英語ができると思われる厄介さ(本当の実力とのギャップ)

仕事

英語ができると判断されるとき、往々にしてテストの結果が参照されることが多い。

それは大学受験科目としての英語もそうだし、TOEICもそう。

自分はテスト結果としてTOEIC900点を超えていたり、英検1級をまぐれといえ取れているため、周りから見ると英語ができると思われる機会が多い。

だが、自分は実際には英語運用能力が高くなく、リスニングも苦手だし、すぴーきんぐにいたっては壊滅的に話すことができない。

ペーパーテストだけそれなりにできて、実際のスキルが伴っていない典型的な例だ。

自分ではまったく英語ができると思っていないし、実際にできないのに、周りからは英語っができると思われている。この状況がなかなか厄介だ。

何かと英語が絡む話に呼ばれるけど、たいして何もできずに終わる。

周りの人がどう思っているかはわからないが、思っているよりもできないという印象を持たれているのは間違いない。

最初の期待値が高いほど、その落差で評価は下がりやすい。

その意味でいうと自分の英語能力に関する期待値コントロールは完全に間違っている。

最初に期待値をうまくコントロールできていれば、周囲のガッカリ感の下げ幅を軽減することができたかもしれない・・・。

期待値コントロール
大学受験のとき親に対して志望校の説明をする機会があった。 わたしの両親はともに高卒であったため大学受験のことはよくわかっていなかったのだが、それを利用して自分のいい加減な実力であっても早慶レベルを目指せると説明をしていた。 模試の成績が一向にE判定であっても「模試の成績はほとんど関係ない」とか、「歴史科目は暗記でどうにかなるので、これから成績があがる」などと言って、親の期待値をコントロールしようとしていた。(実態としてはただの言い訳に過ぎないのだが・・・)

ここから挽回するには結局自分の英語運用能力を向上させる以外に道はない。

英語が聞けて、話せるように地道に努力していくのみ。

ただ、こうやってできるようになったとしても最初の期待値が高いと、「できるようになった」ということへの評価はそこまで高くならない。

そう考えるとやっぱり最初の期待値コントロールは極めて重要だと改めて実感する。

コメント

タイトルとURLをコピーしました