夏の間に受けた模試の結果は以下の通りだった。
河合塾 全統マーク模試(第2回)
英語:R186点(70.6)、L36点(65.7)
日本史:35点(42.0)
国語:149点(62.9)
※()内は偏差値
河合塾 全統記述模試(第2回)
英語:71.9
日本史:46.8
国語:63.7
※偏差値
相変わらず日本史が壊滅的に出来ずにいた。
国語については現代文が出来たときは割と伸びるが、現代文でコケると悲惨な結果になるという運任せな臨み方だった。
英語については割と出来るという自負心もあったが、それでも周りに比較するともっと出来る人が居たことからあまり自信を持てなかった。
このとき客観的に見れば、英語は実力をキープする程度に勉強し、日本史と国語に全力を尽くすのが受験というゲームを考えたときの攻略法だったと思う。
しかしながら、わたしは少しでも自信を付けようと英語の勉強に時間を割いた。
ただでさえ継続的に勉強することが出来なくなっていたので、必然的に日本史と国語を勉強する時間は減少していった。
秋頃に受けた模試の結果は以下の通り。
河合塾 全統マーク模試(第3回)
英語:R178点(68.4)、L44点(72.9)
日本史:48点(44.8)
国語:129点(59.7)
※()内は偏差値
河合塾 全統記述模試(第3回)
英語:71.5
日本史:48.5
国語:57.9.
※偏差値
この結果を見て、焦りは更に募った。
もう間に合わないんじゃないか、とう不安からどんどん勉強しなくなっていった。
予備校の授業に出るだけで、ほとんど勉強しない状態になった。
結局、現役のときと全く同じように秋頃から勉強から逃げた。
予備校で授業を受けているものの、それ以外での勉強することがなくなった。
もちろん思いついたように勉強するときもあったが、結局それが継続しなかった。
そのまま年が明けた。
当時の日記には「時間がないのは十二分にわかっているはずなのに、去年と全く変化のない自分」と記載があった。
焦りがあるものの、勉強することでわかる自分の現在地を知ることによる恐怖から、勉強ができなかった。
そしていよいよ受験が始まった。
この年もセンター試験は受験せず、私大の受験のみだった。
1浪目の受験会場の記憶がほとんど残っていない。
全落ちしたショックから記憶が消えているのかもしれない。
受験校は、早稲田の政治経済学部・商学部、慶應の経済学部、明治の政治経済学部・商学部
早稲田の受験結果がわかり、両親への申し訳なさだけ覚えている。
経済的に厳しい状況で浪人させてもらい、しかも予備校にも通わせてもらっていたにもかかわらず、惨憺たる結果に。
1浪全落ちが確定してからの2〜3週間は全く何のやる気も起きなかった。
また酷い眼痛・頭痛に悩まされた。おそらく精神的なものだったと思う。
この時点で3月に受けられる大学を探そう、とう提案を親から受けた。
しかし、結局自分のプライドがそれを許さなかった。
実力もないのに自尊心だけは高くて辟易とするが、当時は2浪するしかないと既に気持ちが固まっていた。
両親には予備校には通わず宅浪すること、またアルバイトして受験費用を自分で賄うことを条件にして、2浪目を許可してもらった。
正式に許可してもらったというより、なし崩し的にそうなったという方が正しい。
こうして2浪目に突入することになった。
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