもらう必要はない。

■私たちは欲しいものとのあいだにはまっすぐな線が引かれていると信じている。それはまやかしだ。実際には、線は必ず曲がっている。私たちの心の奥底には、何かを欲しいと思わせる人やモノがある。欲望にはモデルが欠かせない。その人が欲していると言うだけの理由で、そのモノに価値を与える人である。

■メルツォフの研究は、私たちは真似ることを学ぶのではなく、真似る能力を持って生まれてくることを示している。真似る能力は人間であることの一部なのである。

■必要なのは友人の承認である。彼女に気のあるそぶりを見せる者が一人でもいないかを注意して見る。誰も彼女に興味を示さなければ、自分の選択を疑いはじめる。

■大勢の人がグーグルでテスラ株を買うべきかどうか検索していた。ほかの人が買いたいと思ってるかどうかを基準にして。私から見れば、これは単なる情報ではない。模倣の欲望である。

■私たちは人の魅力は客観的な性質ーー話し方、知性、粘り強さ、機知、自信などーーがもたらすと考えがちだ。確かにこれらも影響するが、それ以上に大きなものがある。私たちは一般的に、欲望とのあいだに異なる関係(現実の関係あるいは認識された関係)を築いている人にひかれる。他人が欲しがっているものは気にしないように見える人、あるいは同じものを欲しがらない人は、別世界の人間のように感じるものだ。模倣に影響されず、反模倣的にさえ見える。だから魅力的なのである。ほとんどの人はそうでないから。

■なぜなら競争意識は近さに比例するからだ。時間、空間、金銭、地位において十分に距離がある場合には、同じ機会をめぐって真剣に競争することはない。私たちはセレブの国のモデルを脅威とは見なさない。…だが、もう一つ別の世界がある。私たちの大多数が人生のほとんどを過ごす場所だ。それを「一年生の国(Freshmanistan)」と呼ぼう。人々は密接に関係し、言葉にしない競争意識があふれているところだ。わずかな違いは大きくなる。一年生の国に住むモデルは、真似る人と同じ社会空間にいる。

■全員がほかの誰かから模倣のヒントをもらっているが、ほとんどの人がそのことに気づいていない。それぞれが他者より優位に立てるアイデンティティを模索しているとき、差別化の無言の闘いが勃発している。

■人々は今日の「リキッド・モダニティ」(社会学者で哲学者であるジークムント・バウマンの言葉を借りれば)のなかで、何か強固なものを求めている。リキッド・モダニティとは、文化的に認められたモデルや定点な参照先がない、歴史上で混沌とした段階を指している。

■「現代世界は専門家のものである」とジラールは書いた。「彼らだけが何をなすべきか知っている。すべては適切な専門家を選ぶにつきる」

■文化的価値に対する認識が徐々にそろわなくなり、さらには科学そのものの価値についても同様の状況であるため(気候変動についての議論を思い浮かべてほしい)、人々が見つける「専門家」の専門性は主に模倣的に認定されたものとなっている。模倣をはねのけて、模倣の影響が少ない知識の源を探すことが重要だ。

■人は何かを言うまえに、ほかの人がどう思うだろうかと考える。そして、それは言うことに影響する。つまり、私たちの現実に対する認識は、自信の行動を変えることで、現実を変えるのである。これが自己実現的循環をもたらす。

■模倣の欲望はソーシャルメディアの真の原動力だ。ソーシャルメディアは「ソーシャル・メディエーション」であり、いまや個人の世界の内側にいるほぼすべてのモデルを掲示する。

■私たちはヒエラルキーの生き物なのだ。だから情報をまとめた記事や格付けに惹きつけられる。

■価値を言語化するだけでは不十分だ。順位をつける必要がある。すべての価値が同列なら、価値がないということになる。本のなかのすべての単語を強調するようなものだ。

■ジラールは歴史を研究するなかで、人間は模倣の衝突の拡大をとめるために繰りかえし犠牲に頼ってきたことに気づいた。社会が無秩序の危機にさらされたとき、人間は暴力を排除するために暴力を利用した。人々は選ばれた人や集団を追放するなり、滅ぼすなりした。そうした行為には暴力の拡大を防ぐ効果があった。ジラールはそうした効果が得られるプロセスを「スケープゴート・メカニズム」と呼んだ。

■私たちの精神にどれだけ犠牲的思考が浸透しているか考えてみてほしい。…犠牲は常に正しくて必要なものに見える。私たちが振るう暴力は良い暴力で、相手が振るう暴力は常に悪い暴力である。

■ジェームズ・G・ウィリアムズは、ジラールの有名な著作『サタンが稲妻のように落ちるのが見える』の序文で、ジラールのこの点に関する考えを次のようにまとめている。「犠牲者主義は政治、経済、精神の力を得るために、犠牲者を気遣うイデオロギーを利用する。自分の行動の優位性や正当性を得る手段として、犠牲者の地位を主張するのである」。犠牲者はいまや自分で新しいスケープゴートを選ぶ力を持っている。

■私たちは誰もが自分なりのミシュランの格付けシステムを持っている。フランスのシェフと同じように「星」ーー地位や名声、名誉の証ーーを欲しがる自分に容易に気づくことができる。自分がいるシステム内で働く模倣の力に名前をつけることは、意識的な選択をするための最初の重要な一歩となる。

■もしこの考え方をそのまま受けいれるなら、金持ち以外は金持ちを軽蔑する資格はない、アイビーリーグに入れないなら、アイビーリーグをばかにすることはできない、ミシュランの三つ星を持っていなければ、三つ星を求める気持ちを否定できない、と思うかもしれない。そうするのは、自己欺瞞であり、敵意であり、弱さである。模倣のゲームからやましさを感じずに抜け出すためには、ゲームに参加してまず勝たなければならない、という主張を信じてはいけない。

■共感とは、他者の経験を共有する能力であるーーただし、相手の話、信念、行動、感情を真似ることはなく、自分自身の人格や冷静さを失うまで共鳴することはない。この意味において、共感は反模倣的である。

■変化を求める欲望がなくなったとき、権力は完成する。

■私たちは人との関係を通じて、何かを欲する他人が次の三つのどれかになるように働きかけるーーもっと欲しがる、欲望を減らす、別のものを欲する。

■「起業家でいる」ことには問題がつきまとう。起業家でいるためには、世界の特定の問題やニーズをもとに具体化する必要があるからだ。独特で特別な機会を理解するまえに起業家になりたいと言うのは、壊すものを探しながら、巨大な木槌を持って歩きまわるようなものだ。木槌を持ち歩く人にはすべてが釘に見える。起業家になりたいという人には、すべてが会社を始めるためのチャンスに見える。

コメント

本書はルネ・ジラールというフランス出身の文芸批評家の「模倣ミメーシス理論」の解説書、入門書となっている。

自分が何かを欲するとき、それが本当に自分自身から発せられたものなのか。

往々にしてそういった欲望は他者の欲望の模倣になっているというのが、ざっくりとこの理論の主張するところ。

新しいiPhoneが欲しい、新しいAudiに乗りたい、新しいロエベのバッグが欲しい。

こういった欲望も他者が欲するものの真似に過ぎない。少なくとも何かしら影響を受けているといえる。

これは何も物質的なものへの欲求だけに留まらず、田舎でゆっくり過ごしたい、海外移住してのんびり暮らしたい、といったものも実際はそこに他者の真似が影響している可能性がある。

自分が本当に欲するものか、他者の模倣かどうかといった違いを本書では「濃い欲望」と「薄い欲望」といって分けている。

他者の模倣が繰り返され、増加するることで競争はどんどん激しくなり、その競争はまたさらなる模倣を生むというサイクルを加速させる。

「私たちは選択を迫られている。無意識に模倣的な生活を送るか、懸命に濃い欲望を育てるか」

自分自身が何か欲しいと思うとき、それが「濃い欲望」なのかどうか、単なる模倣になっていないかをチェックする習慣を持つだけでも違ってくる。

自分が人生において何を望むのか。

それは仕事やキャリア、家庭など人生全般への設計に関わってくる根幹的な部分に影響するものであり、そこに模倣的な「薄い欲望」が入らないように意識することは極めて重要に思う。

加えてこの考え方は無駄なものを買わなくなったり、無駄な行動を自制できるというメリットを副次的に生み出す気がする。

この書籍も400ページ弱あり、それなりに分量があるけれど、欲望と模倣の関係を捉え直していくのには有益な1冊である。

一言学び

私たちが欲しがるものはほとんど、模倣ミメーシスによるものであって、内在するものではない。

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