自分の会話を自分自身で振り返ってみると、とかく迎合していることが多い。
相手の意見や発言を否定せず、とりあえずそれらに理解を示したり、賛同してしまうことが癖になっている。
癖になっているので、基本的には無意識にそうなっていることが多い。
何故このような態度を取ってしまうのか。
理由は単純で、それが楽だから。
相手の意見や発言を否定しなければ、基本的に相手と軋轢が生まれることはないし、相手も特に反対意見を表明されなければ気分が害されることもないので、自分を否定的に捉えることもない。
相手との摩擦はそれだけストレスが生じさせるので、それがなければ楽なのは自明のこと。
ここで問題になるのは、相手の発言内容に対して本当は懐疑的であったり、賛同できない部分がある場合だ。
本心としては意見表明して相手に賛同できないことを伝えるべきであるが、そうすると迎合していれば生じなかった軋轢が発生し、それがストレスを生む。
そうかといって迎合すれば、本当は持っている疑問や反対意見を殺していかねばならない。
これまでそもそも迎合することが習慣づいていたので、このジレンマは発生しなかったのだが、社会人になりある程度年数が経って、少しずつ自分の意見が出てき始めてきたがために、ジレンマを抱えることになったのかもしれない。
とはいってもまだまだ迎合する頻度の方が高いのだけど・・・。
迎合する気持ちのより根本には「嫌われるのが嫌だ」という気持ちがある。
八方美人でいればそこまで決定的に嫌われることを避けることができるので、無意識にそう振る舞っているのように思う。
ただ、山口周氏も指摘するように「敵を作れない人は、味方も作れない」ので、今後は意識的に迎合に逃げないようにしていく必要もあるかもしれない。
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