最近、言語化することが重要というような話を聞くことが多くなった気がする。
ビジネスの世界ではもちろんなのだが、スポーツの世界で特にその重要性が言われているように思う。とりわけサッカーのニュースなどを見ていると出てくるように感じる。(わたしがサッカー関連のニュースを見ていることが要因かもしれない)
サッカーでいえば「この状況のとき」といったことを、「相手選手がDFとボランチの間のライン間を埋めている場合」など、具体的に状況を説明していくのが増えた気がする。
これは野球でもそうかもしれない。長嶋監督が「ガーンと打つんだ」と言っていた頃と比べると、バットのヘッドの軌道や角度、体の開き、打つときのポイントなどを言語化して解説している人が多くなったように思う。(長嶋監督が悪いわけではないが)
昔はサッカーも野球もテレビの解説を聞いていても、そこまで詳しく言語化している人はいなかったように思う。
サッカーはわからないが、野球でいうと江川卓氏は割と昔から言語化していた気はするが。
言語化することで人に伝えることができるようになれば、直接指導がなくても一応スキルを向上させることができるようになる。
こういう状況下で、当然一般人にとっても言語化は必要になってきているように思う。
当然、会社員として仕事をするうえで言語化しなければ何も相手に伝わらないので、仕事ができない。
何となく頭に浮かんでいることも言語化しなければ何もないのと同じになってしまう。
ただ、言語化するのは案外面倒だ。
よく「言葉で言い表わせない」という決まり文句があるが、あれは結局言葉で考えることを放棄しているだけにしか聞こえない。
言語化することに成功したとしても、たいていはどこかで聞いたり、読んだりした言葉だったりする。
自分の言葉を見つけようとすることは負荷が掛かるし、何より難しい。普段話しているときは、ほとんど「他人の言葉」を借りて話しているに過ぎない。
自分も会話している時にふとメタ認知的に「どこかで聞いた言葉や読んだ言葉で喋っているなー」と思うときが多々ある。
当然、完全にオリジナルに言語化することは困難だが、あまりに紋切り型だったり、流行のフレーズを用いることは避けるべきなのかもしれない。それを使っているときは考えていないことになるのだから。
言語化することをサボらないこと、そこをクリアした後も、自分の言葉を見つけようとすること。
言語化することや、自分の言葉を紡ぐことができるよう、日常を送るなかで気が付いたとき少し意識していこう。
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