読書レビュー:『人生の経営戦略 自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』(山口周)

読書

読みたいと思ったきっかけ

著者買い。


内容

目次

目次は以下のとおりとなっている。

 

はじめに 思い通りにならない人生を、とにかくなんとかする
第0章 なぜ、いま「人生の経営戦略」なのか?
第1章 目標設定について
第2章 長期計画について
第3章 職業選択について
第4章 選択と意思決定について
第5章 学習と成長について
おわりに 資本主義社会のハッカーたちへ

内容

わたしの気になった箇所について記載する。

はじめに(思い通りにならない人生を、とにかくなんとかする)

※特になし

第0章(なぜ、いま「人生の経営戦略」なのか?)

■つまり、ゼロ成長社会とは「成長・発展している場所」と「停滞・衰退している場所」との明暗が極端に分かれる社会のことなのです。

■現在の日本では、何かあるとすぐに政府が悪い、企業が悪いといった批判が巻き起こりますが、社会の衰退は何よりも「個人の活力の喪失」によって起きるということを絶対に忘れてはなりません。

第1章(目標設定について)

■戦略の策定において、戦略変数の見定めは決定的に重要な要件となります。私たちはしばしば、人生を計画する際、他者や組織や社会など、自分ではコントロールできないものを動かそうとして、無用な努力を重ねてしまいます。本書ではこの愚を犯すことを避けるため、自分でコントロールできる戦略変数、すなわち「時間資本」にフォーカスを当てます。

■ブロニー・ウェアの指摘は、私たちに「失敗者の定義」を再考するきっかけを与えてくれます。ウェアの指摘を踏まえれば、「失敗者」とは、「お金を稼げなかった人」や「出世できなかった人」なのではありません。失敗者とは「働き過ぎてしまった人」「仕事ばかりに時間を使って家族や友人との楽しい時間を過ごせなかった人」のことなのです。

■では「灰色のスーツを着た男たち」に時間を奪われないために、私たちはどうすればいいのでしょうか?答えはただひとつ、「自分にとって本当に大事なもの」「自分が本当に実現したいこと」を意識して時間資本の配分をマネージするしかありません。

第2章(長期計画について)

■つまり、20代半ばでキャリアをスタートさせた人であれば、40代の半ばから後半……つまり、本書の枠組みで言えば「人生の夏」の後半期に、減衰が始まるということです。よく言われる、「中年の危機」は、この知的生産能力の減衰と大きな関係があります。

■このようなケースで重要なのは、変革に前向きな1割り程度の人々に働きかけ、彼らをつなぎ合わせ、言うなれば「変革ネットワークの密度」を高めていくことが重要なのです。そして、この密度が、組織全体の2割程度を超えたとき、一気に全社的な組織変革のムードが高まるというのが、私の経験です。

■ソフトバンクの孫正義は、しばしば「未来は偏在している」と語っています。私たちは、暦の上では同じ年の同じ月日を生きているわけですが、世界のある特定の場所には、これからやってくる未来がすでに出現しつつある場所がある、ということです。

■つまり、私たちの人生は「膨大な仮説の集合体」としてまずはスタートし、その仮説をひとつひとつ検証し、破棄・修正することでしか前に進んでいけない、ということなのです。であるとすれば「いかに早い段階で仮説を検証し、戦略を修正できるか」が重要なお論点となってきます。

第3章(職業選択について)

■ライフ・マネジメントにおける意思決定において、真に問題となるのは「勇気」でも「度胸」でもなく、「自分の居場所の趨勢についてどれだけ論理的に考え抜くか」という「思考の累積量」なのです。

■これを敷衍していえば、知識やスキルなどの人的資本に関しては、流行しているテーマに手を伸ばすよりも、むしろ積極的に逆バリすることが求められる、とも言えるでしょう。

■さらに言えば、いまはまだ日本語という言語の障壁によって守られている日本の労働市場も、やがては自動翻訳などのテクノロジーの進化と浸透によって参入障壁が低くなると、全国大会から世界大会へとその様相を変化させることになります。

■つまり「美味しい立地」というのはせいぜい10年程度の賞味期限しかない、ということなのです。和たちの脳みそは相当にポンコツではありますが「あの立地はどうも美味しいらしい」ということを見抜けないほどにマヌケではありません。

■これは海外と日本で比較して感じることなのですが、どうも日本には「生まれつきの才能やセンスを持っているヤツにはかなわない」という先入観が根強い気がします。いわゆる「地頭信奉」などはその典型といえますが、「地頭」などという奇妙な概念は英語には存在しません。こういうところに「生まれ」や「血統」で人を区分したがる日本人の性質がよく出ているように思います。

■これは「プロデュースの基本」とも言えます。プロデュースにおいて重要なのは「欠点を矯正する」ことではなく「ユニークな点を伸ばす」ということです。私たちは往々にして「人の欠点」を見て、それを矯正しようとしてしまいますが、プロデュースにおいて重要なのは「人のユニークな点」を見て、それをどう時代の文脈で意味づけるか、ということなのです。

■本書の枠組みに沿って考えれば、「調達困難な資源や能力」とは「時間資本を大量に投下しないと獲得できない資源や能力」のことですから、ひとつの考え方として、着眼するべきなのは「長く続けてきたこと」だということになります。

■世の中に「理想の職業」などというものはありません。それぞれの仕事にはその仕事固有の長所・短所が必ずあります。であれば、私たちは虚像でしかない「理想の職業」を追い求めるよりも「複数の仕事の長所と短所を補完的にうまく組み合わせること」を追い求めるべきでしょう。

第4章(選択と意思決定について)

■つまり、人生の経営戦略において重要なKPIは「打率」ではなく「打席数」なのだ、ということです。

■このように考えると、人類が残してきた「古典」や「名作」と呼ばれるもの、いわゆるリベラルアーツに親しむことが、実はもっともNPVの大きい時間資本の使い方だということです。

■昨今では「選択と集中」という用語をあたかも「経営の王道」のように乱暴に振り回している人がいますが、不確実性が増す状況において基本的に求められるのは「選択と集中」とは真逆の考え方である「保留と分散」で、まさにこれを実践しようとするのがリアル・オプションだということになります。

■極端に特化した一部の領域だけでなく、長い期間にわたって価値を生み出す全般的でジェネリックな知識を身につけることで、どのような領域に進んでも活用することができます。特に語学の能力は、日本以外の場所で仕事をする、あるいは日本において外国人と仕事をする機会を大きく広げてくれます。また「知識を学ぶ」だけでなく、「学び方を学ぶ」ことで、将来にわたってオプション・バリューを高く保てます。

第5章(学習と成長について)

■しかし、これがなかなか難しいのです。というのも、ほとんどの人は深く考えることなく「世間で成功とされる目標」や「他人から羨ましがられる目標」を無批判に設定して時間資本の配分を最適化し、タイムパフォーマンスの向上に血道を上げてしまうからです。行き着く先は「無惨」と形容するしかありません。すでに何度も指摘している通り、目標設定を外せば戦略をどんなに精緻に作ってもプロジェクトは必ず破綻してしまいます。

■なぜなら「他者から与えられたモノサシを受け入れること」は、そのまま「他者の支配を受け入れること」だからです。これは国についても企業についても個人についても、非常に重要なことなのですが、なかなか意識化されません。「正朔を奉ずる」という慣用句があります。これは「天子の定めた暦を採用すること、すなわち天子の統治に服従して臣下となること」を意味する慣用句です。

■ベンチマーク対象を決めるにあたって、特に重要なのは「能力」ではなく「行動」と「時間配分」に着眼する、ということです。なぜなら「能力」は簡単には真似できないのに対して、「行動」や「時間配分」はすぐに真似ることができるからです。そして多くの場合、問題を解決する鍵は「時間配分」にあるからです。

■コーチングの現場では「コーチャビリティ」と言われる概念ですが、実は学習と成長においては、この「素直さ」が非常に重要な要件となります。なぜなら、私たちの学習は「意識を変えること」で発動するのではなく、まず「行動を変えること」で発動することがしばしばあるからです。

■この「意識の保守性」を乗り越えるために、難しい「意識を変える」ことをせずに、まず「行動を変える」ことからやってみる。行動が適切に変われば、結果も変わります。結果が変わることで、最終的に「意識が変わる」ことを目指すのが、ベンチマーキングのアプローチだと言えるでしょう。

■組織にとって「経験」とは資源です。なぜなら「経験」を与えることによって人的資本が増加するからです。したがって企業は、ヒト・モノ・カネといった経営資源と同様に「経験」についても、最も大きなリターンの期待値をもつ対象に投資するべきだ、ということになります。

■最大のポイントは、通常の組織が、最もその仕事で安定した成果が出せる人に仕事を任せるのに対して、発達指向型組織では、そのような考え方を取らないということです。なぜなら、その仕事がすでに上手にできるということは「その仕事を通じて成長する余地が少ない」ことを意味するからです。

■個人の学習が「弱さ」の発現によって始動されるのであれば、私たちは「もしかしたら失敗してしまうかもしれない」という仕事にチャレンジすることによってしか、成長できないということになります。

■これは「最終的にどういう人生を生きたいのか?」ということにも関わってくる問題なので、放っておいてくれ!と言う人に無理強いするつもりはないのですが、人生が長期化し、労働する期間が長くなればなるほど、この「みっともない姿は見せたくない」という恐れは、その人の人生が大きく開かれる可能性を阻害するようになります。

■あらためて確認すれば、本書冒頭で確認したウェルビーイングの3つの条件の筆頭は「自分が何か有意義なことに貢献しているという実感」でした。「自分の存在意義を失う」ということは、私たちのウェルビーイングにとって非常に重要な問題なのです。

おわりに(資本主義社会のハッカーたちへ)

※特になし

コメント

やはり山口周氏の著作は面白い。

「はじめに」に記載のあるとおり、「本書の目的は、経営戦略論をはじめとした経営学のさまざまな知見を、個人の『人生というプロジェクト』に活用するためのガイドを提供する、というもの」である。

山口周氏の著作でいうと『武器になる哲学』に近いイメージ。

『武器になる哲学』においては、哲学・思想のキーコンセプトを手掛かりに、主にビジネスの場で活用する具体的な場面や事例が紹介されていた。

本書はその経営学バージョンであると言えそう。

実際に経営学で出てくる用語やコンセプトの紹介から始まり、それが人生のなかでどういった活用ができるのかが解説される。

経営学の主たる概念を理解しながら、同時に自分の人生戦略にも活きてくるという一石二鳥の書籍ともいえる。

自分自身は経営学を体系的に学んだことはなく、書籍でたまに目にする程度で、そんなにガッツリと経営学の概念や用語を知っているわけではないので、それが整理されたという意味でも有用だった。

個人的には「組織にとって『経験』とは資源」という言葉が刺さった。

確かに考えてみれば、仕事を通じて誰かに経験をさせるということは、その経験を配分しているということと同義だ。

そしてその経験というリソースが限られている以上、貴重な経験をどう配分するかは組織にとっても重要な決定事項となる。

逆にいうと、個人としてはその貴重な経験を勝ち取っていかないといけない。

貴重な経験というリソースを積極的に獲りに行くことで周りと差別化する。これは個人戦略としても結構重要な視点だと感じた。

ただ、やはり「自分の人生をマネージする」という感覚、視点を得られたのが一番大きい。

自分の人生を如何に生きていくか。自分を経営していくか。

これは言い換えると自分自身の人生を自分の責任のもとに意思決定することといえる。

普段何となく生きている自分としては結構痛いところである。

他人に人生の選択を委ねること。自分自身の重要な決断を回避し、他者(例えば会社)に命運を握られているということに等しい。

決断のコストを考えると、そうやって回避することが合理的である場面もあるのだろうが、おそらくその回避策は自分の自由を失う意味で避けるべきことに思う。(少なくとも自分自身はそうしなければという思いを抱いた)

経営戦略を立てるときに主体に全権がないと何もできない。いや、何もできないというよりは、できることが制限されるという方が正しいか。

自由に選択して実行できるという環境が何より重要なはずであり、もしその環境がないのであれば、それを取り戻すところから始めないといけない。

人生の経営戦略を構築する第一歩目は、自分で自分の人生に責任を持ち、何とかしていく、と自分自身と誓約するところから始まるのかもしれない。

人生を人に任せない。自分で責任を持って人生を運営する。自分自身もまずはそこから。

一言学び

その仕事がすでに上手にできるということは「その仕事を通じて成長する余地が少ない」ことを意味するからです。


コメント

タイトルとURLをコピーしました