「わからないことは調べれば済むし、もはや暗記をする必要はない」
インターネットが発達して、調べたいことについてはGoogleで検索すればだいたいのことがわかるようになってから、上記のような言説を目にすることも多くなった。
特許的な技術や先端技術に関する情報などを除けば知識自体に価値があるという時代の終焉が謳われて久しい。
詰め込み型教育への反動とインターネットの隆盛が一緒のタイミングであったことも、そういった脱暗記的な流れに拍車をかけたように思う。
しかしながら、仕事をしていても英語の勉強をしていても、結局は暗記していないとどうしようもない状況というのは続いているように感じる。
仕事でいえば、自分の業界のスタンダードになっている規格や数字・データについて、ある程度頭に入っていないと使いものにならないことは、たぶんちょっとでも働けば嫌というほど気が付く。
お客さんに対して正確な数字やデータをスッと出るかどうかは、その人に対するお客さんの評価するときの指標になり得る。
商談のときに多少調べるのはいいとしても、その都度その都度「調べるので待ってください」では、さすがに相手もあまり信用ならないと感じてしまうだろう。
英語に関してはもっと顕著で、どれだけの単語、表現を頭のなかにストックしているかによって、当然ながらアウトプットの質は左右される。
また受動的なリーディング・リスニングにしても、自分がインプットして頭の中にあって知らないものでないと理解することができない。
こう考えてくると、結局はどれだけ頭の中に知識を詰め込むかというゲームをずっと続けていく必要性がある。
どれだけインプットして頭に詰め込めるか。
小学生?から称賛されるようになるこの能力は、どれだけ年を経てもその重要性が揺るがないということか・・・。
わたしも日々、知識のインプットに勤しまねば・・・。
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