生存戦略としての読書好き

読書

本を読むことが習慣化したのは高校生の頃からだったように思う。

それまでは全く本を読むことはなく、携帯電話をいじったり、漫画を読んだり、またテレビゲームに没頭していた。

そんな自分が何故、本を読むようになったのか。

いま振り返ると一種の「逃げ」だったように思う。

どういうことかというと、勉強がすごくできるわけでもなく、運動もたいしてできるわけでなく、そして容姿も冴えない自分にとって、同級生のなかで目立つには読書をするしかなかったということだ。

学校という社会のなかで他の人と差別化するには読書するしかなかった。

それは動物の求愛行動に近いのかもしれない・・・。

まさしく『無理ゲー社会』にあるように「男は競争し、女は選択する」という状況下において、容姿や運動能力、コミュニケーション能力という土俵では勝てないと踏んだ当時の自分は、読書をするという土俵に上がることで差別化を図った。

当時の自分の周りには読書好きの同級生がいなかったため、読書好きというポジショニングを築くことを狙ったのだと思う。

もちろん当時はそんなことを全く言語化できていなかったので、なんとなく感覚的にそういう選択をしていたに過ぎないけれど。

言い換えれば、自分の読書好きは女の子にモテたいという不純な動機でスタートしたことになる。

当然ながら、読書することで女の子にモテることはなかったので、当初の目的としては失敗しているのだが、読書習慣が身に付いたという点では結果的に良かったかもしれない。

そう考えると、非共有環境(学校などでの友だち関係など)の果たす役割を身をもって体験していたことになる。

ただ自分の経験に照らしても偶然の要素が強いので、やはり子どもの成長において還元できそうにはない。

そもそも非共有環境は家族が介入できない環境のことをいうので当たり前ではあるが・・・。

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