逃げとしての教養(現実逃避的教養主義)

仕事

ここ最近、日本史・世界史などの歴史関連の書籍を読んでいる。

またその他にも哲学、政治学、心理学などの本も読みたいという欲求が出てきている。

読書自体は趣味のようなものなので、そういった人文系だったり社会科学系の学問に関する書籍を読むことが悪いわけではない。

一方で、簿記であったり、英語であったり(少し括りは異なるが)、ビジネス本であったり、仕事に直結しそうな実践的なものを学ぶことの必要性もまた感じてはいる。

社会が不安定化し、雇用も給与も先が見通せない時代において、個人として会社員として生き残るためには仕事と直結するような実学を率先して学ぶことが重要であることが理由。

この両者を二項対立する事項としてまとめる必要性がそもそもないのかもしれないが、そうはいっても自分の可処分時間も限られているという事実もある。

限られた時間を何に費やすかという側面から考えても、どちらかを選択肢なければいけなくなるケースも出てくる。

そうした状況に陥ったとき果たしてどちらを選べばいいのか。

こうなったときによくあるのは、現状必要となっているもの以外に集中したくなる現象が挙げられる。

例えば、テスト勉強をしなければならないのに小説を読みたくなったり、仕事で必要な資料を作成しなければならないのに情報収集に走ってしまったり。

今回の、仕事に必要な実学を学ぶ必要があるのに、直接関係のない歴史や政治、哲学の本を読みたくなるというのもこの亜種だといえそう。

そんなの気にせずに好きなものを読めばいいというのもわかるのであるが、なんとなく直結しない読書をしていると後ろめたさがある。

いわば自分が現実から逃げているかのような感覚。

そもそもこれは、山口周氏が『独学の技法』のなかで指摘していることでもあり、その言説に自分が引っかかりを覚えているから後ろめたさを感じているというのもある。

「教養」を身につけることで自分は何を得ようとしているのか、もしかしたら単なるコンプレックスの埋め合わせをしようとしているのではないか、ということを考えることが必要です。安易な教養主義への逃避は、ますます自分の人生を貧しいものにする可能性がある、ということをゆめゆめ忘れてはなりません。

『独学の技法』136ページ

幸せになるには仕事の出来不出来なんか関係ない、教養こそが大事なんだぜ、などというのはまやかしで、それこそ「無教養」だということを忘れてはなりません。

『独学の技法』137ページ
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『独学の技法』では、「本当のアーティストは出荷する」というスティーブ・ジョブズの言葉も同じく引かれているが、結局本当に実力のある人は結果を出す。結果が出ないことから目を背けて逃げてしまうのは「無教養」である、というのは核心を突いているように感じる。

それゆえに自分の歴史や政治、哲学への関心もそういった逃避なのではと自分で勘ぐってしまっている。。。

結果を出すために必要な行動を取らずに、「やってる感のでる」教養主義に単に逃げているというのは事実に近い。

逆に言えば結果を出すために必要なのであれば、歴史でも文学でも人類学でも何を学ぼうともOKということでもあるが。

一方で、そういった目的を持った行動からではなく、無目的な読書が活きるという言説もある。セレンディピティではないが、意図しないインプットが時間を経て有益なアウトプットにつながる可能性もあり得る、というもの。

こういったことまで考えていると、何が正解なのかがわからなくなってくるけど・・・。

いずれにしても、自分が教養主義に逃げ込みたくなりがちだ、ということは確か。現実逃避的に教養主義に傾倒する可能性が常に存在しているので、あくまで仕事上で結果を出すという姿勢を堅持しつつ、その罠に嵌らないように注意していかなければ。

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