学生時代
昔からプライドが高いと周りから言われることが多かった。
最近は言われなくなったものの、学生時代は周囲の友人からプライドが高いと言われ、そう言われたこと自体に腹を立てていた。
言われて怒っている時点でプライドが高いことの証左なのであるが。。。
確かに学生時代はプライドが高かった。少しいじられたりするだけでも腹を立てていたし、よくスネていた。
テストの点数や偏差値を知られることに必要以上に怯えていたのも、プライドが高かったからだ。
プライドが高いから失敗することを極端に怖れ、結果なにもできなくなっていた。
プライドがなくなってきた
年を取るに連れて、いじられることが美味しいポジションであるとわかったり、自分よりできる人なんてめちゃくちゃいるとわかってからは、段々とプライドの壁が下がってきたように感じる。
プライドが高く保っていて役立つのならいいが、自分の場合は結局プライドが高いせいで行動できなくなることが多かったので、その意味でプライドはほぼ無価値に等しい。
もちろんプライドがあることで、それを守るために頑張ろうというベクトルが働く人もいるのであろうが、残念ながらわたしはそのタイプではない。
そうであればプライドなどは、かなぐり捨てて間違ってもいいというスタンスで行動し、進んでいくほうが人生にとって有益だ。
英語ができるというプライド
もっとも今でもプライドが全く無くなったわけではない。
それは英語である。
英語ができるという周囲からの期待や自分の中の思い込みによって、英語を使うことを極端に怖れるようになってしまった。
少しもミスのないように話さなければと強く思ってしまい、結果として英語を話すことを極力避けるようになっている。話さなければミスはしないし、周囲からのできるという認識を維持することができるから。
日本人の英語学習者はこうしたメンタル・ブロックが強いと言われるが、わたしはとりわけ顕著に強いと思う。
今まで英語のスピーキングトレーニングを全くしていないのも、練習したら自分ができないのがハッキリとわかってしまうからだ。
またTOEIC L&R TESTを受けているのも、これであれば英語がある程度できるという自尊心は保たれるから。でもいくらTOEIC L&R TESTの点数が良くても、英語が話せるように決してならない。
それがわかっていながら未だに勉強しない自分。果たしてこのままでいいのか。
2021年の目標として立てたTOEIC L&R TESTの950点というものを金科玉条のものとしてスピーキングの練習を避けていていいのか。
英語が話せるようになりたいならば、すぐにでもオンライン英会話で練習をした方が合理的ではないか。
まとめ
英語はできている自分、英語でミスをしたくないという自分を守りたいという最大のプライドは、今もなお悪影響を及ぼしている。
目的合理的に考えた場合、答えは明らかなのだが、それが一筋縄でいかないのがプライドの怖さかもしれない。
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