独身生活の最終判断は

日々の生活

家族と一緒に暮らしていると、ふと独身時代の自由さを渇望してしまうときがある。

好きなときに好きなことをできる。どこへ行くのも自由。何を買っても怒られない。

誰かと一緒に住むようになるとそういった自由は大きく制約される。特に子どもができるとより一層その自由はなくなる。

自分の例でいえば、好きな時に本を読むこともできないし、勉強することもできない。

自分の怠惰を棚上げして、家事や育児のせいにしているだけというのも一理あるが、それでも物理的に時間を確保するのが難しくなっているのは事実だと思う。

そう考えると独身のまま自由に暮らしていくのも悪くないように感じてしまう。

特に最近は昔と異なって、一生独身で過ごすことへの世間的な風当たりも無くなってきているはずだし、独身のまま生活していくためのサービスも増えた。

最初から独身でいようと決めてライフプランを組めば、結構ゆとりある生活もできるようになるはずだし、それはそれで人生の選択としてありかもしれない。

ただ、ひとつ懸念があるのは年を老いたとき、自分がどういう感情を抱くようになるかが不透明なことだ。

いまは独身のままで一生楽しく過ごせるはずと思っていても、それが年を経ていったときにも同じ感情のままでいられるどうかかはわからない。

家族や子どもがいないことに対して急に寂寥感を覚えることがあるかもしれないし、急に病気になってしまい身動きが取れない状態で独りで過ごさなければいけないかもしれない。

もちろんこれは可能性の話であって、そんなこといったら家族がいても同じような状況に陥る可能性もあるじゃん、という指摘はそのとおりだ。

ただ、いまと全く同じ感情のままで貫き通せる人もそこまで多くないように思う。

特に男性の場合は、女性よりも友人関係による精神安定の担保が相対的に弱いという話も聞く。老人ホームなどでも男性は一人でぽつんとしている人が多いという。

これを聞くたびに自分もそうなる可能性が高い、と明日は我が身の気持ちになる。そこまで外向的でない自分は老人ホームにいっても一人でぽつんになる可能性は極めて高い。

人間が動物である以上、遺伝子を残すという生存理由を放棄してうまく人生を全うできるように設計されていないのかもしれない。

当然、個体差はあるだろうけど。

最終的には亡くなる直前に、人生を楽しく終えられた、とその人が振り返られれば万事問題ない。

自分の人生をジャッジするのはそのタイミングしかない。

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