読みたいと思ったきっかけ
たまたま本屋で見かけたのがきっかけ。中東政治については学生時代から興味を持っているのだが、結局体系的に学習することはなかった。
内容
目次
目次は以下のとおりとなっている。
はじめに | ||
第1章 | : | 国家―なぜ中東諸国は生まれたのか |
第2章 | : | 独裁―なぜ民主化が進まないのか |
第3章 | : | 紛争―なぜ戦争や内戦が起こるのか |
第4章 | : | 石油―なぜ経済発展がうまくいかないのか |
第5章 | : | 宗教―なぜ世俗化が進まないのか |
終章 | : | 国際政治のなかの中東政治 |
あとがき |
内容
わたしの気になった箇所について記載する。
第1章(国家―なぜ中東諸国は生まれたのか)
・「中東(The Middle East)」という英語の言葉は、著書『海軍戦略論』で知られるアメリカの軍人・海軍史家アルフレッド・セイヤー・マハン(1840〜1914年)が1902年に寄稿したイギリの雑誌において最初に用いたものと言われている。それによると、中東は、西であるヨーロッパと東であるインドとの「中間(middle)」に位置する地域とされ、当時のイギリスにとって体外戦略上の重要性が高まっていたペルシア湾周辺一帯を指す言葉であった。
・近代国家は、領土、国民、主権の三要素からなるとされている。一定の地理的領域(領土)とそこで恒常的に暮らす住民(国民)が存在しているだけでなく、その領土と国民に対する排他的な実効的支配権(主権)が確立することで、はじめて国家としての条件が整う。こうした国家のあり方は、近代西洋という特定の時空間で誕生・発展したものであった。
・つまり、近代国家だけが生き残り、都市国家や帝国などの他の形態の前近代的な国家が淘汰されたのは、それが最も高い戦争遂行能力を獲得したからであった。「戦争が国家をつくり、国家が戦争をつくった」のである。
・なぜ、独立後の中東諸国に独裁が横行するようになったのであろうか。その鍵は、国家としての能力と正統性にある。軍事と経済の両面での旧宗主国への依存から脱却できなかったこと、つまり、ポストコロニアルな支配が続いたことは、次の二つの面で独立後の新政府に大きな課題を突きつけた。第一に、徴税と徴兵からなる収奪国家としての近代国家の能力が不十分なままに置かれ続けたこと、第二に、植民地国家の時代からの正統性の問題がくすぶり続けたことである。
第2章(独裁―なぜ民主化が進まないのか)
・そもそも独裁とは何であろうか。独裁は、民主主義に対置される概念であり、多数ではなく少数ないしは個人に権力が集中している状況を指す。こうした状況が制度化されたものを、独裁体制と呼ぶ。
・中東諸国は民主化の「例外」ではなく、権威主義体制の「典型」と捉えるべきではないか、と。
・まず、膨大な天然資源を保有する湾岸アラブ諸国をめぐっては、レントの存在が権威主義体制の持続要因の一つと考える「レンティア国家」論が展開されてきた。レントとは、一般に不労所得と訳される概念で、その国家に存在する資源などからほとんど自動的に得られる所得を意味する。
・モロッコとヨルダンでは、国王がこれらの社会的亀裂による国民の分断をまとめ上げる役割を担い、婚姻や同盟関係を通じた広範な支配エリートの一群を形成することで、権威主義体制の内部からの崩壊と外部からの朝鮮を未然に防いできた。こうした国王のあり方は、「リンチピン君主」と呼ばれる。
・アラブにはアラビア語で「ウルーバ(アラブ性)」と呼ばれる概念があり、アラビア語を母語とする者たちがアラブという民族や共同体に帰属意識を持つ根拠となっている。このウルーバ、すなわち「アラブであること」が、抗議デモを「アラブの春」たらしめたもの、言い換えれば、アラブ諸国の間で連鎖的に拡大していった一つの要因であったと考えられる。
・シリアに対してアサド政権の打倒につながるよう外部介入が実施されなかったのは、リビアよりも人口規模が大きい上に反体制派の分裂が進んでいたことから、投入すべき戦力が莫大なものになり、また、出口戦略を立てるのが難しかったためだとされる。さらには、アサド政権がロシアとの同盟関係にあったことや、地政学的な一から拡大した戦火が周辺諸国に及ぶ危険性があったことが、欧米諸国にシリアへの外部介入を躊躇させた。
・制度化された軍に対比されるのが、家産的な軍である。家産的な軍とは、人事における恩顧主義(クライエンテリズム)や利権誘導によって、独裁者の私兵集団と化した軍のことである。
・中東諸国の権威主義体制は「典型」としての性格を持っており、他の地域の権威主義体制と同様に、合理的な説明を通して「理解する」ことができるのである。
第3章(紛争―なぜ戦争や内戦が起こるのか)
・数字で見てみよう。スウェーデンのウプサラへ大学平和・紛争研究学部がつくっている「紛争データ・プログラム(UCDP)」によると、世界において中東は確かに紛争が絶えない地域であることがわかる。しかし、同時に、他の地域でも紛争は起こり続けており、その数の増減は、アジア、アフリカ、ヨーロッパなどと似た傾向を見せている。
・よく知られているように、第一次世界大戦後には、武力による領土や資源の獲得は侵略戦争として国際法で禁止された。つまり、現代は戦争違法化の時代なのである。その一方で、帰属が曖昧な領土や資源をめぐっては、それぞれの当事者が「自衛のための戦争」として武力行使を正当化することも少なくない。
・一般市民は、従来の研究が論じてきたほどは、現行のシリア以外の国家を想定していないことが明らかになった。すなわち、多くの一般市民が、アサド政権が推し進めてきた国家建設や国民統合に肯定的な態度を持っており、反対に反体制派、特にクルド民族主義やイスラーム主義の組織や運動が掲げてきた国家建設の理念が必ずしも強い訴求力を持っていない事実が浮かび上がった。
第4章(石油―なぜ経済発展がうまくいかないのか)
・なお、労働参加は政治参加への最重要な経路であるため、女性が就労機会を得ないことは女性の政治的な影響力が低い(政治的な意識が低い)ままに置かれる原因にもなり、また、権威主義体制の持続の一因になっているとも考えられる。
・こうして、中東諸国の民族主義とソ連の社会主義とが結びつき、国家手動の経済政策、すなわち、計画経済が採用されることとなった。計画経済とは、資源配分を市場の価格調整メカニズムに委ねるのではなく、国家が策定する計画にしたがって行う経済のあり方である(これと対になるのが、市場経済である)。
・一般に、輸入代替工業化は、ある段階で経済発展が行き詰まる可能性が高いと考えられている。というのも、国内の経済に対する保護主義的な性格は、生産の効率と輸出入の均衡を欠く傾向があり、外貨不足や財政破綻、対外債務の膨張といった問題を生み出しやすいからである。これは、中東だけでなく、南米などの他の地域でも同じように見られた現象であった。
第5章(宗教―なぜ世俗化が進まないのか)
・アラブ諸国の一般市民の三人に一人が政治に宗教の教えや価値が反映されることを肯定的に捉えていることは、中東政治を考える上でのいわば初期条件として踏まえておく必要がある。
・イスラーム主義運動を分析する際には、宗教が政治を動かすという見方だけでなく、政治によって宗教(の解釈)が変わるという現実を見据える必要がある。言い換えれば、政治と宗教の「結びつき」を考える際には、宗教を独立変数としてだけでなく、従属変数としても見ることを通して「そもそもイスラームだから」といった本質主義的な説明ーーわかったつもりになる怪しげな説明ーーを斥けていかなくてはならない。
・イスラーム主義者が政権運営に挫折した背景には、国際的な支持が得られなかったこともあった。特に一部の欧米諸国は、選挙という民主的な手続きを経て成立したイスラーム主義政権を、「イスラームは民主主義と相容れない」という理由で政治的にも経済的にも冷遇した。民主主義の「先進国」を自負する欧米諸国は、イスラーム主義者による民主主義よりも世俗主義者による権威主義を歓迎したのである。そこには、イスラーム主義者、あるいはイスラームそれ自体に対する根強い不信感や警戒感が見え隠れしていた。
・宗派が政治対立を生むのではなく、政治対立が宗派間の関係や各宗派の信仰や思想、イデオロギーを変化させることが少なくない。
・重要なのは、これらが本来的にはイラク国内の権力闘争に過ぎないものであったにもかかわらず、あたかも信仰や思想、アイデンティティを争点とした世界観闘争のようになってしまったことである。暴力の応酬が続くことで、人びとはただ宗派が違うというだけで相手を敵として憎悪しがちとなる。そして、政権やさまざまな勢力が、権力闘争を勝ち抜くために、そうした憎悪を利用して人びとを動員していく。その結果、人びとは、自身の宗派への帰属意識を強め、それを代表(しようと)する政権やさまざまな勢力を支持するようになるーーこうした悪循環は、政治対立の「宗教化」と呼ばれる。
終章(国際政治のなかの中東政治)
・しかし、本書を通して見てきたように、国家の形成、権威主義体制の持続、戦争や内戦の発生、石油と経済発展の関係、政治と宗教の「結びつき」のいずれについても、中東以外の地域に対して用いられる一般的な説明でわかることは少なくない。だとすれば、中東政治の「なぜ」を「理解する」ための第一歩は、中東を最初から常識の通用しない特殊な地域だと必要以上に身構えないことであろう。その意味において、本書で論じてきたことは、マスメディアやアカデミア(学界)で語られがちであった、テーマ別のさまざまな中東例外論の見直しに他ならない。
・このような国際政治と中東政治の間の動的で複雑な関係を理解するための手がかりとなるのが、国際政治を構造と主体からなる一つのシステムと捉える「国際システム」の理論である。すなわち、国際政治の構造はそれを構成する国家とその相互関係から形成されており、反対にその構造が国家の行動を規定する、という理論である。これは、国際関係論に置いてネオリアリズム(新現実主義)の知見の一つである。
・こうしたアイデンティティの役割を重視する考え方は、国際関係論においてはコンストラクティヴィズム(構成主義)と呼ばれる。コンストラクティヴィズムの特徴は、その代表的な論客であるA・ウェントによれば、アイデンティティやアイデア、規範のような観念的な要素を分析の軸とし、その観念も、所与の存在ではなく、国家/非国家からなるさまざまな主体間の相互作用から生じ変化する社会的な構成物と見なすことにある。
・独裁の横行、経済の停滞、宗教の存在感のいずれについても、何が、どこまで中東に固有なのか、あるいは、何が、どこまで中東に固有なのか、あるいは、何が、どこまで他の地域と共通しているのか。中東政治学という学問は、一貫してこのアポリアの克服に取り組んできたーーそう言っても過言ではない。
コメント
どの分野でもそうであるが、その対象の複雑性を捨象したうえで、かなり単純化したうえである対象を一括りにし理解することが多い。
そのなかでも「中東」は特にその傾向が強いように感じる。
「中東=イスラム教と石油」くらいのイメージでざっくりと理解しているため、湾岸諸国とその他の国も一緒くたにして、どこも同じようなものと考えてしまう。
かくいう自分もある程度は中東に関する知識があるとはいえ、本書で説明されているようなレンティア国家の特徴やソ連の社会主義の影響などまでは把握できていなかったので、大変参考になった。
特に本書のなかで強調されている「中東=特殊な場所」という固定観念を捨て去ることが重要であるという指摘はもっともだと感じた。
中東という特殊性が原因になって様々な事象が生じているというよりも、一般的な政治・社会システム、外交関係などが原因になっている部分が多くあるというのは、ついつい見逃してしまいがちである。
まさしく本書のタイトル通り「中東」を「政治学」するという視点があってこそ、中東を特殊と考えることで見落とされていたことに気がつくことができる。
テーマ別構成のため、中東の歴史的な経緯を詳細に把握することはできないが、各国の政治体制・制度の違いや、産油国と非産油国の違いなど、各国の特徴ごとに分類したうえで理解できる。
余談であるが最後の方に「アポリア」と出てくる。久々に書籍に使われているを見た。
若干分量はあるが、テーマ別になっているため興味のある部分から読んでも理解できるはずなので、取っ掛かりやすい。
中東政治に興味が出た方や、中東関連のニュースの背景を理解したい人などにオススメ。
一言学び
中東を最初から常識の通用しない特殊な地域だと必要以上に身構えない。
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